じじぃの「科学・地球_398_人類の起源・初期のホモ・サピエンス」

What Did Humans Really Look Like 200,000 Years Ago?

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ntaO56QZhq8

自然人類学第8回講義資料

ネアンデルタール人と現代人の頭骨の比較
旧人ネアンデルタール人)の特徴は、地域変異が大きいことである
(片山一道他著「人間史をたどる:自然人類学入門」より)
http://web.sugiyama-u.ac.jp/~ihobe/member/anthro/8.html

『人類の起源 古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」』

篠田謙一/著 中公新書 2022年発行

第3章 「人類揺籃の地」アフリカ――初期サピエンス集団の形成と拡散 より

アフリカで誕生したホモ・サピエンス

現在では、ホモ・サピエンスがアフリカで誕生したということはほぼ定説となっています。もっとも古いホモ・サピエンスの化石が、アフリカの30万年ほど前の地層で発見されていますし、それに続く時代の化石もアフリカでのみ発見されているからです。
しかしながら、ネアンデルタール人やデニソワの共通祖先から分岐したのが60万年ほど前なのにもかかわらず、誕生からかなり長期間にわたってホモ・サピエンスの祖先と考えられる化石がないことや、数十万年前にネアンデルタール人とのあいだで交雑があったことなどを考えると、ホモ・サピエンスの最初の祖先はアフリカではなくユーラシア大陸にいたるのでないかという解釈も、一定の説得力を持ちます。ユーラシアにいた原人の集団尾中からホモ・サピエンスネアンデルタール人、デニソワ人が生まれ、30万年前以降にアフリカ大陸に移動したホモ・サピエンスのグループがのちに世界に広がることになるアフリカのホモ・サピエンスとなり、ユーラシアに残ったグループはネアンデルタール人と交雑したあとに絶滅したというシナリオも考えられるのです。
このシナリオの正当性については、現在発見されているユーラシアやアフリカの原人や求人の化石だけから考えることは難しく、さらに多くの化石証拠を集め、その検証によって結論を得る必要があります。いずれにせよ、ゲノムデータによって異なる人類集団のあいだの交雑が明らかになったことで、これまでアフリカだけを対象として研究されていたホモ・サピエンスの起源について、より地理的な範囲を広げて考える必要が出てきたことは確かでしょう。

初期のホモ・サピエンスの姿

一般にホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人などの他の化石人類と比較すると、小さくて繊細な顔面部、下顎の先端の飛び出し(オトガイ)があること、眼窩(がんか)の上の高まりが弱く眉弓を形成していること、高くて丸い頭蓋冠を持つことなどが特徴として挙げられています(図.画像参照)。
アフリカでは、モロッコのジュベル・イルードで発見された全身の骨格を含む五体(30万年前)、南アフリカのフローリスバッドから発見された顔面部と頭蓋冠の化石(26万年前)、エチオピアのオモ・キビシュ(23万3000年前)とヘルト(16万年前)のそれぞれ1号と2号の頭蓋骨など、30万年前以降の、いわゆる初期のホモ・サピエンスと考えられる化石が何退か発見されていり、それらの形態学的特徴から初期のホモ・サピエンス(古代型ホモ・サピエンス)の特徴が推定されています。ただし、30万~15万年前まではアフリカ全域で文化的には均一だったと考えられているものの、それらの化石同士のあいだの形態については、違いが大きいこともわかっています。
ジュベル・イルードの頭骨は、顔面部の形態はホモ・サピエンスといってよいものですが、頭蓋冠はネアンデルタール人などの旧人に似ています。
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個々の化石を見ていくと、30万年前から10万年ほど前までのアフリカでは、ホモ・サピエンスの特徴とそれ以前の化石人骨の特徴がモザイクのように散らばっています。それが、時間が経つにつれて徐々に現代型のホモ・サピエンスとして完成していくように見えるのです。

最終的に現代人と同じようなホモ・サピエンスとして完成するのはおよそ10万年前以降のことであると考えられています。

こうした現象は、ひとつのホモ・サピエンスの系統が単純で進化して誕生したのではなく、広い地域のさまざまな交流の中から現代型ホモ・サピエンスが形作られたと考えるほうが、理解しやすくなります。現在では、アフリカに住んでいた古代型ホモ・サピエンスのさまざまな系統が、現代人の成立に関与したと考えられています。コンゴやナイジェリアでは、古典的な特徴を備えたホモ・サピエンスの2万~1万年前の化石も見つかっています。ですから、古い系統に属するホモ・サピエンスもかなりあとの段階まで生存していたと考えられています。
13万5000~7万年前までのアフリカは、極端な乾燥化と湿潤な気候が交互に現れる大きな気候変動を繰り返していました。大陸の内部に、時代によって異なるさまざまな世態系が出現したはずです。ホモ・サピエンスの集団も異なる環境に分かれて生活し、それぞれが独自に適応をしていったと想像されます。自然からの恵みに頼る彼らの生存が脅かされる事態も多かったことでしょう。同時に、ホモ・サピエンスはこの時期にさまざまな文化的要素を発達させていったに違いありません。生存の危機は、新たな能力を身につけるチャンスでもあります。もちろん、対応に失敗して滅亡してしまった集団も数多く存在したと考えられますが、環境に対する文化的な適応を成し遂げた集団が生存の可能性を高めていき、時に交雑していったことで、現代型ホモ・サピエンスが完成したのでしょう。
アフリカの現代人の成立を考えるときには、サハラ砂漠の南と北では、成立の歴史が大きく異なっていることに注意が必要です。サハラ砂漠より南の地域(サハラ以南)は真の意味で人類の誕生の地と考えられており、人類史の中でとりわけ重要な意味を持っています。アフリカを人類の故郷であるというときは、通常はこのサハラ以南の地域を指しています。サハラ砂漠は人類の拡散に対して大きなバリアとして機能するために、この南北で集団の成立に関して異なるシナリオが描かれるのです。
ただし、化石証拠から考える初期のホモ・サピエンスの進化では、アフリカの全域で化石が発見され、サハラは大きな障壁とはなっていないようにも見えます。これは、10万年を超えるような長いスパンで歴史を考えるときには、地球の寒冷化と温暖化のサイクルの影響で砂漠が湿潤化する時期を含むので、その影響が見えなくなるということを示しているのでしょう。