じじぃの「歴史・思想_548_白人侵略・第一次世界大戦」

WORLD WAR 1 FACTS | SUMMARY OF WW1 FOR KIDS

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=OGfAf45ddCo

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5分でわかる!払えるワケがない!ドイツを苦しめたお金のトラブル

映像授業のTry IT
●借金返済に苦しむドイツ!フランスはルール地方を占領
第一次世界大戦後、敗戦国ドイツは連合国と ヴェルサイユ条約 を締結しました。ヴェルサイユ条約ではドイツの 賠償金支払い が規定され、後に総額が1320億金マルクと決定しました。
1320億金マルクは、現在の日本円にして約 200兆円 に相当します。当時のドイツの国家予算の何十年分にもあたる金額でした。
https://www.try-it.jp/chapters-12062/lessons-12077/point-2/#:~:text=%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7,%E3%82%82%E3%81%82%E3%81%9F%E3%82%8B%E9%87%91%E9%A1%8D%E3%81%A7%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82

『白人侵略 最後の獲物は日本』

三谷郁也/著 ハート出版 2021年発行

第7章 引き金 より

激化するセルビア人の民族運動に手を焼いたオーストリア政府は、2州に住むセルビア人を威嚇するため、1914年6月27日に、ボスニアサラエボで兵士2000人による軍事演習を行った。
この演習に、オーストリア皇太子フランツ・フェルディナンド夫妻が閲兵に訪れた。
翌日午前10時、皇太子夫妻は、サラエボの市役所で開かれる歓迎会に出席するため、オープンカーでサラエボ市内へ入った。
車列はサラエボ市内を東西に流れるミリヤッカ川沿いの道路を東に進み、会場に向かった。
沿道は、皇太子夫妻を一目見ようとする多くの群集で埋め尽くされ、この地に住むセルビア人たちは、新たな支配者に憎悪と好奇の目を向けた。
その群集の中に。皇太子の命を狙う7人のテロリストが潜んでいた。
10時10分、オープンカーが市庁舎まで残り2キロのチュムリヤは市に差しかかった所で、商店が立ち並ぶ北側の沿道から車道に出てきたテロリストの1人が、車の中めがけて爆弾を投げ込んだ。
が、投げるタイミングが遅れた。
    ・
店を出たテロリストの目の前にフェルディナンド夫妻を乗せた車が停まっていた。
テロリストが慌てて発砲した銃弾は、手元が狂って手前にいた皇太子妃ゾフィーの腹部を貫き、2発目がフェルディナンドの首に命中した。
ゾフィーはフェルディナンドの膝の上に倒れ込み、フェルディナンドの首から迸(ほとばし)る鮮血は着用していた軍服を赤く染め上げた。
フェルディナンド夫妻を撃った男は拳銃自殺をしようとしたが、その場で取り押さえられた。
フェルディナンド負債を乗せたオープンカーは、猛スピードで2人を総督官舎へ運んだが、ゾフィーはすぐ絶命し、ゾフィーを気遣った皇太子も15分後には息を引き取った(「サラエボ事件」)。

第8章 炎上 より

8月5日には、オーストリアセルビア支援を表明したロシアに宣戦布告し、8月6日にはセルビアオーストリア支援に回ったドイツに宣戦布告、8月10日にはフランス、11日にはイギリスがドイツの同盟国オーストリアに宣戦布告して、戦火は瞬く間にヨーロッパの中央から北東まで燃え広がった。
参戦各国は、海外の支配地からも移住者と先住民を招集してヨーロッパの戦場に駆り出し、拒む者はその場で射殺した。

東アジア、黄海東インド洋、太平洋

アジアからも火の手が上がった。
8月4日、山東半島の膠州湾に拠点を置くドイツ東洋艦隊が、太平洋からインド洋に散り、英仏商船やヨーロッパに兵員・物資を運ぶオーストラリア・ニュージーランドの輸送船を撃沈・拿捕して、通商ルートを破壊したのである。
中でも軽巡洋艦エムデンが暴れ回った。
インド洋でイギリス船舶40隻以上を撃沈・拿捕したほか、マドラスにある海軍基地を砲撃して石油タンクを爆破・炎上させる大損害を与え、三国同盟を反故にしたイタリア貨物船も一時拿捕した。
イギリス海軍は、アジアに配備していた70隻の艦艇を繰り出してパトロールに当たったが、警備範囲が広すぎて手が回らなくなった。
そこでイギリス政府は、駐日英大使ウイリアム・グリーンを通じて、8月7日に日本政府に海上警備を依頼してきたのである。
この要請は、日本にとってドイツが租借している膠州湾を手に入れる絶好の機会であった。
膠州湾は黄海に面した海軍基地の建設に打って付けの良港であり、朝鮮半島ウラジオストック、旅順と同様に、日本侵略の拠点となりうる。
日本は日露戦争で苦い経験がある。
旅順港に潜むロシア太平洋艦隊は大きな脅威であり、陸上からの砲撃で殲滅するまでに戦艦2隻を失い、6万人の死傷者を出すという大損害を被った。
ウラジオストック艦隊には大陸に物資を運ぶ輸送船をことごとく沈められ、戦地の部隊が干し上る危機に陥った。
日本はこの戦いに辛勝して朝鮮半島遼東半島を押えたが、ロシアがいつ息を吹き返してくるかわからない。
国土防衛のため、日本としては膠州湾も押さえておく必要があった。
しかもドイツには、三国干渉で遼東半島を返還させられた恨みがある。
時の大隈重信内閣は、イギリスの要請を受け入れて参戦を決めた。
日英同盟に則り、日本はドイツに宣戦布告する」と伝えると、イギリス政府が慌てた。
イギリスは、日本に輸送船の警護をしてもらいたいだけであった。
日本に分け前を与えたくないイギリス政府は「協力の依頼を取り消す」と言ってきたが、日本政府はそれを無視して、8月15日にドイツに最後通牒を手交した。

第12章 同盟国崩壊 より

1918年に入ると、ドイツ軍は、開戦時の動員可能兵力1100万人の50パーセント近い500万人以上の死傷者を出して、戦争継続が困難になりつつあった。
国内でも食糧不足が深刻となり、国民は犬や馬の死肉を奪い合って喰らい、雑草や木の根まで口にするほど切迫して、飢え死にした者は60万人を超えた。

第一次世界大戦では、世界中で600万人の民間人が命を落としたが、その死亡原因で大きな割合を占めたのが「毒ガス」と「餓死」である。

さらにこの年、スペイン風邪が世界中で猛威をふるい、6億人が感染して4000万人以上が死亡した。

栄養失調に陥ったドイツ国民の多くが、スペイン風邪に感染して、死者の増加に拍車をかけた。
街は手足を失った傷痍軍人で溢れ、国民の間には厭戦気分が蔓延した。
ロシアで帝政が倒されたことはドイツ国内にも伝わり、国民がいつ政府に対して暴動を起こすかわからない不穏な空気が漂うようになってきた。
しかもアメリカが戦争準備を完了して、ヨーロッパへ兵員の輸送を開始した。
ドイツ軍司令部は、アメリカ軍の到着までに決着をつけるため、イタリア戦線とバルカン戦線に回していた兵力をすべて呼び戻して総攻撃を決行した。