US OPEN 2015決勝 highlight ジョコビッチ(Djokovic)vsフェデラー(Federer) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YqrtA_1w8HQ
ジョコビッチの涙
Rio 2016: Novak Djokovic downed by Juan Martin del Potro in straight sets 8 Aug 2016
Both players embraced at the net and wept at the end of their centre-court duel, played out in front of a raucous Argentine and Serb crowd.
http://www.abc.net.au/news/2016-08-08/rio-2016-novak-djokovic-downed-by-juan-martin-del-potro/7700344
いま世界は 2016年12月25日 BS朝日
【司会】小松靖 【コメンテーター】五十嵐晃司(前朝日新聞編集委員)、ロバートキャンベル(東京大学大学院教授)
●リオデジャネイロ五輪 テニス金メダル候補・ジョコビッチが号泣
リオ五輪におけるテニス競技の男子シングルスは2016年8月6日から8月14日まで開催された。
世界ランクトップ10の選手で出場したのは、ノバク・ジョコビッチ、アンディ・マリー、ラファエル・ナダル、錦織圭、ジョー=ウィルフリード・ツォンガの5人だった。
決勝は前回の金メダリストのマリーがフアン・マルティン・デル・ポトロを破り、優勝した。
3位決定戦では錦織圭がナダルに勝利した。日本人テニス・プレーヤーとしては96年ぶりの表彰台だった。
世界ランク1位のジョコビッチは1回戦でポトロに敗れた。
当時、世界ランキング1位のジョコビッチはリオ五輪で金メダルの大本命だった。しかし、格下の選手にまさかの1回戦で敗退した。
試合終了後、コートを立ち去るジョコビッチの目には涙があった。
五輪で金メダルをとっても賞金はなく、世界ランキングにポイントは加算されないため、五輪を軽視する選手も少なくない。
リオ五輪では、世界ランキング20位内の選手7人が出場を辞退した。
ジョコビッチは、グランドスラム(4大大会)は歴代4位タイの優勝12回。キャリア・グランドスラム達成者。全豪オープンオープン化以降最多優勝・最多連覇の3連覇6回優勝。ATPワールドツアー・ファイナル優勝5回現在4連覇中である。
ジョコビッチは、セルビア・ベオグラードで1987年に生まれた。
セルビアは1992年に旧ユーゴスラビア解体後、セルビアの自治州だったコソボで民族間が衝突が激化し、1999年3月にNATO軍が「人道的介入」として78日間にわたり空爆が続いた。
当時12歳だったジョコビッチは空爆に怯えながらテニスを続けた。
ジョコビッチが通っていたパルチザンテニスクラブ・グルイチ会長は「ジョコビッチが泣いたのは一度も見たことがない」と話す。
1999年3月24日、NATOの空爆が始まった。
冷戦崩壊後の旧ユーゴスラビア紛争で当時のミロシェビッチ大統領は、民族主義をあおり、アルバニア系住民に対し民族浄化を進め、世界中から悪役のレッテルをはられた。
ジョコビッチは空爆の際も普段通りパルチザンクラブで練習していた。
子どもの頃から通っていたテニス・クラブ会長は「彼はセルビアを背負っていた愛国心の塊」と話す。
テニス選手にとって「五輪は究極の目標」ではなく、全豪、全仏、ウィンブルドン、全米の4大大会を制覇すること。優勝すれば賞金数億円を獲得できる。
一方、五輪は賞金はなく、リオ大会からはランキングに反映されるポイントすら与えられなくなった。
ジョコビッチは五輪を振り返って、「五輪は独特な祭典。アスリートとして祖国を代表して戦うことはとてつもない名誉だ」と話した。
五十嵐浩司、「セルビアを背負っているという気持ちは強い」
ロバートキャンベル、「テニスは最も国や肌の色を意識させないようになっているスポーツ」
錦織圭は「日本のために戦うという機会は五輪しかないので、重みもあったし緊張して足が動かなくなることもあった」と話した。
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