じじぃの「顔料・北斎やゴッホを魅了したプルシアンブルー!ケミストリー世界史」

How to make Prussian Blue!

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=lzv3Nr4kCks

富嶽三十六景 「神奈川沖浪裏」


北斎の愛した「ベロ藍(プルシアンブルー)」を再現する!

2021年5月31日 KUA BLOG
葛飾北斎の代表作である「富嶽三十六景」は誰もが見たことのある作品ですね。
彼が作品に多用した透明感のある鮮やかな青は、実は海外からやってきた人工の顔料「ベロ藍(北斎ブルー、プルシアンブルー/紺青)」と呼ばれるものです。
https://www.kyoto-art.ac.jp/production/?p=123882

『ケミストリー世界史 その時、化学が時代を変えた!』

大宮理/著 PHP文庫 2022年発行

第9章 大航海時代 より

昔の船乗りたちは、赤道に行くと暑くて焼け死んでしまうとか、海の果てがあってそこから滝のように地獄に落ちる、と信じていました。
エンリケやディアス、ガマ、コロンブス、マゼラン……そして航海ビジネスに投資する王侯貴族たちの熱量はこれらの迷信をかき消して、アジアやインドに香料やスパイス、砂糖など嗜好品の分子を熱狂的に求めたのです。

1521年 アステカ帝国を征服――染料がスペインに巨万の富をもたらした

●ヨーロッパにはない鮮やかな天然染料
コルテスのアステカ帝国侵略で、スペイン人たちは金銀財宝とその鉱山を求めました。内陸に進撃する途中、アステカの村々の市などで天然の染料が取引されているのを見て、コルテスは衝撃を受けます。スペイン本国の絹糸の市場より、豊富な色の糸が出まわっていたからです。
なかでも、コチニールカイガラムシといわれる、サボテンにアブラムシのようにたかる小さな虫(カイガラムシといわれる種の1つ)から得られるコチニールという赤色の染料は、それまでのヨーロッパにはない鮮やかな赤色でした。
ちなみに、この赤色色素の分子はカルミン酸という色素で、食品添加物として認められています。赤っぽいハムなどの成分に、カルミン酸という成分表示がされています。虫が苦手な方は、これらを食べてからネット検索でコチニールカイガラムシの拡大画像を見ないほうがいいでしょう(笑)。
スペインはアステカを征服したあと、この赤色染料の生産と輸出を拡大し、巨万の富をえました。コチニールカイガラムシはヨーロッパで王侯貴族のきらびやかなドレスを赤く染め、また油絵具としてルノワールゴーギャンゴッホの芸術を生み出したのです。

第11章 産業革命と市民革命 より

1704年 紺清の発明――北斎ゴッホを魅了したプルシアンブルー

ゴッホ北斎も好んで用いた
日本では赤穂浪士が吉良邸に討ち入り、そして切腹させられた翌年の1704年、ベルリンの染料業者ディースバッハが、プルシアンブルー(「プロイセンの青」という意味)という紺色の顔料(紺青)を発明しました。鉄イオンをふくんだ結晶です。はじめは動物の血液などを原料につくっていました。
日本では、「ベルリンの藍」から「ベロ藍」といわれ、葛飾北斎安藤広重などの浮世絵師が積極的に使い、その色使いがゴッホなど世界のアーティストに影響を与えました。「富嶽三十六景」や「東海道五十三次」の浮世絵も、この化合物から生み出されています。
アートつながりでいうと、神聖ローマ帝国(現在のドイツ)で宮廷のピアニストなどをしていたバッハが、20歳で「トッカータフーガ ニ短調(BWV565)」を作曲した時代です。現代のシンセサイザーの曲といっても通用するくらい、パイプオルガンの響きが斬新です(出だしが「チャラリー 鼻から牛乳」<嘉門タツオ>という替え歌にもなりました)。
グローバル資本主義のもとで、商業主義的な、世界中の膨大なコンテンツがあふれかえる昨今ですが、1000年後に残っているもの、それが本物だと思います。どんなものでも時間軸にはあらがえないのです。
美しいから残るのか、残るから美しいのか。本物だけが残るということなのだと思います。
バッハやモーツァルトベートーヴェンの音楽、フェルメールルノアールゴッホの絵画などは1000年後に残っていることでしょう。