じじぃの「科学・地球_498_温度から見た宇宙・生命・低温世界・絶対零度」

ヘリウム3、ヘリウム4


世界で最も軽い液体“ヘリウム3”を発見!月に大量に存在する、核融合燃料とは?

サイエンスジャーナル
●ヘリウム、世界的に供給不足
ヘリウムとは何だろう?無色、無臭、無味、無毒で最も軽い希ガス元素である。
すべての元素の中で最も沸点が低く、加圧下でしか固体にならない。太陽は水素の核融合でヘリウムを大量につくっている。存在量は水素に次いで宇宙で2番目に多い元素である。
これは太陽大気中には宇宙の初期においてビッグバン原子核合成の結果生成したヘリウム3が蓄積しているのであるが、地球大気では地球創成期に存在していたヘリウムがほとんど宇宙空間に逸散し、現在の地球大気中に存在するヘリウムは大部分が岩石中のトリウムおよびウランなどのアルファ崩壊の結果生じたものであるためである。一方、月面においては太陽風から供給されるヘリウム3が蓄積している。
http://sciencejournal.livedoor.biz/archives/4321537.html

『温度から見た宇宙・物質・生命――ビッグバンから絶対零度の世界まで』

ジノ・セグレ/著、桜井邦朋/訳 ブルーバックス 2004年発行

第6章 量子飛躍 より

量子世界と絶対温度

本書では、過去と現在における科学上の偉大なアイディアを探索する際の案内役として、温度を提案してきた。この筋書きにしたがって私は、身近な私たちの身体のことから始めて、プレート・テクノ二クスや遺伝子、そして、ビッグバン宇宙論を取り上げてきた。
本書で取り上げる最後の話題として、本章では温度という視点で量子力学を眺めてみる。量子力学は私たちの日々の生活にも関係しており、コンピュータのチップが働く理由や、水素が酸素を結合して水を作りだす理由を明らかにしてくれる。また別の分野では、なぜ太陽の中心核が私たちを温めてくれるのかとか、太陽が白色矮星となってもなぜ中心核は潰れないのかといった疑問に、量子力学は答えてくれる。温度は、これらすべての過程に深い役割を果たしているのである。

本章には2つのキーワードがある。それらは「若さ」と「絶対零度」である。
前者は若者と老人との論争をめぐるものである。よく言われることだが、数学者と理論物理学者は生涯で最高の仕事を30歳以前にやってのける。その理由はたくさんあるが、例えば、活力、野望、古い先入観念を打ち破る容易さなどがあげられる。
若い科学者の偉業については、多くの例がある。マクスウェルによる統計力学の発見、熱効率に関するカルノーの洞察などだ。さらに、1666年の奇蹟というものがある。この年、24歳だったアイザック・ニュートンは、微積分法と重力に対する逆二乗則の両方を発見したのだった。同様に印象深いのは、26歳のアルバート・アインシュタインによる1905年の業績である。それは、特殊相対性理論の定型化と新しい量子物理学の基礎の確立であった。
若者のひらめきは、1926年の量子力学の誕生にも顕著に現れた。量子力学は、全員が当時25歳だったポール・ディラック、エンリコ・フェルミ、ウェルナー・ハイゼンベルグ、それに、ヴォルフガング・パウリなどの導きによって急速に発展したのであった。しかし、事はそう簡単には運ばず、量子力学が形成された時に47歳だったアインシュタインは、この学問の執拗な批判者となったのだ。

低温世界

極低温は、量子力学がその本質をあらわにする領域であり、今でも研究の最前線になっている。実用的な応用はまだそれ程多くないが、1996年、1997年、2001年の3つのノーベル物理学賞は、絶対零度から数千分の1度以内での物質の振る舞いの研究に対して与えられた。
新しく見出された現象は、古典物理学と量子物理学の食い違いに関係している。古典物理学によれば、絶対零度に近づくにつれて運動は滑らかに停止する。しかし量子力学では、運動を滑らかに停止させるのは不可能なのである。1つの量子状態から別の状態へのジャンプは、温度が下がるにつれて顕著になる。つまり、不連続性がどんどん重要になってくるのだ。
低温の量子世界の理解には、さらに複雑な問題が絡んでいる。それは、不確定性原理に基づく問題である。この原理は、1927年に当時25歳だったウェルナー・ハイゼンベルクによって初めて定式化されたのであった。この原理は、粒子の速さと位置を同時に決定することはできないというものである。原子の運動の速さを確定すれば原子の位置は不確定になり、原子の位置を確定すれば原子の運動の速さは不確定になるのである。
この原理は、極低温を理解する上で興味深い困難をもたらす。もし古典物理学に従って、絶対零度は原子の速さがゼロになると考えると、すぐに難問に直面することになる。不確定性原理によると、原子の運動速度が小さくなる。つまり温度がゼロに近づくにつれて、その原子の位置は決めるのがますます難しくなる。そして予想もしなかった新しい現象が、さらに低い温度でなされた実験で現れてきたのである。

面白い例は、液体ヘリウムの場合である。1910年、オンネスは液体ヘリウムの密度が2.2Kで最大となることを見出した。彼はまた、この温度で液体は沸騰をやめ静かになることにも気づいた。1920年代にはオンネスとレオ・ダーナは、「わずかな温度変化が不連続な変化をもたらすような何らかの現象が、最大密度のあたりでヘリウムに起きている」ことを発見した。沸騰が突然止まったように見え、液体ヘリウムの表面が滑らかになったのである。彼らには、これが何を意味するのか、また、どんなことが起こっているのかわからなかった。
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1938年の初め、ケンブリッジにいた彼ら2人(カナダの物理学者ジャック・アレンとドナルド・マイスナー)とモスクワのピョートル・カピッツァは同時に、超伝導に匹敵する驚異的な発展をしたのだ。彼らはオンネスとダーナが捉えた2.2K以下での液体ヘリウムの異常な振る舞いを、観察し研究していた。低温のヘリウムは温度が上がらない限り、容器の回転に伴って減速することなく回転運動を続けたのである。一旦運動が始まると、その運動はまったく変化しない。液体ヘリウムは事実上、粘性のない超流動体となったのである。1個1個の原子の位置は、その意味を失ってしまい、すべての原子が単一の”超原子”となったのである。
超流動体ヘリウムが示すこうした奇妙な振る舞いは、アレン、マイスナー、カピッツァの実験より10年以上も前に、すでに予見されていた。ベンガル出身の無名の物理学者、サチエンドラ・ボーズが送ってきた1924年の論文に触発されてアインシュタインは、特に低温では粒子が互いに区別できなくなり、興味深い新たな振る舞いを示すことが、量子論から導かれることを悟った。アインシュタインは、液体ヘリウムではなく、低圧で低温の状態にある気体の原子集団について考察を加えたのだった。この方が概念的にはより簡単であった。理由は、密度が低ければ、原子間の相互作用が弱いからである。
実験は原理的には簡単だったが、超えがたい技術上の問題があって、アインシュタインの議論から70年経った1995年まで実際に行うことはできなかった。この年に、コロラド州ボールダーの研究グループがついに、2000個のルビジウム原子を10秒間にわたって1個の「超原子」に変えることに成功したのだった。この実験は、ボーズ=アインシュタイン凝縮体として知られる物質を作りだしたのであった。ほとんど同時に同様の凝縮体が、テキサス州のライス大学でリチウム気体を用いて、MITでナトリウム気体を用いて作られたのであった。
だが、ここまでの行程は長く険しく、予期せざる困難に彩られていた。1895年にヘリウムが地上で初めて発見されたときには、実験室で達成された低温は絶対零度より10度も高かった。それからちょうど100年経った1995年、ついにボーズ=アインシュタイン凝縮体が観察された。実験における温度は、絶対零度から1000億分の2度以下にまでなっていた。
さらに、ボーズとアインシュタインが予見していなかった別の問題があった。彼らの論文が出てから1年もしないうちに、パウリが”排他原理”を提唱した。この原理は、2つの電子が同じ量子状態をとり得ないと断定するものだった。これは低温によって複数のヘリウム原子が1つの超原子にまとまるということと、ほとんど逆のことを意味していた。量子力学によれば、互いに区別できない粒子には、2種類の大きく異なる振る舞い片があり、それが絶対零度付近での振る舞い方を大きく左右する。ヘリウム原子は一方の振る舞い方をとり、電子はもう一方の振る舞い方をとるのだ。
量子力学には、微妙な点が限りなくある。ヘリウム原子は絶対零度から2.2K上で超流動体となるが、このことは、核内に2個の中性子をも通常のヘリウム4でしか実現しないことがわかっている。同位体のヘリウム3は、化学的にはヘリウム4と区別できないのだが、こちらは排他原理にしたがうのだ。