じじぃの「歴史・思想_601_プーチンの正体・旧KGB人脈と愛国教育」

Vladimir Putin Speaks About Russian Patriotism, History, Culture, and Statehood - ENG Subtitles

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=-OrsVgkqWns

Russian patriotism


Russia instils ‘patriotism’ in occupied Crimea with automatic rifles and propaganda

23.11.2020 KHPG
Air pistols; automatic rifles; sniper and air rifles have been purchased for the Artek children’s camp in occupied Crimea, with this Russia’s latest criminal use of weapons to attract Crimean children to the occupiers’ army and to inculcate a war-focused notion of ‘patriotism’. All of this, human rights activists stress, is part of a major war crime that Russia is committing on illegally occupied territory.
https://khpg.org/en/1605474152

プーチンの正体』

黒井文太郎/著 宝島社新書 2022年発行

まえがき より

2022年2月24日、プーチンがロシア軍にウクライナ侵攻を命じ、侵略戦争が始まった。しかし、このプーチンの「狂気」は、なにも急に生まれたわけではない。彼自身が書いたり語ったりしているが、もともと彼にはウクライナ征服の願望があった。その機会を虎視眈々(こしたんたん)と狙っていたのだ。
ただし、現代の世界では、あからさまな侵略は容易なことではない。国際社会の反発は当然予想されるし、戦争を勝ち抜く力も必要だ。プーチンはその機会をじっと待っていたのである。

第3章 黒い独裁者の正体 より

中央政界に進出し3年で首相に

こうしてFSB旧ソ連KGBの流れをくむ諜報機関)長官の椅子を得たことが、さらなるプーチンの政治家としての飛躍に繋がった。また、エリツィン大統領の汚職疑惑を捜査していたユーリー・スクラトフ検事総長がスキャンダルで失脚した事件でも、その失脚に手を貸している。
その功績からエリツィン大統領の信頼を獲得すると、1999年8月に首相代行、そしてすぐに首相に指名された。当時、エリツィン大統領は重度のアルコール依存症で職務がおぼつかなくなっており、事実上、政府はプーチンが采配することになった。
このあまりのスピード出世は、前述したように彼がエリツィン大統領の信頼を得たことが大きい。プーチンがモスクワに移ったのは43歳で、中央政界ではまったく無名の男が、あっという間に46歳で次期最高権力者に上り詰めたのだ。
    ・
ところが、プーチンは最初から「羊の皮を被った狼」だった。プーチンが首相に就任するとすぐに、モスクワのショッピングモールや高層アパートなどで連続爆破テロが発生する。それをチェチェン独立派のテロだとして、プーチンチェチェンへの攻撃を命令し、第2次チェチェン紛争を開始した。
なお、これらのテロについては、前述したようにFSBの自作自演、いわゆる偽旗作戦だったことがほぼ明らかにされている。さすがにそこまでのことをFSBが勝手にやることは考えられない。その後のプーチンの素早い対応からしても、この謀略はプーチンの承認の下で実行されたとみていいだろう。

レニングラード人脈

その後、プーチンは1999年末には大統領代行に指名され、翌2000年に47歳で正式に大統領に就任した。その間、さらにFSBレニングラード支局時代からの仲間を政権要所に配置し、独裁への下地を素早くつくっている。
プーチンは大統領就任時から強権統治を進めており、それについてはインテリジェンス分野のウォッチャーの間では、初めから注目されていた。
その頃、筆者は軍事専門誌の月刊『軍事研究』誌で「ワールドワイド・インテリジェンス」という欄を担当していた。世界のインテリジェンス分野のニュースを紹介するというコーナーだったが、当時、元KGBスパイからロシア大統領となったプーチンは常連といっていい頻度で登場する。それだけ注目される存在だったわけだが、ここで当時の同誌に筆者が書いた記事の記述を振り返ってみよう。
まず、同誌の「ワールドワイド・インテリジェンス」欄は第1回が2000年3月号(2月発売。記事入稿は1月中旬)だが、その第1回の冒頭記事タイトルが「プーチン大統領代行はスパイだった」だった。当時はまだ彼は大統領代行だったが、次期大統領が確実となっており、世界中のメディアが「プーチンとは何者だ?」との視点で報じていた。

外敵をつくり国民を扇動

もっとも、独裁といっても彼はクーデターで政権を握ったわけではない。あくまで国民の選挙で選ばれている。プーチンは実際、多くのロシア国民に支持されて権力者になった。そして、権力者になった後に反対派を弾圧する仕組みをつくり、独裁者になった。
大統領就任後のプーチンは、外に敵をつくるという手法でロシア国民を扇動した。「自分たちVSそれ以外」という構図で、ポピュリズムの典型的な手口である。最初の標的は「チェチェン人」だった。
当時、ロシア裏社会ではチェチェン・マフィアが一大勢力を誇っており、ロシア国民の反感が強かった。その国民意識を背景に、プーチンチェチェン独立派を「イスラム・テロリスト」だと一方的に宣伝した。もちろんマフィアと一般のチェチェン人は無関係だし、独立派もテロ組織などではない。しかし90年代の極度な困窮に喘いでいたロシア国民のなかには、プーチンの「悪いのはチェチェン人」との扇動に乗せられた人も少なくなかった。
プーチンが大統領就任直後から攻撃したもうひとつの強大な敵が、エリツィン時代にロシアの国家資産を私物化して億万長者になった新興財閥「オリガルヒ」だった。プーチンは権力を握ると旧KGB陣営の権限を強化し、オリガルヒを次々と追放した。当時、オリガルヒに反感を募らせていた多くのロシア国民が拍手し、プーチン人気はさらに盤石になった。
続いてプーチンが「外の敵」としたのが西側、特に米国だ。90年代のゴルバチョフ政権末期からエリツィン政権期のロシアは国家経済が崩壊し、世界の最貧国のようなありさまだった。人々はパンを買うために何時間も長い行列で待ち、そのカネをつくるために大事な家財を道端に並べて売った。筆者自身、90年代前半に2年間、モスクワで暮らした経験があるが、通貨ルーブルは紙切れ同然の価値しかなく、店にはおよそ商品と呼ばれるものはほとんど残っていなかった。
冷戦時代は仮にも世界の半分を支配した大国ロシアのその凋落は、第二次世界大戦の勝利国だというアイデンティティを強烈に引きずっている一般のロシア国民にとっては、屈辱以外の何ものでもなかった。そんなロシア国民に対して、プーチンは「悪いのは西側だ」と扇動した。自分たちの栄光を踏みにじる西欧は敵だというロシア民族主義愛国主義ポピュリズムである。

愛国心」を国の唯一の指針と宣言

プーチンはさらに愛国主義を扇動し、しかも国の制度に取り入れている。それは2000年代から徐々に取り入れられたが、とくに強化されたのは、2014年のクリミア併合でロシアの民族主義が高まった後だ。なかでも2015年4月に、プーチンは同時に、教育科学省(現・教育省)に愛国教育の拡大を命令。さらに連邦青少年問題局(ロスモロデジ)に、2016年から2020年までの5ヵ年計画として「ロシア国民愛国教育計画」を作成させた。同計画では、「国を誇りに思う」と考えるロシア国民を8%増加させることが目標とされた。
そしてプーチンは2016年2月、教育とメディアによって広められる「愛国心」を国の唯一の指針と宣言した。その後、ロシアの小学校や中学校では「愛国教育」との触れ込みで、銃器の扱いも含めて基礎的な軍事教育をイベント形式で教える試みが始まっている。
それだけではない。非行少年を軍事キャンプに送り込んで徹底的に教育し、愛国主義化するという政策まである。2019年3月12日、プーチン政権で安全保障政策を統括するパトルシェフ安全保障会議書記が「2019年中に、非行少年は愛国的な軍事キャンプに送られることになる」と発言したのだ。単なる更生施設ではなく、愛国心を叩き込む軍事キャンプである。
    ・
なお、プーチンの「愛国主義」政策は、少年たちの洗脳にとどまらない。たとえば、2018年7月には、ロシア軍内に新たに「軍事政治局」が設置され、軍内での愛国主義の徹底が指示された。これはそのまま、かつての旧ソ連の軍内の政治総本部の復活とみられる。かつて旧ソ連階級闘争イデオロギーである共産主義を掲げて全体主義を図っていたが、今のプーチン政権はとにかく愛国主義全体主義化を図っているといえる。思想的には、ソ連復活というより、むしろロシア社会のナチス化を目指しているといった方が適切かもしれない。
    ・
パトルシェフの言う少年犯罪には、いわゆる反政府抗議活動も含まれる。ロシアで行なわれる反政府集会には多くの未成年者も参加しているが、ロシアの法律は未成年者を無許可集会に参加させることを禁じている。
少年たちをネット上の自由言論から遠ざけることは、もともと旧KGB出身でFSB長官を長く務めたパトルシェフのかねてからの持論である。彼は過去にも、少年たちに愛国心を植え付ける目的で、ウェブ上で活動する「インターネット旅団」の創設を提案したことがある。
なお、ロシアではすでに教育省の正式な施設として、SNSを使って少年を愛国教育するプログラムが発足している。2017年3月に発表された「愛国教育計画」である。ロシアの少年たちは、SNSを日々使うなかで、こうした愛国主義のメッセージを常に目にすることとなっている。

プーチンやパトルシェフら、旧KGB出身のロシアの強権政権指導者たちは、こうした数々の国民「洗脳」手段を講じ、ロシアに全体主義を導入してきたのである。