Cave Art 101 | National Geographic
ラスコー洞窟の壁画 (フランス)
洞窟壁画
ウィキペディア(Wikipedia) より
洞窟壁画(Cave painting)は、通例では有史以前の、洞窟や岩壁の壁面および天井部に描かれた絵の総称をいう。
現存する人類最古の絵画である。壁画は4万年前の後期旧石器時代より製作されている。これらは社会的に敬われていた年長者や、シャーマンによる作品であると広く一般に信じられている。
【ヨーロッパ】
ヨーロッパ人が最初にマグダレニアン文化の壁画を偶然にも発見したのは、1879年のスペイン、カンタブリア州にあるアルタミラ洞窟でのことで、壁画は学者からいたずらだと考えられた。しかし、近年の壁画への再評価や発見数の増加は壁画の確実性を例証し、基本的な道具のみを使用して壁画を描いた後期旧石器時代における人類の、高レベルな芸術的手腕を示している。更に洞窟壁画は、その時代の文化や信条を表す貴重な手がかりをもたらしている。
多くの遺跡に描かれている壁画が製作された時代は、放射性炭素年代測定のような方法では新旧の物質が混成したサンプルしか採れず、誤った年代の測定結果が出てしまう他、洞窟や岩の突出部は長い年月を経て積み重なった岩屑で概して乱雑しており、未だに継続的な論点である。スペイン、ラス・モネダス洞窟(スペイン語版)にあるトナカイの絵のように、選んだ対象によっては時代を指摘できるものもあり、この絵はウィスコンシン(ヴュルム)氷期に描かれたとされている。
最も古い洞窟壁画は、スペインのラパシエガ洞窟、マルトラビエソ洞窟、アルタレス洞窟の壁画で、約6万4000年前のものとされる。最古級のものとしては、スペインのエル・カスティージョ洞窟(英語版)(約4万800年前)、インドネシアのマロス洞窟の壁画(約3万9900年前)、フランスのショーヴェ洞窟の壁画(約3万7000年前)がある。
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第3章 「人類揺籃の地」アフリカ――初期サピエンス集団の形成と拡散 より
出アフリカ
ゲノム解析から、数十万年以上も前のホモ・サピエンスとネアンデルタール人の交雑が明らかになっていますので、ホモ・サピエンスがアフリカで誕生したのだとしても、そのころにはすでに出アフリカを成し遂げていた可能性も低くありません。この意味での「出アフリカ」の舞台となるのは、アフリカと陸続きのレバントと呼ばれる東部地中海沿岸地方だと考えられています。特にエジプトと接する現在のイスラエルでは、ネアンデルタール人とホモ・サピエンス双方の化石が出土しており、ホモ・サピエンスの出アフリカを考える上で重要な証拠を提供しています。
ヘブライ語で「洞窟群の渓谷」を意味する、イスラエルのカルメル山麓にあるナハル・メアロット渓谷には、タブーン洞窟とスフール洞窟という、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの化石が出土している洞窟があります。この地域でもっとも古いネアンデルタール人骨は、タブーン洞窟から出土したもので、17万~10万年前のものとされています。アムッド洞窟やケバラ洞窟など、イスラエルの他の地域で発見されたネアンデルタール人骨はいずれも6万年ほど前のものと考えられており、タブーン洞窟のネアンデルタール人とのあいだには時間的に大きなギャップがあります。
一方、スフール洞窟から発見されているホモ・サピエンスの化石は13万~10万年前と推定されており、タブーン洞窟のネアンデルタール人よりは新しい可能性があります。それでも、他のネアンデルタール人よりは古くなります。エズレル平野にあるカフゼ洞窟から出土したホモ・サピエンスは9万年ほど前のものとされ、これも新旧のネアンデルタール人の生息時期のあいだに挟まっています。
第4章 ヨーロッパへの進出――「ユーラシア基層集団」の東西分岐 より
ヨーロッパの古代ミトコンドリア系統
この時期(出アフリカからの1万年ほどの間)の人骨について、核ゲノムデータは得られていないものの、ミトコンドリアDNAの分析が行われている個体があります。イタリアのフマネ洞窟から出土した4万1000年前の1体です。アフリカ人を除くミトコンドリアDNAの系統樹の根幹部に位置しており、これは出アフリカからほどなくして成立した系統だと考えられています。フマネ洞窟の人骨とバチョ・キロ(ブルガリア)洞窟の1体が持つミトコンドリアDNAはウスチ・イシム(シベリア)人骨や田園洞(北京郊外)人骨と系統的に近いことがわかっています。
一方、バチョ・キロの残りのミトコンドリアDNAは現代人の系統の中に広がっています。そのうちヨーロッパ系統に属するものは1枚のみで、他はアジアの系統につながるものでした。バチョ・キロから得られたDNA配列の中には、まったく同じものが1組ありますから、これらは同一人物のものである可能性もあるのですが、いずれにせよ同じ洞窟から出土した人骨が、これだけ多様なミトコンドリアDNAの系統を含むことは驚きです。おそらく複数の集団が別々にこの洞窟にやってきて、合流することで地域集団として成立したのだと思われます。このような母系の多様性が見られること自体が、ホモ・サピエンスの世界展開を可能にした特徴を反映したと考えることもできます。
ヨーロッパの文化的編年②――グラベット文化、ソリュートレ文化、マグダレニアン文化
ヨーロッパの文化的編年の話を続けます。4万~2万8000年前ごろまで続くのがオーリニャック文化で、その次に続くのが、ビーナス像などの副葬品で有名な2万8000~2万1000年前ごろまで続くグラベッド文化です。
そのころに氷河期は最盛期を迎えました。氷河期でも、長期的な気候の変動があったので、気候が比較的温暖な時期に人びとはヨーロッパ大陸を北上し、寒くなると温暖な地域を求めて南下するというパターンを取っていたようです。
その後、2万1000~1万6500年前にヨーロッパの中心的な文化となったのが、ソリュートレ文化です。約5000年間続いたこの時代に、北方から南下した人びとが利用した地域のひとつが南西フランスのペリゴール地方になります。
この地域を中心として、1万8000~1万1000年前ごろまでの期間、マグダレニアンと呼ばれる文化(マドレーヌ文化とも呼ばれる)が栄えました。ラスコーやアルタミラといった洞窟に見事な壁画を残したのがこの文化で、その担い手がクロマニヨンとよばれます。もちろん彼らもホモ・サピエンスの一員です。
このような文化の変遷とヒトの関係について、従来の化石人骨の形態からでは地域集団の遺伝的な特徴までを知ることは難しかったのですが、古代ゲノム解析が可能になったことで、ヨーロッパの旧石器時代における複雑な集団の交代劇が明らかになっています。2016年に、ユーラシア大陸の広い地域を対象として、4万5000年前のウスチ・イシムから7000年前の新石器時代人骨までの総数51体の古代ゲノムがまとめて解析され、3万7000~1万4000年前前にヨーロッパに展開した狩猟採集民は、ひとつの祖先集団に由来することが明らかとなりました。すなわち、オーリニャック文化期の人びとは、のとのヨーロッパ全体に広がる狩猟採集民集団の祖先だったのです。そのゲノムは現代のヨーロッパ人にもおよそ15パーセント受け継がれており、絶滅したと考えられるプロトオーリニャック文化(4万5000~4万年前ごろ)の人びととの違いが際立っています。