New documentary uncovers baseball players fighting for racial equality
MLB black power
ハイチに贈る (25) | ザビ神父の証言
2010.02.08 楽天ブログ
ブラジルに運ばれた黒人奴隷の男女比は、2対1だったとされています。
女奴隷は、主としてカサグランデ内で使われる家内奴隷ですから、生産労働に従事するわけではありません。ですからサトウキビ農園で働く生産奴隷の居住区センザラでは、男ばかりが集団生活をしていたのです。
つまりブラジルの黒人奴隷の大部分は、女性と家庭をもって子孫を増やすことを求められていなかったのです。
https://plaza.rakuten.co.jp/xabier/diary/201002080001/
『ケミストリー世界史 その時、化学が時代を変えた!』
大宮理/著 PHP文庫 2022年発行
第9章 大航海時代 より
昔の船乗りたちは、赤道に行くと暑くて焼け死んでしまうとか、海の果てがあってそこから滝のように地獄に落ちる、と信じていました。
エンリケやディアス、ガマ、コロンブス、マゼラン……そして航海ビジネスに投資する王侯貴族たちの熱量はこれらの迷信をかき消して、アジアやインドに香料やスパイス、砂糖など嗜好品の分子を熱狂的に求めたのです。
1516年 サトウキビ栽培――大西洋上に巨大な三角貿易圏ができあがった
●奴隷による「プランテーション」の原点
砂糖の原料であるサトウキビはニューギニア原産の植物ですが、やがて南太平洋に伝わり、インド、さらに中近東へと伝わりました。サトウキビ栽培は大量の水を必要とするので、イスラーム教圏の地方では地下水道やスクリュー式揚水機などの進んだ灌漑施設を用いてサトウキビ栽培を行っていました。
サトウキビという単一の作物を、主食にもならない商業用として大規模に栽培することは、人類の農業の歴史にまったく新しいステージをもたらしたのです。のちのプランテーションといわれる農業形態の原点といえるでしょう。
この砂糖が、十字軍の時代にヨーロッパに伝わり、スペインなどでサトウキビの生産が始まります。ポルトガルは1440年代から、マデイラ、アゾレス、カナリヤといった大西洋上の島々で、アフリカで調達した黒人奴隷を使ってサトウキビ栽培を始めました。
コロンブスは西インド諸島を発見し、2回目の航海でカナリア諸島のサトウキビを持ち込んでサトウキビ栽培を始めています。1516年、西インド諸島で植えられたサトウキビからつくられた砂糖が、はじめてヨーロッパに運ばれました。
ここでも、コロンブスたち征服者がもち込んだ天然痘やインフルエンザなどの病気で先住民が大量に亡くなったので、不足した労働力を埋めるために大量の黒人奴隷がアフリカ西海岸から持ち込まれています。
●砂糖は歴史を変えた
こうして、サトウキビのプランテーションが、西インド諸島やキューバなどのカリブ海の島々に広がりました。そして、アフリカの奴隷はカリブ海やアメリカへ送られ、カリブ海から砂糖がヨーロッパへもたらされ、ヨーロッパからはアフリカの奴隷商人に火器や日用品、さらにワインやブランデーを提供するという、大きな三角形の経済が出現します。
こうして、大西洋上の巨大な三角貿易圏がつくられていったのです。貿易で蓄積された巨万の富と、巨大な生産・交易・消費という市場経済が発達し、貨幣によるヒト・モノの売り買いが拡大すると、これが資本主義という新しい社会システムを生み出しました。
また、アメリカの植民地の人びとは、フランス領でつくられたサトウキビから砂糖をしぼったあとの糖蜜を輸入し、発酵させてラム酒をつくり、これをアフリカの奴隷商人に売るようになります。
イギリスは、フランス領の糖蜜を買うアメリカの植民地に税金(糖蜜税)をかけて邪魔をしますが、アメリカの植民地の人びとは公然と無視し、アメリカ独立への第一歩になり、アメリカ独立の引き金にもなりました。ラム酒は、イギリスに対する反体制の、アメリカ的なシンボルになっていったのです。
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どうでもいい、じじぃの日記。
この頃、大谷翔平選手の活躍があって、テレビでMLB(メジャーリーグベースボール)を観ることが多くなった。
MLBの選手は見た目では、白人と黒人は半々ぐらいだろうか。
黒人の出身地は、ハイチ、ドミニカ、ジャマイカとか、バハマ諸島から来た人が多いようだ。