じじぃの「現代の蘇生者・フランケンシュタイン!不死の講義」

Frankenstein Ladybird Horror Classics

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=X4mNMHlLZXE

Frankenstein: the Monster's Story

Frankenstein Reading Room: WEIRD "Frankenstein: the Monster's Story

Tuesday, October 11, 2016 Atomic Kommie Comics
https://atocom.blogspot.com/2016/10/frankenstein-reading-room-weird.html

ケンブリッジ大学・人気哲学者の「不死」の講義』

ティーヴン・ケイヴ/著、柴田裕之/訳 日経BP 2021年発行

【目次】

第1部 「生き残り」シナリオ ーStaying Alive―

第2部 「蘇り」シナリオ ーResurrection―

第3部 「霊魂」シナリオ ーSoul―
第4部 「遺産(レガシー)」シナリオ ーLegacy-

第5章 フランケンシュタイン――現代の蘇生者 より

自然の征服――死を永遠に征服するための「生命の原理」

前章で見たように、初期のキリスト教は、神が間もなく信者を生き返らせ、永遠の幸福の中で暮らせるようにしてくれると約束することで栄えた。だが、その「終わりの時」を待つ日々が延々と続き、神の善意をそこまで確信してよいのかどうかを、さらには、神は本当に存在しているのかどうかさえも、多くの人が疑うようになった。
したかって、待ちくたびれた人や疑いを抱いた人は、独自の「蘇りシナリオ」の構築に取り掛かった。固有の楽園を保証する、終末論伝承の非宗教版だ。そのシナリオは、途方もない力を発揮して人間の進歩を促し、今日の私たちの世界観の大半を形作っている。
その主張は単純で、神に蘇らせてもらうのを待つ必要はない、それは私たち人間が自ら獲得できる力だ、というものだ。

私たちは「生命の原理」を発見しさえすればよい。そうすれば、死を永遠に征服することができる。

だが、これまたすでに見たように、蘇りを理解しようとする初期の試み、すなわち、身体の構成要素が単に元どおりにまとめられるという「再組み立て説」には大きな欠陥があった。本章では、その代替として、蘇るのが分身の類ではなく、本当に本人であることを保証できるような説を詳しく調べることにする。
だがその前に、メアリー・シェリーとその同伴者たちが、科学が生徒死を制御できる寸前まで来ていると信じられるようになった経緯と、その信念が私たちの世界をどのように形作ってきたかを見てみよう。
メアリー・シェリーが『フランケンシュタイン』を執筆していた頃、科学は自然界の諸法則の新たな権威としての地位を確立し始めていた。前の世紀には、入念な観察と綿密な実験という科学的方法が、錬金術師たちの蒙昧(もうまい)な手法からすっかり姿を現した。秘密の会合が公の科学団体に取って代わられ、暗号化された書物は公される公刊される雑誌に道を譲った。だが、方法こそ変わったものの、目的は同じで、自然の支配と死の必然性の克服だった。
メアリー・シェリーは自作の物語の中で、若き科学者である主人公ヴィクター・フランケンシュタインの経歴に、こうした展開を反映させている。彼はまず、錬金術に手を出し、不老不死の霊薬を探した後、代わりに物理学と化学の力を確信するに至った。大学では、以下のようなことを学ぶ。「顕微鏡や坩堝(るつぼ)を覗く」科学者が「本当に奇跡を行なってきた」のだし、「新しい、ほぼ無限の力を獲得してきた。彼らは天の雷を支配したり」「地震を人工的に引き起こしたりできる」。
これが新たな不死のシナリオの言語であり、それは科学に神々の力を持たせる。
第4章では、以前の文明が古い型どおりの儀礼を通して自らの運命を制御しようとしたことを見たが、科学に初期の成功は自分の運命を管理する上で儀礼よりはるかに能動的で効果的な手段を提供した。それは制御と征服のシナリオで、メアリー・シェリーはそれを捉え、「自然の奥底まで入り込み、人目につかぬところで自然がいかに働くかを示す」ことを目指す雄々しい科学者たちの描写に反映させた。
「私たちは意志と理性の力によって自然の支配者になれる」という、その時代の新しい気風に、フランケンシュタインはすっかり染まっている。
つまるところ、私たちが死なねばならぬことを定めているのは自然であり、そのせいで私たちは関節が動かなくなり、皮膚に皺ができ、癌に襲われる。永遠に生きるためには、私たちは神のようにこうした自然の限界を超えねばならない。
したがって、これが科学の壮大な事業であり、「死のパラドックス」に対する回答だ。自然は死と疾患を人間に対して意図しているかもしれないが、私たちは自然を征服して、その計画を頓挫させることができる。
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若き科学者フランケンシュタインは、この最後の足枷(あしかせ)を打ち壊す気になっており、そのため、この新しいシナリオの傲慢さと野心を体現している。今日、彼の後継者は、しだいに数を増すテクノロジー愛好家であり、科学と社会の第一人者であるブラッデン・・R・アレンビーとダニエル・サレヴィッツに言わせれば、彼らは「不死と、人間として完璧な状態と、自然の支配と、個人に対して時間と空間が課す限界の超越の追及を、明確に目指している」。
科学で自然を屈服させ、死を征服できるという信念は、宗教伝統の対極に位置づけられることが多いが、実際には終末論的キリスト教の「蘇りのシナリオ」を厳密にたどっている。メアリーの夫の・パーシー・シェリーや、父親で急進的な哲学者・著述家のウィリアム・ゴドウィンを含め、科学の進歩の予言者たちは、人間の境遇の脆弱性が超越されるであろう理想郷が間もなく到来することを約束した。
これはもちろん、イエス・キリストと聖パウロが説いたことにはほかならない。彼らは、最後の審判の日と、それに続く地上の天国の到来を予言した。第1の違いは、神による奇跡の行為が蘇りをもたらすのではなく、私たちが科学を通して自ら蘇りを達成することになる点だった。

生と死、そして再生という自然の周期に則って生きること

身体の儚さに気づいており、身体が死んでから蘇る能力に懐疑的な人の多くは、したがって、永遠が生の別の達成手段として、霊魂を頼みとしてきた。地球上の人の大半は、自分には霊魂があると考えており、そのほとんどが、霊魂が自分を死後の生へと導いてくれると思っている。そして、多くの人が、多数の古代ギリシャ人が熱烈に提唱した見方を採用している。
それは、霊魂の生は肉体の不道徳で頻雑な生よりもはるかに高潔だという見方であり、それをメアリー・シェリーは、永遠の生についてのさらに別の考察の文章、「死を免れぬ不死の存在」で明確に表現している。

自由を渇望する霊魂にとっては、あまりに執拗な檻(おり)であるこの身体を、私は空気と水という破壊的な自然の力に委ね……そして、私の身体を構成している原子を四散させ、消滅させることで、生を解放する。内に閉じ込められ、この薄暗い地球から、その不死の本質によりふさわしい領域へと舞い上がるのを、これほど残酷に妨げられていた生を。

次の2つの章では霊魂という概念がどのように文明を形作ってきたか、そして、霊魂が不死の本質を本当に提供してくれるかどうかを示すことにする。まず、天国で始め、煉獄(れんごく)と地獄を経て、再び最も現代的な研究室へと進む。そして、この旅の最初の部分では、道案内は、死後の生に精通したダンテ・アリギエーリに務めてもらおう。