じじぃの「科学・地球_266_366日風景画をめぐる旅・プロヴァンス」

【旅エイター】★地中海の旅・南フランス『アルル①』 プロヴァンス・ヨーロッパ・一人旅

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=FwEOZANdqDc

ゴッホ 「アイリスの咲くアルルの風景」

孤高の画家が描き続けたプロヴァンスの花「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」

2017/11/22
1888年、ファン・ゴッホはパリを離れ、南仏プロヴァンスの、古代ローマ時代から歴史ある街、アルルに落ち着きます。その道中の心境をゴーギャン宛の書簡にこう記しています。
「この冬、パリからアルルに向かう道中に受けた胸のたかぶりは、今でもよく覚えている。〈もう日本に着いたか〉と待ちきれない気持ちだった。子どもみたいだが」
https://www.kateigaho.com/travel/7757/2/

『366日風景画をめぐる旅』

海野弘/解説・監修 パイインターナショナル 2021年発行

画家たちが愛した風景 5 プロヴァンス (Provence) より

北仏のノルマンディー海岸を描いた画家たちはしだいに、あたたかい南仏に移動した。1870年から1920年ぐらいの間である。
南仏は、ローヌ川流域の大平野を中心とするプロヴァンスと海岸線のコート・ダジュールに分けられる。海岸線を含めてプロヴァンスということもあるが、内陸部を中心とするプロヴァンスと海辺のコート・ダジュールに分けて語ることにしよう。
19世紀末に南仏は大きく変わる。ニースがサルデーニャ領からフランス領になったのはやっと1860年になってからであった。南仏はもともと冬の避暑地であったが、しだいに夏の避暑地に変ってくる。夏休みのヴァカンスが一般的になってくるのである。
ニースがフランス領になったことをきっかけに、画家たちがやってきて、地中海が発見される。ルノワールは、好きな時に太陽を描けるといって喜んだという。ゴッホゴーギャンプロヴァンスにやってくる。そしてナビ派の画家たちもやってきた。セザンヌはふるさとであるエクス=アン=プロヴァンスを描きつづけ、彼を訪ねて多くの画家がやってきた。地図で見ると、ローヌ川沿いに、オランジュアヴィニョン、タラスコン、サン=レミ=ド=プロヴァンス、アルルがある。アルルから東へ行くと、エクス=アン=プロヴァンスだ。エクスの東にはセザンヌの<山>サント=ヴィクトワールがそびえている。
エクスから南下すると海に出て、マルセイユに達する。マルセイユはピエール・ビュヴィス・ド・シャヴァンヌやシニャックが描いた。マルセイユの隣の港がレスタックだ。セザンヌはしばしばここで海を描いた。
ノルマンディーの荒れる海、激しく変わる天候に対して、プロヴァンスの南国の、安定した光と天候は画家にとってありがたい風景であった。
私はプロヴァンスで暮らす日本の女性に会ったことがある。彼女はプロヴァンスで和紙をつくっているといった。野原で草をとってきて、鍋でぐつぐつ煮て、あたりにごろごろしている岩の上にそれをぶちまけると、暑い日であっという間に和紙、いやプロヴァンス紙ができるという。南仏の光が浮かんでくる。

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