じじぃの「科学・芸術_1002_台湾・国際経済・貿易・TPP加盟申請」

台湾がTPP加盟申請で閣僚から歓迎の発言相次ぐ(2021年9月24日)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0lzZH4RRozo

台湾は2021年9月に、TPPへの加盟申請を行った


台湾のTPP加盟後押しは日本の「喫緊の課題」

2021年10月15日 Wedge ONLINE
9月16日の中国に続き、台湾は9月22日にTPP(環太平洋経済連携協定)への加盟申請を行った。
中国は、台湾が加盟申請したことに対し、ただちに、「台湾は中国の不可分の一部であり、もし台湾が中国との『統一』を拒否し続けるならば、中国は台湾に侵攻する」と威嚇した。この言い方は台湾についての中国の最近の常套句そのものである。
日本は、これまで高度の経済力、技術力をもち、民主主義の価値観を共有する台湾を、日本にとっての「重要なパートナー」として位置づけ、台湾がTPPに加盟することを支持するとの立場を維持してきた。茂木敏充外相は台湾の加盟申請の発表に対し、直ちに「歓迎」の意を表明したが、その際、「中国の加盟にとっては、高いレベルの条件を満たすだけの用意が出来ているかどうかしっかり見極める必要がある」旨発言している。
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/24491

『台湾を知るための72章【第2版】』

赤松美和子、若松大祐/編著 赤石書店 2022年発行

Ⅱ 政治と経済 より

第21章 国際経済――輸出志向工業化・金融自由化・国営企業民営化・WTO加盟

台湾は貿易依存度、すなわちGDPに対する貿易総額の比率が高く、世界との強いつながりの中で経済発展を続けてきた。
台湾の貿易依存度は、1950年代に20%代、60年代には30%代を推移していたが、70年代初頭に50%を超え、79年から81%までは90%を超えていた。その後、99年まで7~8割で推移し、2004年からは100%を超えるようになった。貿易収支は、1970年までに赤字であったが、71年からは、石油危機の74~75年を除いて常に黒字で、長期に渡って輸出超過の状態である。加えて、2004年以降15年までは輸出がGDPの6割、2015年以降も5割以上を占め、貿易黒字はGDPの7~9%を占める。
この経済構造は、1950年代末から台湾の政府は国民が共に外貨の獲得に邁進し、それが成功した結果といえる。台湾は、1950年代には外貨不足のため、輸入品を減らすための工業化戦略である輸入代替を採用したが、技術や資本が不足し、加えて原材料を輸入に頼らねばならず、貿易赤字がGDOの5分の1から3分の1を占めるほど大きくなっていた。加えて、1960年代にはアメリカの経済援助に頼っていた物質等が受けとれなくなる事態に直面し、軍事支出の大きかった臨戦体制下の国家として、いかにして外貨を稼ぐかが重要な政策課題となったのである。
    ・
高雄港は、もともと天然のラグーン(水深の浅い水域)になっており、清代には安平(台南)港と並んで南部の2大港湾であったが、近代に大型船の利用が進むと、その地形を利用して整備が重ねられ、台湾で最大の港に発展した。高雄港は台湾の輸出加工業に伴って発展し、コンテナ取扱量が、1975年の世界24位から、85年には4位、95年から99年は香港、シンガポールに次いで、3位にまで上り詰める。2000年代になると上海、深圳、釜山などの追い上げに遭い、05年には6位、15年には13位、20年には17位と相対的な地位は低下した。とはいえ、高雄輸出加工区は、中国の経済特区ベトナムのタントゥアン輸出加工区など、途上国発展のモデルとして広く応用されている先駆的な存在である。
輸出加工区の成功は、貿易黒字だけではなく、外資系企業の進出による技術移転と、それに伴って加工区以外の地域での輸出工業化を牽引する結果をもたらした。1970年代から本格的な国際的孤立状況に陥った中華民国政府は、台湾をますます「自由中国」のショーケースと認識するようになり、国内では産業高度化、ハイテク化を推進すると同時に、1984年に蒋経国総統が「国際化、自由化、制度化」という政策方針を明言した。自由化とは具体的には「貿易自由化、金融自由化、産業経営の自由化」である。第18章で触れたように、戦後台湾の経済は、主要な工業や銀行などの金融業がすべて公営化されていたという統制経済に近い体制が残っており、民間企業の自由な経済活動は制限されていた。
    ・
国際化をにらんだ国内経済の自由化は、蒋経国の死後、李登輝政権下の1989年頃から本格化した。この年、公営企業民営化政策が始動され、また、7月には銀行法が改正されて金利が自由化されたと同時に民営銀行の設立が可能になった。90年4月には財政部が「商業銀行設立標準」を発布し、91年から92年にかけて16行の新銀行が設立された。このころ台湾はGATT=WTO世界貿易機関)への加盟申請をし、91年にはAPECアジア太平洋経済協力)への参加を成功させるなど、経済力と自由化および透明性を高める改革で外交面での前進を勝ち取っていたといえる。同年、1954年の発布以来となる。「国営事業移転民営条例」の改正が実施され、92年には競争法である「公平交易法」が制定、また、98年に政府の物資調達や公共事業の入札における公平なルールを定める「国家採購法」が発布された。もっとも、台湾が「自由経済」の中で経済発展をしてきたというのであれば、これらの法整備のタイミングは、非常に遅かったと言わざるを得ない。戦後初期には統制的な一面の強かった台湾経済の、制度面での国際化と自由化は、中国経済の台頭によって国際社会で中華人民共和国の発言力が増す中で、国家の生き残りをかけた改革となったといえよう。
2001年11月WTO閣僚会議の承認により、中国は同年12月、台湾は2002年1月に加盟が認められた。とはいえ、中華民国と国交関係を持つ国は、1969年の70ヵ国を最大に、1970年代には22ヵ国にまで減少し、1990年代には一旦30ヵ国まで盛り返すが、2021年時点では14ヵ国と半減している。台湾の国際社会での存在空間は圧迫を受け続けているのである。加えて、台湾のWTO以外の主要国際機関の参加は実現しておらず、2009年からはオブザーバー参加していたWHO(世界保健機関)総会への招待状が2017年には届かなくなった。しかしながら、2019年末からの新型コロナウイルスの世界的なパンデミックおよびそれに対する対処に際して、台湾を防疫上の空白とすることは現実的ではないという意見は国際社会からも多く寄せられている。
さて、2021年8月16日に中国がTPPへの加盟を申請し、それに反応するかのように同月22日に台湾も正式に加盟を申請した。

台湾は地理的、人口規模的に大国ではないが、工業の章で述べたように、世界経済の中で極めて重要な役割を担う産業分野をいくつも抱えている。経済や防疫など人々の生活を守る部分で、台湾は国際社会と深くつながっており、その点についてコミュニケーションのパイプを増設していくことは今後世界のためにもますます重要になるであろう。