FACT CHECK: Time Magazine Dubs Putin the New Hitler by Giving him a Moustache?
Is Putin a new Hitler?
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Did we tolerate Hitler? How long will we tolerate Putin?
Sept. 30, 2022 Kyiv Post
Like Hitler before him, this rapacious monster claims to be acting in the interests of a master race - in this case the Russians - who he would have us believe have the unchallengeable right to lord over their neighbors, mendaciously interpret the past and present as they see fit for self-serving purposes, and cynically show utter contempt for the entire international order.
https://www.kyivpost.com/article/opinion/op-ed/did-we-tolerate-hitler-how-long-will-we-tolerate-putin.html
『プーチンの正体』
黒井文太郎/著 宝島社新書 2022年発行
まえがき より
2022年2月24日、プーチンがロシア軍にウクライナ侵攻を命じ、侵略戦争が始まった。しかし、このプーチンの「狂気」は、なにも急に生まれたわけではない。彼自身が書いたり語ったりしているが、もともと彼にはウクライナ征服の願望があった。その機会を虎視眈々(こしたんたん)と狙っていたのだ。
ただし、現代の世界では、あからさまな侵略は容易なことではない。国際社会の反発は当然予想されるし、戦争を勝ち抜く力も必要だ。プーチンはその機会をじっと待っていたのである。
第3章 黒い独裁者の正体 より
中央政界に進出し3年で首相に
こうしてFSB(旧ソ連のKGBの流れをくむ諜報機関)長官の椅子を得たことが、さらなるプーチンの政治家としての飛躍に繋がった。また、エリツィン大統領の汚職疑惑を捜査していたユーリー・スクラトフ検事総長がスキャンダルで失脚した事件でも、その失脚に手を貸している。
その功績からエリツィン大統領の信頼を獲得すると、1999年8月に首相代行、そしてすぐに首相に指名された。当時、エリツィン大統領は重度のアルコール依存症で職務がおぼつかなくなっており、事実上、政府はプーチンが采配することになった。
このあまりのスピード出世は、前述したように彼がエリツィン大統領の信頼を得たことが大きい。プーチンがモスクワに移ったのは43歳で、中央政界ではまったく無名の男が、あっという間に46歳で次期最高権力者に上り詰めたのだ。
オバマ大統領の沈黙
このようにプーチンは、権力者になったその時点から独裁権力を握ることに全力を注いできた。そして、まだ国力が弱かった2000年代はロシア国内・旧ソ連圏で、チェチェン、エリツィン派オリガルヒ、ジョージアなどを「敵」にして攻撃し、自身の権力を強化した。2000年代は米国がブッシュ政権で対テロ戦争を強力に進めていた時期であり、その時代はプーチンもそこに正面から挑むことはしていない。
プーチンにとって幸運だったのは、2003年頃から2008年頃にかけて原油の国際価格が急騰したことで、ロシア経済が立て直されたことだ。これをプーチン政権は官製メディアで「大統領のおかげだ」と宣伝しつつ、その国力復活から軍事力の再建などを進めた。
そして、米国がイラク駐留で多くの自国兵士の犠牲を出し、2009年に誕生したオバマ政権が国際紛争への軍事介入から手を引いたのを機会に、プーチンは対外的な挑戦に乗り出した。2011年3月から始まったシリアの民主化運動で、国民を弾圧するアサド政権を支えるために国連安保理決議で拒否権を濫発、アサド政権に軍事援助をするなど強力に支援した。
決定的だったのは、2013年8月に発生したアサド政権軍のサリン使用(住民1000人以上を殺害)に際し、オバマ大統領がかねて明言していた「化学兵器使用は米国の軍事介入のレッドライン」方針を撤回し、「何もしなかった」ことだ。本当に米国はもう何もあっても手を出さないことが証明されたからである。
同2013年から翌年にかけて、ウクライナで反ロシア政変、いわゆるマイダン革命が起きるが、プーチンは軍をクリミア半島に侵攻させ、ほぼ無血で手に入れることに成功する。そしてそのまま東部のドンパス地方でロシア軍を非公式に展開し、地元の親ロシア派民兵を使ってドネツク州とルハンスク州の一部を制圧して支配下に置いた。
こうした侵略行為にも、オバマ大統領は強く動かなかった。ただ、その後に登場したトランプ大統領はプーチン政権の人権侵害や西側社会への破壊工作などには甘かったが、核戦力をめぐる軍備管理などでは強硬で、米軍の戦力全体を増強するなど、ロシアから見て必ずしも対処しやすい相手ではなかった。しかも気分次第でどう動くか予測がつきづらい人物でもあった。
その間、ロシアでは民主化運動が大規模化し、プーチンは強権的弾圧を強めた。他方、ベラルーシでも2020年に民主化運動の弾圧が起き、ルカシェンコ大統領がロシアに支援を求めたことで、事実上、プーチンの影響下に入った。人権抑圧を強めるプーチンにとって、西側の自由や人権擁護の感覚自体が脅威になった。
2021年1月に登場したバイデン政権は、当初は西側の結束や人権重視を打ち出しており、プーチンからすれば、いずれ手に入れようと考えているウクライナへの主導権を失う危険性を感じたかもしれない。そこで同年春、ロシア軍の大軍をウクライナ国境に集結させた。しかし、バイデン政権はアフガニスタン撤退で失態を演じ、米国の弱気を露呈した。それを見て、プーチンはウクライナを手に入れようと勝負に出たという流れの時間軸だった。
このように、ロシアが困窮を極めていた時期に独裁者となったプーチンは、大国ロシアの復活に向けて、自分の味方以外を殺戮しつつ、着々と手を打ってきた。その姿勢に変化は見られない。おそらく彼は、子どもの頃から37歳まで叩き込まれたソ連共産党・KGB式の大国意識と強権的な秩序維持の価値観で今も生きている。変わったのは、世界から警察がいなくなったという外部要因のほうだろう。
ヒトラーと同質
まずヒトラーもプーチンも、その独裁権力を獲得した手法として、生活に困窮している国民に民族主義・愛国主義を扇動したという共通項がある。
1918年に終結した第一次世界大戦の敗戦国だったドイツは、当時の国民総所得の2.5倍もの莫大な賠償金支払いで国民の生活は困窮しており、さらに1929年に始まった世界恐慌の追い打ちによって大量の失業者で溢れていた。そんな社会情勢で、「悪いのは外国だ」としてドイツ民族の復権を主張したことで、一気に人気政治家になったのがヒトラーだった。
プーチンの場合も同様だ。彼は最初に政治的実権を握った時から、「ロシア人VSそれ以外」という対立構図で強硬な姿勢を鮮明にしており、ロシア民族主義を前面に押し出して国民を誘導していた。
前述したように、最初の標的は「チェチェン人」で、次の標的が新興財閥「オリガルヒ」だった。旧KGBの権限を強化し、ロシアの国家資産を私物化して海外で富を築いていたオリガルヒを次々と弾圧。この時もオリガルヒに反感を募らせていた多くのロシア国民が拍手した。プーチンはそんな国民に対し、「悪いのは西側だ」と扇動した。つまり今度は「敵は欧米だ」というわけである。
プーチンは2005年4月の連邦議会で「ソ連の崩壊は、20世紀最大の地政学的惨事である」と演説した。プーチンの言う惨事とは、社会主義の崩壊ではなく、大国ロシアの崩壊という意味だ。この「大国ロシアの復活を」と「悪いのは西側(とくに米国)だ」というキャッチ―な言葉は、とくに90年代に苦難の時代を経験した層に広く受け入れられ、国内世論でプーチンの人気は高まり、盤石の支持が維持された。
その後、2014年のクリミア侵攻・併合ではロシア政府が喧伝した「ウクライナのネオナチ勢力に弾圧されていたロシア系住民を救った」という作り話が浸透し、プーチンの人気は絶頂を極めた。そして、プーチンは前述したように、国内で愛国主義を扇動し、しかも国の制度に取り入れている。これもナチスと同様だ。