じじぃの「科学・地球_399_人類の起源・ホモ・サピエンス・出アフリカ」

Animated Map of Prehistoric Human Migration

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=mND8qWrY16E

Out of Africa homosapiens


古代の超巨大噴火、人類はこうして生き延びた

2018.03.14 ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
7万4000年前に起きた超巨大噴火。過去200万年で最大規模とされ、世界的に影響を及ぼしたこの大災害を、当時まだアフリカにいた人類は無事に生き延びただけでなく、繁栄していたとする論文が、3月12日付けの科学誌「ネイチャー」に発表された。
大噴火を起こしたのは、東南アジア、スマトラ島の「超巨大火山(スーパーボルケーノ)」であるトバ火山。噴き上げられた火山灰と岩塊は数千キロメートル遠方まで散らばり、気温は急降下した。
噴火の余波は遠くアフリカ南部にまで及び、そこで暮らす古代の人類に影響を与えた。これまでの研究では、トバ大噴火はあまりに強烈だったため、当時アフリカからようやく外へ出ようとしていた現生人類の祖先を絶滅寸前に追いやったとも言われてきた。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/031400115/

『人類の起源 古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」』

篠田謙一/著 中公新書 2022年発行

第3章 「人類揺籃の地」アフリカ――初期サピエンス集団の形成と拡散 より

アフリカで誕生したホモ・サピエンス

現在では、ホモ・サピエンスがアフリカで誕生したということはほぼ定説となっています。もっとも古いホモ・サピエンスの化石が、アフリカの30万年ほど前の地層で発見されていますし、それに続く時代の化石もアフリカでのみ発見されているからです。
しかしながら、ネアンデルタール人やデニソワの共通祖先から分岐したのが60万年ほど前なのにもかかわらず、誕生からかなり長期間にわたってホモ・サピエンスの祖先と考えられる化石がないことや、数十万年前にネアンデルタール人とのあいだで交雑があったことなどを考えると、ホモ・サピエンスの最初の祖先はアフリカではなくユーラシア大陸にいたるのでないかという解釈も、一定の説得力を持ちます。ユーラシアにいた原人の集団の中からホモ・サピエンスネアンデルタール人、デニソワ人が生まれ、30万年前以降にアフリカ大陸に移動したホモ・サピエンスのグループがのちに世界に広がることになるアフリカのホモ・サピエンスとなり、ユーラシアに残ったグループはネアンデルタール人と交雑したあとに絶滅したというシナリオも考えられるのです。
このシナリオの正当性については、現在発見されているユーラシアやアフリカの原人や求人の化石だけから考えることは難しく、さらに多くの化石証拠を集め、その検証によって結論を得る必要があります。いずれにせよ、ゲノムデータによって異なる人類集団のあいだの交雑が明らかになったことで、これまでアフリカだけを対象として研究されていたホモ・サピエンスの起源について、より地理的な範囲を広げて考える必要が出てきたことは確かでしょう。

出アフリカ

ゲノム解析から、数十万年以上も前のホモ・サピエンスネアンデルタール人の交雑が明らかになっていますので、ホモ・サピエンスがアフリカで誕生したのだとしても、そのころにはすでに出アフリカを成し遂げていた可能性も低くありません。この意味での「出アフリカ」の舞台となるのは、アフリカと陸続きのレバントと呼ばれる東部地中海沿岸地方だと考えられています。特にエジプトと接する現在のイスラエルでは、ネアンデルタール人ホモ・サピエンス双方の化石が出土しており、ホモ・サピエンスの出アフリカを考える上で重要な証拠を提供しています。
ヘブライ語で「洞窟群の渓谷」を意味する、イスラエルのカルメル山麓にあるナハル・メアロット渓谷には、タブーン洞窟とスフール洞窟という、ネアンデルタール人ホモ・サピエンスの化石が出土している洞窟があります。この地域でもっとも古いネアンデルタール人骨は、タブーン洞窟から出土したもので、17万~10万年前のものとされています。アムッド洞窟やケバラ洞窟など、イスラエルの他の地域で発見されたネアンデルタール人骨はいずれも6万年ほど前のものと考えられており、タブーン洞窟のネアンデルタール人とのあいだには時間的に大きなギャップがあります。
一方、スフール洞窟から発見されているホモ・サピエンスの化石は13万~10万年前と推定されており、タブーン洞窟のネアンデルタール人よりは新しい可能性があります。それでも、他のネアンデルタール人よりは古くなります。エズレル平野にあるカフゼ洞窟から出土したホモ・サピエンスは9万年ほど前のものとされ、これも新旧のネアンデルタール人の生息時期のあいだに挟まっています。
2018年には、タブーン洞窟やスフール洞窟と同じカルメル山中にあるミスリヤ洞窟で、2002年に発見されていたホモ・サピエンスの上顎化石がおよそ18万年前のものだったと報告されています。この地域でもっとも古いネアンデルタール人よりも、さらに古い時代にホモ・サピエンスが進出していた可能性が示されたのです。
一般に西アジアでは、寒冷期にはネアンデルタール人が居住し、温暖期にはホモ・サピエンスが住んでいたと考えられています。ヨーロッパや中東に住んでいたネアンデルタール人の南下とアフリカのホモ・サピエンスの北上が、この地で時代的な交代を起こしていたと考えられてきたのです。しかし、ミスリヤ洞窟のホモ・サピエンスの発見によって、タブーン洞窟のネアンデルタール人ホモ・サピエンスが同時代に暮らしていた可能性も考える必要があることになりました。同時代に同所的に生活していれば、当然交雑が起こる可能性がありますから、両者の古い医大の交雑の場所は、この地域だった可能性があります。

レバントに注目すると、ホモ・サピエンスの「出アフリカ」は20万年近く前までさかのぼることになります。とはいえ、アフリカに隣接するこの地域への進出は、ホモ・サピエンスの歴史の中でそれほど大きな意味があるわけではありません。さらなる遠方への進出こそが重要になります。現代人のゲノム解析から、ホモ・サピエンスの世界展開は6万年前以降のことで推測されています。

ただし、中国南部のいくつかの洞窟からは、12万~8万年前のものとされるホモ・サピエンスの化石が報告されており、2019年には、ギリシャのアピディマ洞窟の化石が21万年前のホモ・サピエンスであると発表されています。6万年前より古いとされるホモ・サピエンスの化石は、東南アジアやオーストラリアからも報告されています。いずれも形態や年代に問題があるため、それらをただちにホモ・サピエンスの早期の出アフリカの証拠として認定するのは難しそうですが、ホモ・サピエンスの世界展開が、ゲノム解析から推測されるよりも前に成し遂げられていたという証拠はこれからも増えていくと思われます。