じじぃの「ポーランドが親日国な訳・シベリア孤児とユダヤ難民救出!ニッポン行きたい」

世界!ニッポン行きたい人応援団 【ポーランドで自ら日本庭園を造り、お茶が飲める日本風家屋も開放している男性をご招待!!】20160804 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dhgF-MvOU4g

世界!ニッポン行きたい人応援団 テレビ東京
ポーランドに住むセバスティアンさんは日本庭園が大好き。日本へは行ったことがないにもかかわらず、なんと写真や本といった資料を見て独学で約2千平米の日本庭園を造り上げているんです。
そんなセバスティアンさんをニッポンへご招待しました!
http://www.tv-tokyo.co.jp/nipponikitaihito/smp/backnumber/?trgt=160804
『国際関係がウラ読みできる ライバル国と友好国』 国際時事アナリスツ/編 河出書房 2016年発行
ポーランド シベリア孤児とユダヤ難民救出が温かい絆を育んだ より
東欧の国ポーランドは、伝統的に親日国として知られる。その底辺にあるのは、人間同士の結びつきだ。世界の国々が戦争を繰り返す中、日本政府や日本人によって多くのポーランド人が救われたことが国民の心に強く刻まれている。
まず挙げられるのが、日露戦争で捕虜になったポーランド人の厚遇である。なぜポーランド人捕虜がいたかというと、帝政ロシア支配下でロシア軍の一翼を担うべく戦場に送られ、日本軍と戦ったからだ。捕虜の数は約4600人にも上がった。
ポーランドはロシア、プロシア(ドイツ)、オーストリアの列強によって、18世紀後半に3ヵ国に分割されてしまった。当時は国家として存在しない状態であり、それが第一次世界大戦の独立まで123年も続いたのである。
後の独立で初代元首となるビウスツキは、日露戦争のさなかに来日し、ロシアに対して破壊工作をする代わりに、みずからの革命を支援してほしいと明治政府に持ちかけた。
この話はまとまらなかったが、ポーランド人捕虜の特別待遇要請は受け入れられ、ロシア人捕虜と切り離されて、終戦まで松山市内で厚遇された。宿敵ロシアを破ったことへの賛嘆と、同胞を救った感謝が広がったのはいうまでもない。
帝政ロシアに組み込まれたポーランド人の人々は、激動の渦の中、シベリアにおいても日本に救われることとなる。
ポーランド独立運動家やその家族ら政治犯などの流刑地として5万人あまりがシベリアに送られ、第一次世界大戦で流民と化したポーランド人もそこに加わっていた。ロシアとドイツの戦闘により故郷を離れた人々である。
シベリアのポーランド人が15万から20万人にまで膨らんだところで、さらに襲いかかったのがロシア革命とそれに続く混乱だった。物資の欠如でシベリアは地獄と化し、飢えや病、寒さで人々は倒れ、死んでいった。親たちは手に入れた食べ物をわが子に与えて先に命を落とし、大量の孤児が死線をさまよっていたのだ。
当時、シベリアには、ロシア革命に鑑賞しようと米国、イギリス、フランス、日本などが出兵していた。そこでウラジオストク在住のポーランド人組織が各国に窮状を訴えたが、孤児救出を聞き入れたのは最後に働きかけた日本政府だった。
1920年と翌年にかけて、日本赤十字が中心となって奔走し、孤児たちが東京へ送り届けられた。栄養失調で衰弱しきった765人の子たちは手厚い看護を受け、多くの市民のあたたかい支援に感謝し、元気を取り戻していった。そして全員揃って涙で旅立ち、祖国への帰還を果したのである。
第二次世界大戦中にも、危機に瀕したポーランド人に手を差し伸べた日本人がいた。リトアニアの日本領事代理、杉原千畝である。
政府の命に背いてビザを発給し、ユダヤ人難民を救った「東洋のシンドラー」として、近年も映画やドラマの題材となった人物だ。このとき助けたユダヤ人の多くは、ポーランドから逃れた人々だった。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ポーランド親日国なのだそうだ。
テレビ東京 「世界!ニッポン行きたい人応援団」というのをよく観ている。
半年ぐらい前だが、ポーランドで自宅に日本庭園を独学で造ったという若い男性が出ていた。
その他には、日本の弓道を愛しているというポーランド女性とか。
この番組は、いろいろ知らない日本のことが出てくるので面白い。