じじぃの「歴史・思想_522_歴史修正主義・アルメニア人虐殺問題」

BBC】 アルメニア人虐殺の過去をトルコは…なお続く殺害

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=niRiyn9wPN8

アルメニア人虐殺 【BBC

アルメニア人虐殺

ウィキペディアWikipedia) より
アルメニア人虐殺は、19世紀末から20世紀初頭に、オスマン帝国少数民族であったアルメニア人の多くが、強制移住、虐殺などにより死亡した事件。
ヨーロッパ諸国では、特に第一次世界大戦に起きたものをオスマン帝国政府による計画的で組織的な虐殺と見る意見が大勢である。それによれば、この一連の事件は「アルメニア人ジェノサイド」と呼ばれ、21世紀に至る現代でも、オスマン帝国の主な継承国であるトルコ共和国は国際的に非難されている。トルコ政府は、その計画性や組織性を認めていない。
第一次世界大戦時の「アルメニア人虐殺」
1915年4月から5月頃、戦闘地域での反国家・利敵行為を予防するとの目的で、ロシアとの戦闘地域であるアナトリア東部のアルメニア人をシリアの砂漠地帯の町デリゾールの強制収容所へと強制移住させる死の行進政策が開始された。その指令が何時いかなるようになされたか、あるいは本当になされたのかどうかについては議論があるが、指令が事実としてあったと見なす人々は、タラート・パシャによってアルメニア人虐殺が指令されたとしている。
アルメニア人虐殺」に対する見解は、この問題が現在もなお深刻な政治的問題をも含むために、肯定派と否定派の間に大きな隔たりがある。このため、虐殺を巡る歴史的な事実の究明はほとんど進んでいないと言ってよい。

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中公新書 歴史修正主義 - ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで

武井彩佳(著)
ナチスによるユダヤ人虐殺といった史実を、意図的に書き替える歴史修正主義ホロコースト否定論が世界各地で噴出し、裁判や法規制も進む。
100年以上に及ぶ欧米の歴史修正主義の実態を追い、歴史とは何かを問う。
序章 歴史学歴史修正主義
第1章 近代以降の系譜―ドレフュス事件から第一次世界大戦後まで
第2章 第二次世界大戦への評価―1950~60年代
第3章 ホロコースト否定論の勃興―1970~90年代
第4章 ドイツ「歴史家論争」―1986年の問題提起
第5章 アーヴィング裁判―「歴史が被告席に」
第6章 ヨーロッパで進む法規制―何を守ろうとするのか
第7章 国家が歴史を決めるのか―司法の判断と国民統合

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歴史修正主義

武井彩佳/著 中公新書 2021年発行

第7章 国家が歴史を決めるのか―司法の判断と国民統合 より

前章で見たように、歴史の否定を禁止して、個人や集団の記憶や名誉を守り、対立や偏見を煽る言説を法によって処罰する動きがヨーロッパで登場したのは1990年代のことである。
当初は人種主義的なヘイトスピーチを規制する文脈で、否定禁止法が制定された。つまり、史実の問題というより、個人を傷つけ、社会に害のある言説を規制する意味合いが強かった。この段階では、規制対象はホロコースト否定に限定され、それ以外の歴史言説が法によって管理される状況ではなかった。
2000年代に入ると、歴史の否定を禁止する動きが拡大する。ホロコーストの記憶の保護がさらに重視され、その否定を禁止する国が増える。同時に、旧共産圏の東奥諸国では「自分たちの悲劇」、つまり共産主義体制による抑圧の否定も規制せよという声が強まった。国家の根幹にある歴史的記憶や社会の価値観を守るための立法が求められたのだ。こうして歴史がより政治的なものとなっていく。
現在、各国で「歴史の司法化」が問題となっている。法は悪質な歴史修正主義を公的空間から排除するのに役立つ一方で、歴史問題が裁判所に持ち込まれる事例が増えている。また国家が法を介して、歴史を国民統合の手段とし、外交上も国益の最大化のために利用する事態が起きている。
歴史の司法化は、具体的にどのような問題をもたらすのだろうか。法と歴史はどのような関係であるべきなのか。

アルメニア人虐殺をめぐる議論

第一次世界大戦下の1915~16年にかけて、当時オスマントルコ領内にいたキリスト教徒のアルメニア人が敵性分子と見なされ、国境近くの半砂漠地帯に追放されて多くが病死、貧弱氏し、その過程で散発的な虐殺が行われた。
犠牲者数については諸説あり、トルコ政府は30万人、アルメニア人は150万人を超えると主張している。現在の歴史研究によれば、実際の死者数は70万人弱から120万人の間と推定されている。
これはジェノサイドだろうか。これを否定すると罪に問われるべきだろうか。一般にジェノサイドは、特定の民族・宗教・人種集団の大量殺害、強制移住、奴隷化などを指す。アルメニア人に起こったことは、実態からすればジェノサイドに違いない。
実はジェノサイドとは法的な概念でもあり、厳密には1948年に国連が採択したジェノサイド禁止条約に定義されたものを言う。殺害や虐待に加え、強制的に収容して過酷な環境に奥ことで出産できないようにしたり、特定集団の子どもを他の集団に移したりすることも含まれる。さらにジェノサイドと認定されるためには、特定集団の一部もしくはすべてを破壊する「意図」の存在が必要とされる。
トルコ政府は、追放により一定数の死者が出たことを認めるが、ナチがユダヤ人を根絶すると宣言したような民族殲滅とは異なり、アルメニア人の大量死はジェノサイドではないと主張している。ホロコーストを究極の人権侵害の事例として位置づける一方で、アルメニア人の死は戦争の一局面であったとして、軽く扱おうとする。またトルコは、アルメニア人虐殺が国際法上、ジェノサイドと位置付けられたことがないことも根拠とする。アルメニア人虐殺を扱う国際法廷はこれまで開かれていないからである。

ヨーロッパ社会の温度差とは

ホロコーストアルメニア人虐殺、この2つの悲劇の歴史に対して、ヨーロッパ社会の対応には、いくばくか温度差があるようである。それはなぜだろうか。
まず、ホロコーストは歴史的事実としての疑いの余地はなく、十分な研究実績がある。これに対し、先述したようにアルメニア人虐殺は学術的な共通理解が十分にあるとは言えず、自由な研究が推進されるべき余地がある。その場合、ジュノサイトの否定禁止法は自由な探究を萎縮させる可能性がある。
また、すでに当事者がほぼ存在しないアルメニア人のケースとは異なり、ホロコースト生存者はまだ存在する。その家族など、歴史の否定により実際に傷つけられる集団がある。ホロコーストの当事者を保護する点で意味がある。
さらに、ホロコーストはヨーロッパの中央で起こったことである。これを記憶することはヨーロッパ人としてのアイデンティティに関わる問題である。これに対し、アルメニア人虐殺はヨーロッパの外で起こったことだ。地理的にも時間的にも遠い歴史の否定を、ヨーロッパの各政府が禁止しなければならない必然性はないという意見も強い。現にドイツ議会はアルメニア人虐殺を2015年にジェノサイドとして公認したものの、否定禁止の対象はナチ犯罪のみである。
ペリンチェクの裁判所で欧州人権裁判所は、ホロコーストと今日のヨーロッパ諸国とのあいだにあるような関係性は、アルメニア人虐殺とスイスのあいだには存在せず、その意味でも否定を処罰する必要性はないと見なしている。つまり、アルメニア人の亡霊はトルコにとって亡霊ではあるが、ヨーロッパ人にとっての亡霊ではないのだ。
いかなる国家も、その理念や国民のアイデンティティに関わる歴史を、国家的な「物語」のなかに組みこみ、法や教育を通じて語りを浸透させる。ホロコーストは、現在のヨーロッパ人が内面化すべき歴史と位置付けられている。これに対しアルメニア人虐殺は、人権の問題ではあるが、ヨーロッパ人のアイデンティティに深く関係するものではないのだ。この2つの出来事に対するヨーロッパ社会の歴史感覚は同じではない。