じじぃの「科学・芸術_160_イギリス・フランケンシュタイン」

Frankenstein 1931 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=aKoPr-Q7QSk
Frankenstein 1831

21世紀のフランケンシュタイン

名著41「フランケンシュタイン」:100分 de 名著 「第2回 疎外が邪悪を生み出す」 2015年2月11日 NHK Eテレ
【司会】伊集院光武内陶子 【ゲスト講師】廣野由美子(京都大学大学院教授)
一人うち捨てられた怪物は元々善良な存在だった。
ある家族との出会いや読書体験を通して怪物は「人間」として目覚め始める。それもつかの間、姿が醜いというだけで苛烈な迫害を受け始め、いつしか怪物は人類に復讐を誓うようになった。怪物の視点に立つと、この作品は「人はなぜ生きるのか」を問い続けるアイデンティティ探求の物語として読める。また、善良な怪物が邪悪に染まっていく過程を見つめると、社会的な疎外や迫害が人間を歪め、やがて犯罪や悪を生み出していくという構図が透けてみえてくる。
第2回は、「怪物の告白」を読み解くことで、「人間存在とは何か」「社会になぜ悪が生まれるのか」といった普遍的な問題を考えていく
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/41_frankenstein/
『イギリスを知るための65章【第2版】』 近藤久雄、細川祐子、阿部美春/著 赤石書店 2014年発行
ユートピア文学とSF フランケンシュタインの子どもたち (一部抜粋しています)
フランケンシュタインの常識と言われるものがある。「誰もが『フランケンシュタイン』の話をするが、誰ひとりとしてそれを読んではいない」。この知名度の高さは、映画と、そこから生まれた数多くの視覚イメージによるところが大きい。原作は、19世紀初頭のイギリス。当時まだ10代の女性によって書かれた恐怖小説である。彼女が現実に見た、科学者による生命創造の悪夢をほぼそのまま書き綴ったのが始まりだった。現代の私たちが思い浮かべるフランケンシュタインの怪物イメージは、手術跡のある四角い顔、ボルトが突き出た顎、長身でぎこちない動き。これは1931年の映画『フランケンシュタイン』(監督ジェイムズ・ホェール)のボリス・カーロフ演じる怪物に由来する。この映画は、19世紀初頭に舞台化された『フランケンシュタイン』の伝統を受け継ぎ、原作を離れた怪物イメージをひとり歩きさせることになった。大当たりをとった映画は、その後1935年『フランケンシュタインの花嫁』、1939年『フランケンシュタインの復活』とシリーズ化され、現在私たちが知る怪物像を定着させた。
原作の怪物(図版.画像参照)は、身長およそ2メートル40センチ、黄色い肌の下に筋肉や動脈の動きが透けてみえる。流れるような黒髪、真珠のように白い肌、涙ぐんだ目は、それが収まるくぼみと見分けがつかない薄茶色、しなびた顔に真一文字の黒ずんだ唇、という要望の持ち主である。この怪物には名前がない。えっ? と思うかもしれない。科学者は、自分が創造した新人類のあまりにも醜さに怖気をふるい、感性直後に、名前さえつけずに見捨てたからだった。
ともあれフランケンシュタインは、創造物ではなく科学者の名前なのだが、この誤解は定着し、辞書では、フランケンシュタインあるいはフランケンシュタインの怪物とは、「制御不能の破壊力」、「創造主に対する脅威」と定義される。科学者フランケンシュタインの名は、科学や恐怖と結びつき、いつの間にか、その創造物と異なって記憶されることになった。その不安は、たとえば、近年の遺伝子組換食品が、フランケン・フードと呼ばれ、また1997年クローン羊ドリーが誕生した年、雑誌『ニューヨーカー』の表紙に、1931年の映画で科学者が生命を創造する場面のパロディが使われたところにも見ることができる。
この不安と恐怖は、「ロボットが創造物を破滅させる」というSFのお決まりの展開となり、夥しい数の『フランケンシュタイン』の子どもを生み出すことになった。SF作家アイザック・アシモフは、創造者である人間が自らの創造物に復讐されるという強迫観念を、皮肉をこめてフランケンシュタイン・コンプレックスと名づけ、科学とテクノロジーを暴走させない物理的・倫理的安全装置として、「ロボットは人間に危害を加えてはならない」で始まるロボット3原則を提唱した。
作者メアリー・シェリー(1797〜1851)自身は、科学やテクノロジーのはらむ危険をはっきりと意識して作品を書いた訳ではなかったが、フランケンシュタインによる創造の顛末は、近代科学のはらむ脅威を物語っていることは確かだ。大学医学部で近代科学に開眼したフランケンシュタインは、自然の秘密を解き、生死をコントロールするという神にも等しい力を手に入れる。原作では、ギリシャ神話の最高神ゼウスを象徴する雷の力が暗示される。『フランケンシュタイン』のサブタイトル「現代のプロメテウス」は、最高神に抗ったギリシャ神話の英雄ロメテウスの姿を彷彿させる。それと同時に、わが身を犠牲にして人類を保護したプロメテウスとは対照的な近代科学者の姿を浮かび上がらせる。そう、フランケンシュタインとは、神をも恐れぬ人間とその術のもたらす悲劇を表象する。
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イギリスのSF批評家・作者B・オールディスは、『十億年の宴 SF その起源と歴史』(1973)で『フランケンシュタイン』を、喜びに満ちた恐怖を描くゴシックを継承し、人間のあり方と恐るべき謎を描くSFの起源と位置づけた。さらに「怪物」に、社会の辺境にうごめく存在が呼び起こす漠然とした不安や、人間の意識下の不安の表象を見いだした。フランケンシュタインと怪物の子孫は、時代の変化につれ、たえず新たな意味を帯びて、文学はもちろん、映画、漫画、さまざまなジャンルで繁殖しつづけている。日本では、伊藤計測と、彼の死後その後を引き継いだ円城塔が、死体再生をモチーフに「屍者の帝国」(2012)を書いている。