じじぃの「科学・地球_343_世界を変えた100のポスター・エイズ・ポスター」

AIDS Poster


Preview - Epidemic: When Britain Fought Aids

9 JULY 2017 OnTheBox
Mandatory Credit: Photo by Ltd/REX/Shutterstock (UK) Ltd/REX (130489a) 'Aids - Don't Die of Ignorance' - Government health warning poster AIDS HEALTH WARNING CAMPAIGN, BRITAIN - 1986 AIDS; HEALTH; WARNING; CAMPAIGN; BRITAIN; 1986; DON'T; DIE; IGNORANCE; GOVERNMENT; POSTER; Stock; Not-Personality; 2824954. Picture Publicist: Jamie Fry. Photographer: Ltd/REX/Shutterstock
https://www.onthebox.com/television/preview-epidemic-when-britain-fought-aids/

『世界を変えた100のポスター 下 1939-2019年』

コリン・ソルター/著、角敦子/訳 原書房 2021年発行

090 エイズ・ポスター より

AIDS Poster[1986-1987年]

1986年、HIVによって生じるエイズの大流行が抑制不能になった。このとめどもなく広がりを見せる疫病の治療法はは見つかっていなかった。治療の手立てがないなら、感染拡大とたたかう唯一の方法は予防になる。イギリスとアメリカの両政府は、さまざまなメディアで啓蒙キャンペーンを開始した。

1981年、アメリカではじめてエイズ後天性免疫不全症候群)が確認され、それから数年以内に、エイズHIV(ヒト免疫不全ウイルス)によって引き起こされることがわかった。このチンパンジーに由来するウイルスは、1920年代のベルギー領コンゴでヒト型に変異していた。チンパンジーは、人間にとって動物界に現存する一番の近縁腫にあたる。
エイズは[ゲイの疫病]と呼ばれた。その広がりが加速するにつれて、人々はパニックに似た状態になった。この病気については大きな誤解があった。原因も人から人への感染の仕方も正しく理解されていなかったのだ。イギリスは1986年に国としてははじめて、この問題への偏見をとり除き、国民を啓蒙する試みを始めた。
イギリス政府内では、この問題に取り組む方法論で意見の不一致があった。エイズ感染がもっとも若者に多かったのは、人口の中で性的にとくに活発な層だからだ。当時のマーガレット・サッチャー首相が「ヴィクトリア朝的価値観」の道徳を支持したのはよく知られている。ことフリーセックスにかんしては、禁欲的な意見に味方していた。
だがノーマン・ファウラー保健省は主席医務官のアドバイスを聞いていた。このアドバイスは、第一次世界大戦中に兵士の性感感染症に対処した経験にもとづいており、禁欲を非現実的な目標だとした。それ以上に内閣の性的不祥事がまた明らかになれば、このような取り組みはどうしても土台から揺るがされることになる。直前にそうしたスキャンダルが何件も起こっていたのだ。性に寛大な1960年代に育ったファウラーは、具体的な性の健康啓蒙キャンペーンが望ましいとして、現実的な予防措置とリスクの認識を促進した。
イギリス政府はキャンペーンの見出しに、「無知のために死なないで」という脅かし文句を故意に使った。キャンペーンを考案したのは、広告代理店役員のサミー・ハラリだった。このキャンペーンではイギリスの各家庭にチラシを配布し、一連のポスター掲示板に貼り、崩れる崖と氷山から始まるショッキングなテレビ広告を流した。映像には俳優、ジョン・ハートの鬼気迫るナレーションが重ねられた。場面が移り、「エイズ」の文字だけがくっきり彫られた巨大な墓石に、キャンペーンのちらしとユリの花束が添えられる、というストーリーだ。
アメリカはそれに続き1997年に、「アメリカはエイズに対応するAmerica Responds to AIDS」を旗印にキャンペーンを展開し、性行為での感染のみならず、注射針の使いまわしの危険性にも取り組んだ。イギリスのポスターではショック療法が用いられたが、アメリカのこのシリーズではただの若者の写真が掲載され、リスクは誰にでもあるというメッセージが伝えられた。
両国のキャンペーンの批判者には、カトリック教会も混じっている。たとえ命を救うためだとしても、コンドームの推奨にかんしては反対の立場にいたのだ。安全なセックスの推進は、フリーセックスを助長するだけだと主張する者もいた。
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だがどちらのキャンペーンも、エイズについて公の場で話し合うきっかけを作ったという点では、決定的な役割を果たした。医学的な理解が進んだり、ダイアナ妃のような著名人がエイズ患者を見舞ったりしたことが、すべてこの病気への認識を変えた。ポスターだ出たあとの1980年代後半には、新規感染者の数は激減した。どちらのキャンペーンも成功だったのだ。