じじぃの「科学・地球_265_366日風景画をめぐる旅・フォンテーヌブロー」

Barbizon (Village of Painters) FR | Fontainebleau Forest & Millet-Rousseau Medallion

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=4Horch7Gdpo

ミレーのアトリエの内部

バルビゾン村の美術散策

テオドール・ルソーの親友であり、バルビゾン派のリーダー的存在であったジャン=フランソワ・ミレーもまた、1853年にパリを離れ、妻と子どもたちを連れてバルビゾンに移り住みます。
あまり裕福ではなかったミレーは質素な一軒家を手に入れ、その離れの開口部を広げてアトリエとしました。
https://www.mmm-ginza.org/museum/serialize/mont-back/1207/montalembert03.html

『366日風景画をめぐる旅』

海野弘/解説・監修 パイインターナショナル 2021年発行

画家たちが愛した風景 4 フォンテーヌブローとバルビゾン (Fontainebleau & Barbizon) より

パリの南、フォンテーヌブローの森の周辺は近代風景画のふるさとである。セーヌ河の上流である。コロー、ドービニー、テオドール・ルソー、ミレーなどがバルビゾンに芸術家村をつくった。
パリからセーヌをさかのぼっていくと、フォンテーヌブローの森が広がっている。その北東の入口にバルビゾン村がある。
フォンテーヌブローの森は1830年代から画家をひきつけてきた。そしてテオドール・ルソーなどがバルビゾンに住んで、この森を描いた。ルソーと知り合ったミレーは1849年にバルビゾンにやってくる。そして彼を中心にバルビゾン派が結成されてゆくのである。
その後、フォンテーヌブローの森に再開発の波が押し寄せてくる。道路をつくり、木を切るというのである。バルビゾン の画家たちが自然保護を訴え、森は守られることになった。フランスの環境保護運動の1つのきっかけになったという。風景画と自然環境問題との関わりにおいて、バルビゾン 派は1つの役割を果たしたのであった。
ミレーの活動によって自然への大きな関心がもたらされた。彼は1875年に没するが、その風景への眼は印象派によって引き継がれる。フォンテーヌブローの森をはさんで反対側、東側、セーヌにロワン川が入る地点のモレは、シスレーの聖地となる。モネやルノワールもこの地を愛した。印象派の源泉ともいえるところだ。シスレーはここにたどり着き、モレ=シュル=ロワンの風景のすべてを描きつくそうとした。フォンテーヌブローのまわりの、バルビゾン、モレ、グレ=シュル=ロワン、モンティニー=シュル=ロワンなどにつくられた芸術家村によって、この森は守られているのだ。アプルモン渓谷、森の精霊のような樫の木「ジュピター」などがこの森の風景をつくっている。
このような<風景画>による自然と芸術家村の友好関係は、近代化、工場化の中である役割を果たしてきた。そのようなコミュニティがこれからもつづくかどうかわからないが、風景画の歴史における自然と人間が近かった時代のことを私はおぼえておきたい。

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