じじぃの「歴史・思想_375_物語オランダの歴史・黄金時代の多彩な文化」

Art from the Dutch Golden Age

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dwJmO3I9lWw

レンブラント 「夜警」

レンブラントの「夜警」は実は夜でも見張り中でもない、ではなぜ「傑作」と呼ばれるようになったのか?

2018年09月27日 GIGAZINE
17世紀オランダの画家レンブラントによる「夜警(De Nachtwacht)」は傑作と呼ばれる絵画の1つで、学校の授業で扱われることも多い作品です。
しかし、実は「夜警」というタイトルと裏腹に、この絵画は昼の情景であり、見張り中の人々を描いたものでもないとのこと。ではなぜ、レンブラントの夜警が傑作として扱われるのか、YouTubeチャンネルのNerdwriter1が解説しています。
https://gigazine.net/news/20180927-rembrandt-masterpiece/

『物語 オランダの歴史』

桜田美津夫/著 中公新書 2017年発行

はじめに より

2004年10月から11月にかけて、オランダで放送された「最も偉大なオランダ人」(De Grootste Netherlander)と題するテレビ・シリーズの最終回で、数十万人の視聴者の投票をもとに最終的に選び出されたオランダ史上の偉人ベストテンは以下のようなものであった。
①ピム・フォルタイン
②オランイェ公ウィレム
③ウィレム・ドレース
④アントニ・ファン・レーウェンフック
⑤デシデリウス・エラスムス
ヨハン・クライフ
⑦ミヒール・デ・ライテル
アンネ・フランク

レンブラント・ファン・レイン

フィンセント・ファン・ゴッホ
    ・
前者に含まれるのが、オランダ人気質を語る際必ず引き合いに出される人文主義エラスムス独立戦争の指導者オランイェ公、17世紀の海軍提督デ・ライテル、微生物研究者のファン・レーウェンフック、そして多芸多才の画家レンブラントである。

黄金時代の多彩な文化――美術・科学・出版業 より

第1期――黄金時代絵画の幕引き

オランダの17世紀が黄金時代と呼ばれるのは、その経済的繁栄もさることながら、その土壌の上に花開いた多彩な文化活動によるところが大きい。とりわけオランダ絵画の17世紀は、西洋美術史のなかで、イタリア・ルネサンスおよびフランス印象派の時代と並ぶ創造的絵画芸術の時代であった。
オランダ絵画の飛躍が始まったのは1590年代である。ここから1621年頃までが黄金時代オランダ絵画の第1期といえる。主に、マニエリスムの影響を受けた豪華で色彩豊かな、エロティズムあふれる神話画が、ハールレムやユトレヒトで制作された。
しかしそのなかで異彩を放っているのが、アントウェルペンからハールレムに移住してきたフランス・ハルス(1581/85~1666)である。彼はモデルの一瞬の生き生きとした表情をカンバスに定着させて永遠化し、従来の記念写真的な集団肖像画を自然な構図に一変させた。《笑う少年》(1625年頃)という小品にはハルスの魅力と力量が凝縮されており、笑顔を描いてハルスにかなう者はいない。
のちにハルスを偶像化したのは、作品を一目観ようと1870年代にハーレム詣(もう)でをした、印象派の先駆者マネをはじめとするフランスの画家たちであり、「ハルスのパレットには27通りもの黒がある」と述べてその絵画を礼讃したファン・ゴッホであった。
他方、ユトレヒトで新たに注目を集めたのはカラヴァッジョ風の明暗法を採用した画家たちである。なかでもヘリット・ファン・ホントホルスト(1590~1656)の《売春宿の女主人》(1625年)は、性的刺激を狙ったものではなく、女主人を家を通して、金で買える快楽に潜む危険性を劇的に表現したものであった。

第2期――スペインとの戦争の時代

スペインとの戦争が再開された1621年から45年頃までが、17世紀オランダ絵画の第2期である。
イベリア諸国、レヴァント地方などとの通商が難しくなり不景気が広がると、絵画も小ぶりで値段の安い地味な画題のものが主流になった。外国産の色鮮やかな染料が入手難となったため、すべてのジャンルにわたってほとんど単色の灰褐色・黄褐色の絵が描かれるようになる。たとえば静物画ではウィレム・クラーソーン・ヘダ(1594~1680)、風景画ではヤン・ファン・ホイエン(1596~1656)がその例と言えよう。
他方、それでも高価な絵の具が利用できた画家のなかから、レイデンおヘリット・ダウ(1613~75)のような「細密画」の巨匠が現れる。ダウはレンブラント(1606~69)の最初の弟子であるが、師匠がアムステルダムに移住し様式を変えた後も、教わった細密画法を守り続けた。《若いバイオリニストのいる室内》(1637年)はその代表作である。また上野の国立西洋美術館にある《シャボン玉を吹く少年と静物》(1636年頃)は、少年の背中にぼんやりと描かれた天使の羽から、夭逝(ようせい)した愛児を悼む両親による注文品と解される。
師匠のレンブラントのほうはこの時代に、オランダ集団肖像画の最高傑作《夜警》(1642年)を完成させる。過剰な演出の結果、共同出資者のなかで後景にぼんやりと描かれた人、顔の一部が隠れた人などから不満が噴き出し、この作品を境にレンブラントの没後が始まったという有名な説明は、必ずしも正しいては言えない。この先品には実際の出資者だけでなく多数の架空の人物も描き込まれているからだ。
なおレンブラントは、あらゆるジャンルの絵が描けるオールラウンダーでもあった。弟子の一人カーレル・ファブリティウス(1622~54)も同じく多芸多才であったが、1654年のデルフトの火薬庫爆発事件のため、若くして落命してしまったのは惜しまれる。
当時の大多数の画家は、自身の専門ジャンルの絵に専念するのがふつうだった。たとえば、教会内部を描いたエマニュエル・デ・ウィッテ(1617頃~92)、建物の外観も忠実に描いたピーテル・サーレダム(1597~1665)、家督の描写に優れていたパウルス・ポッテル(1625~54)、家庭内の日常風景を描いたピーテル・デ・ホーホ(1629~84)、馬、騎兵・小戦闘などがテーマのフィリップス・ワウェルマン(1619~68)、月夜の風景を描き続けたアールト・ファン・デル・ネール(1603/04~77)などである。

第3期――百花斉放

17世紀オランダ絵画の第3期は1645年頃から72年までである。
まず注目すべきは、繁栄の極盛期を迎え市域の拡張と新しい建物の建設が進むなかで、新たな建築画が続々と生まれたことだ。ヘリット・ハウキヘースト(1600頃~61)やヘリット・ベルクヘイデ(1636~98)などがその筆頭に挙げられよう。

フェルメール

この第3期の画家に属するヨハネス・フェルメール(1632~75)は、生涯の大半をデルフト市ですごした。とはいえ、彼は市内外の画家仲間にも目配りし、そこから得た着想を消化して自身の作品のなかに活かしている。文藝評論家T・トドロフが「絵画は世界を摸倣するだけでなく、他のさまざまな絵も摸倣する」と述べている通りである。
たとえば、アメリカのメトロポリタン美術館学芸員W・リートゲ(2015年地下鉄事故で急逝)によると、G・ハウクヘーストの《説教壇のあるデルフト・アウデケルク内部》(1654年頃)はフェルメールの《窓辺で手紙を読む女》(1658/59年)の構図に影響を与えた可能性が高いという。一目見て両者の共通性は明らかだし、前者の中央の白い円柱が後者の手紙を読む女性に置き換えられたとの見立ても意表をつくものではない。