大塚国際美術館
パリから北フランスのノルマンディー地方まで、セーヌ川に沿って点在する印象派の画家たちゆかりの地を旅するように名画を楽しむ秋イベント。
リバークルーズへさあ出発!
https://o-museum.or.jp/publics/index/1022/
『366日風景画をめぐる旅』
海野弘/解説・監修 パイインターナショナル 2021年発行
画家たちが愛した風景 3 セーヌ河(The Seine) より
印象派の画家たちがまず描いたのは、パリ郊外、セーヌ河のほとりであった。そしてしだいにセーヌ河を下り、ノルマンディー海岸の河口に達する。パリを抜けたセーヌはブローニュの森を大きく迂回し、セーヴル、サン=クルーを通り、蛇行しながらショセ島、ラ・グ・グルヌイエール、ブージヴァルなどをぬっていく。モーパッサンの小説やルノワールの絵などが浮かんでくる。パリジャン、パリジェンヌの舟遊びの名所だ。画家たちは絵になる風景をさがすため、安い家賃の家をさがしてこのあたりに住んだ。しかし都市化の波がしだいに押し寄せてきて、彼らはさらにセーヌ下流へ移っていく。彼らが見つけた<風景>を追いかけるように都市化はついてくる。
ブージヴァルにはモネやシスレーがいた。ポール・マルリーにはシスレーがいた。さらに下ったアンドレジィのところでオワーズ川が流れこんでくる。オワーズをさかのぼるとピサロが愛したポントワーズがあり、さらに上流にはゴッホの最後の地オーヴェル=シュル=オワーズがある。
セーヌにもどってさらに下るとヴェトゥイユである。いよいよモネ・カントリーの入口だ。少し下るとジヴェルニーである。エプト川が流れこんでくる。その上流はピサロ・カントリーのエラニーだ。
ヴェトゥイユのあたりには芸術村ができていて、金山平三、正宗得三郎、土田麦僊(ばくせん)などの日本の画家もやってきた。ジヴェルニーについては1冊の本が必要なほどで、モネの睡蓮の池が浮世絵のコレクションとともに待っている。
そしてノルマンディーの首都ルーアン。モネは1890年代にルーアン大聖堂のシリーズを描いた。
ルーアンを過ぎ、さらにセーヌを下ると河口のセーヌ湾である。忘れていたセーヌ下リの旅を思い出した。車を持っている友人を誘うと、いいねえ、カルヴァドスが飲み頃だ、といった。ノルマンディーの名物は、命の水といわれるカルヴァドスだ。寄り道をしながら快調にドライブをつづけたが、昼食に寄った居酒屋で美味しいカルヴァドスを飲みすぎた友人は、いい気分であまりにスピードを出すので、ひやひやしたことを思い出した。
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