じじぃの「世界最大の美術館を夢見たヒトラー・レンブラントへの想い!世界史の迷宮」

The Monuments Men - Official Trailer (2013) George Clooney, Matt Damon [HD] 動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=CreneTs7sGs
Drawing of a house, in 1910, attributed to Adolf Hitler

Rembrandt van Rijn

世界一受けたい授業 2015年10月24日 日本テレビ
【出演】堺正章くりぃむしちゅー具志堅用高サンドウィッチマン新川優愛須賀健太鈴木奈々森富美、高橋利之
ヒトラーに略奪された美術品を命がけで奪い返す!実在した特殊部隊「モニュメンツ・メン」の知られざる戦い。
略奪された美術品の中には、かの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』、ファン・エイクの『ヘントの祭壇画』、レンブラントの『自画像』、フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』、さらにはピカソマティスなどの傑作、そしてミケランジェロの『聖母子像』なども含まれていた。
http://www.ntv.co.jp/sekaju/
『世にも恐ろしい世界史の迷宮』 桐生操/著 PHP研究所 1999年発行
世界最大の美術館を夢見たヒトラー (一部抜粋しています)
ナチスが奪ったのは、なにも宝石や貨幣ばかりではない。世界の名だたる名画も、その犠牲を免れなかった。
名高い頽廃美術展と並んで、ナチスの行ったもうひとつの美術排斥行動が、やはり第二次世界大戦中に起こった。ドイツ被占領国での、美術品の組織的な強奪行動である。
1944年7月15日付の中間決算によれば、国内のユダヤ人富豪、被占領国のコレクション、公共美術館などから約2万2000点の美術品が強奪されたという。
一応、原則として購入されたことになっているが、美術品は買い叩いたり、脅迫して奪ったものが大半である。そのうえ支払われた金には、ニセ札が混ざっていることも多かったというのだ。
1938年3月、オーストリアがドイツに併合されたときから、ヒトラーの美術品強奪は本格的に始まる。彼はかつての画家への夢を、別の形で実現させようとしていた。それは思い出の地リンツに、世界最大の美術館を建設することである。それはフランスのルーブルやロシアのエルミタージュなどの大美術館が、とうていおよばないスケールのものになるはずだった。
ウィーンを差し置いて、リンツを選んだのは、若い日の彼を受け入れなかったウィーンへの復讐とも考えられる。最初はふつうの美術館のはずだったが、だんだん計画が膨らみ、大図書館、築城部門のある兵器展ホール、彫刻コレクション、貨幣陳列屋が追加され、途方もないスケールとなった。
     ・
ポーランドボヘミアセルビア、そしてソ連、さらにはフランス、イタリア、ベルギー、オランダなど、ドイツの占領地が広がるにつれ、美術品強奪の範囲もますます広がっていった。
ソ連軍が迫ったとき、ヒトラーは美術品の大移動を命じ、このとき多くがメルカーズの塩坑に移されたという。
だが、皮肉にも塩坑で最初にそれを発見したのはアメリカ軍で、絵画400点、彫刻2000点を見つけている。
発見後、塩坑はすでに戦車で囲まれ、町には外出禁止令が発令された。そして、戦闘機がしゅういを飛び交う緊張した空気の中で、そのすべては、アイゼンハワーの命令のもとで大移動させられた。
このあとソ連軍が塩坑に入ったときは、すでに何ひとつ残っていなかったという。
このときアメリカは、塩坑から出た美術品について、詳しい報告書を作り、木箱のナンバーごとに中身を照合し、リストを作成した。そして、このおびただしい数の強奪品を、長い月日をかけてもとの持ち主に返還しようとした。「特別任務リンツ」について、ローゼンベルグ作戦本部の職員らに尋問を行なったが、証拠品や記録はすべて消失しており、美術品の持ち主を捜しだすのは至難の業となっていた。
ところが、あるときそれを解明できそうな書物が見つかった。ポッセの日記である。この日記は戦後、ポッセの未亡人からその姪、さらに姪から彼女の友人の手にわたったが、最後にはニュールンベルグの国立ゲルマン博物館のものとなった。日記に出てくる人物がまだ存命中のため、ポッセの死後50年は公開されないという。
こうして、ある程度は日記によって持ち主が判明したが、それ以外のものは、結局、当時の西ドイツに帰属されることになった。西ドイツ所有となった美術品は、1968年当時の価格で3000万マルクの価値があると見積もられている。
つまり、旧西ドイツにあった美術品は、ヒトラーの遺産から成り立っているといっても過言ではなかったのだ。

                              • -

どうでもいい、じじぃの日記。
第二次世界大戦後、ドイツ国内での出版が禁じられていたアドルフ・ヒトラーの著書『我が闘争』が1月8日、戦後初めてドイツで再出版された。
ヒトラーは青年時代、ウィーン美術学校の受験に二度失敗している。
ヒトラーの伝記には、オランダ人画家レンブラントアーリア人男性の究極の完成形だと称えていたことが書かれている。
かつての画家への夢が世界最大の美術館を持ちたいという想いにつながったのだろうか。
彼の劣等感とレンブラントへの想いがユダヤ人虐殺につながったのだろうか。