じじぃの「歴史・思想_520_歴史修正主義・アーヴィング裁判」

デイヴィッド・アーヴィング

ウィキペディアWikipedia) より
デイヴィッド・アーヴィング(David Irving, 1938年3月24日 - )は、イギリス出身の歴史小説家・歴史著述家である。
ロンドン大学インペリアル・カレッジを中退、1963年に『ドレスデンの破壊』を発表し、ヨーロッパでは大ヒットとなった。
1977年に『ヒトラーの戦争』を発表、その中でアドルフ・ヒトラーホロコーストに対して消極的だったと主張した。米国の研究者デボラ・リップシュタット(英語版)から「ホロコースト否定論のもっとも危険な語り手の一人」と批判され、彼女が名誉毀損を行ったとして訴えた。しかし裁判ではリップシュタットの主張が正当であると認められ、アーヴィングは200万ドルに及ぶ支払い義務を負うことになり、破産した(アーヴィング対ペンギンブックス・リップシュタット事件)。

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中公新書 歴史修正主義 - ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで

武井彩佳(著)
ナチスによるユダヤ人虐殺といった史実を、意図的に書き替える歴史修正主義ホロコースト否定論が世界各地で噴出し、裁判や法規制も進む。
100年以上に及ぶ欧米の歴史修正主義の実態を追い、歴史とは何かを問う。
序章 歴史学歴史修正主義
第1章 近代以降の系譜―ドレフュス事件から第一次世界大戦後まで
第2章 第二次世界大戦への評価―1950~60年代
第3章 ホロコースト否定論の勃興―1970~90年代
第4章 ドイツ「歴史家論争」―1986年の問題提起
第5章 アーヴィング裁判―「歴史が被告席に」
第6章 ヨーロッパで進む法規制―何を守ろうとするのか
第7章 国家が歴史を決めるのか―司法の判断と国民統合

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歴史修正主義

武井彩佳/著 中公新書 2021年発行

第5章 アーヴィング裁判―「歴史が被告席に」 より

2000年1月11日、ロンドンの王立裁判所で訴訟「デイヴィッド・アーヴィング対デボラ・リップシュタットとペンギンブックス」が開廷した。イギリス人の著述家デイヴィッド・アーヴィングが、アメリカ人の歴史家デボラ・リップシュタットと彼女の本の出版社を名誉棄損で訴えた裁判である。
アーヴィングは、戦争をテーマとした著述家としては、かなり成功した人物である。第二次世界大戦中のドイツに関する多くの著作があり、そのなかにはベストセラーもいくつかある。それらは幅広い読者を想定した歴史の「読み物」と位置付けられるもので、研究書とは言えないが、ドイツ軍事史の分野では一定の評価を得ていた。しかし1977年に『ヒトラーの戦争』を出したあたりから、ホロコーストヒトラーの知らないところで部下たちが勝手に実行したものであると、アーヴィングは主張するようになった。
対するリップシュタットは、ドイツとポーランドにルーツを持つユダヤ教アメリカ人で、アメリカのユダヤ史を専門とし、ジョージア州アトランタの大学で教鞭を執っていた。彼女は1993年に『ホロコーストの真実』(Denying The Holocaust)を著し、アーヴィングを「危険な否定論者」と著書のなかで名指しで痛烈に批判していた。これに対して1996年、アーヴィングがリップシュタットを訴えたのだ。
イギリスの名誉毀損裁判では、訴えられた側が自説の正しさを証明する責任を負う。このためリップシュタットは、アーヴィングが実際にホロコースト否定論者であり、自分の発言は正しく、アーヴィングの名誉は傷つけられていないと証明しなければならなかった。
この裁判は、「歴史が被告席に立たされた」と言われ、世界的な注目を集めることになる。では、実際に何が争点とされたのだろう。

多くの矛盾と悪意――親衛隊員用の防空施設

アーヴィングはガス室について、連合軍の空爆に対する親衛隊員用の防空施設であったと主張した。ドアに機密処理がされているのは、毒ガス攻撃を恐れたからだという。しかし、防空施設ならば、アウシュビッツの町全域に広がる親衛隊施設から、隊員は数キロも走って逃げ込む必要がある。その不自然さについての説明はなかった。
さらにアーヴィングは、部屋はノミやシラミのわいた死体を殺虫処理するための燻蒸室であるとも主張した。そもそも、焼却する予定の死体を殺虫処理する必要はあるのか。衣類に付いた虫を殺すための部屋に、なぜ内側から壊されないように強化された「のぞき穴」が設けられているのか。なぜ天井に偽のシャワーヘッドが付けられているのか。
死体を「燻蒸」するとさえ言うアーヴィングの根底には、悪意があった。彼の語彙はもはやナチのそれと違わない。
他にもアーヴィングは、戦時中の燃料不足では大量の死体を焼却できる燃料を保管する場所はアウシュビッツにはなく、ガス殺は行われれいないと主張した。他の強制収容所のデータから、死体一体を燃やすのに35キロのコークスが必要であり、広大なスペースが必要となるというのだ。
実はアウシュビッツの焼却炉は、炉を2日稼働させて一定の温度が維持できるようになると、燃料を補給せずとも、人体のみ燃料として燃え続けるよう設計されていた。焼却炉を納入していたエアフルトの会社トップフ・ウント・ゾェーネ社は、これを「継続的に稼働する大量死体焼却炉」として、1942年に特許を申請している。
トップフ・ウント・ゾェーネ社の技師は、もちろんこうした設備開始が意味するところをよく理解していた。なぜなら、遺体を火葬する場合、通常は個人の遺骨や遺灰は家族に戻すため、複数の遺体を同時に燃やすことはしない。社内で特許申請を提案した技師は、次のように語っていた。「こうした焼却炉は、死者への崇敬の念や遺灰を混ぜることへの禁忌、さらには死者への感情といったものをまったく度外視した。純粋なる破壊装置と見なすべきだということを私は十分に理解している」
ここにあるのは、本質的に倫理を欠いた合理性だけだ。
ちなみに、アーヴィングが執着した「穴」は、ロンドンの裁判と同じ頃に、あるプロジェクトの調査班により確認されている。調査班はアーヴィングの裁判とはまったく関係なく、ガス室の施設の考古学的検証を行っており、当時の写真と現在の航空写真、コンピューターグラフィックスなどを用い、穴の位置を複数特定した。なお、リップシュタットらは、こうした発見があったことは当時知らなかった。

歴史学とアーヴィング裁判

では、アーヴィングの敗訴は歴史学にとって、どのような意味を持つのだろうか。この裁判では、「歴史が被告席に立たされた」と言われてきた。法的には、リップシュタットの記述がアーヴィングへの名誉毀損となるか争われた。だが、世間はホロコーストが実際にはどういうものであったのか問う裁判と受け止めた。実際に判決も、アーヴィングは歴史家ではないというリップシュタットの主張に対して、彼の歴史記述が歴史学的な検証に耐えうるものなのかを判断している。結局は実際の歴史がどうであったのかが問題とされたのだ。
アーヴィング裁判は歴史学のうえでは明らかにした新事実はなかった。すでに知られていたこと、立証されていたことが繰り返されただけであり、研究者の側からすると、おおよそ無益な論争であったとさえ言える。しかしこの裁判は、皮肉にも歴史家が歴史として当然視していることと、一般人が歴史だと受け止めるものは必ずしも一致していないという事実を突き付けた。ホロコースト否定論者の主張は、最低限の学術レベルに満たない戯言(たわごと)だと切り捨ててきたアカデミアの怠慢が、あらためて露呈した。
幸いにも、この裁判ではリップシュタット側にも有利な点がいくつかあった。
まずこうした名誉毀損裁判は、負けると巨額の訴訟費用が発生する可能性があるが、リップシュタットはこの裁判を闘うために、ユダヤ人コミュニティから大規模な寄付を集めることができた。ユダヤ人社会の金銭的な支援がなければ、5人の最高峰の専門家で編成されたリサーチチームを作ることはできなかっただろう。
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しかし、こうしたリップシュタット側に有利な環境があっても、司法がアーヴィングをホロコースト否定論者と断定するまでの道のりは平坦ではなかった。裁判が図らずも明らかにしたのは、意図的に史料を読み替え、自らの政治信条に都合のよい歴史を書く人間を論破し、社会から悪しき言論を除去するには、膨大な時間、労力、資金が必要であるという事実だった。