じじぃの「歴史・思想_468_サピエンスの未来・終末の切迫と人類の大分岐」

Powerful Epic Choral Music: "Omega Point" by PostHaste Music

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=pBppepXo-7Q

A Cosmic Spirituality for a New Theology; Teilhard de Chardin’s Evolutionary Journey to Omega Christ by Aidan Hart

Jun 2, 2015 Association of Catholics in Ireland
In the first half of the 20th century (1881-1955), a French Jesuit priest, Fr. Teilhard de Chardin SJ, combined his theological, philosophical and scriptural studies with a growing interest in the structure of rocks and fossils (geology), the material aspects of the universe (palaeontology) and in the far distant origins, evolution and ultimate purpose and end of the universe (cosmology).
Journey to Omega Christ 02His work combines religion, spirituality and science in a comprehensive, harmonious and dynamic whole. It portrays a deep spiritual vision of the interior unity, complexity, diversity and evolving consciousness of all creation and the whole universe with God. It portrays God as still actively involved in creating His universe and guiding all humanity forwards and upwards in ever-evolving and deepening consciousness towards Himself.
https://acireland.ie/a-cosmic-spirituality-for-a-new-theology-teilhard-de-chardins-evolutionary-journey-to-omega-christ/

『サピエンスの未来 伝説の東大講義』

立花隆/著 講談社現代新書 2021年発行

はじめに より

この本で言わんとしていることを一言で要約するなら、「すべてを進化の相の下に見よ」ということである。「進化の相の下に見る」とはどういうことかについては、本文で詳しく説明しているが、最初に簡単に解説を付け加えておこう。
世界のすべては進化の過程にある。
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我々はいま確かに進化の産物としてここにいる。そして、我々の未来も進化論的に展開していくのである。
我々がどこから来てどこに行こうとしているのかは、進化論的にしか語ることができない。もちろん、それが具体的にどのようなものになろうとしているのかなどといったことは、まだ語るべくもないが、どのような語りがありうるのかといったら、進化論的に語るしかない。
そして、人類の進化論的未来を語るなら、たかだか数年で世代交代を繰り返している産業社会の企業の未来や商品の未来などとちがって、少なくとも数万年の未来を視野において語らなければならない。人類の歴史を過去にたどるとき、ホモ属という属のレベルの歴史をたどるなら、100万年以上過去にさかのばらねばならない。
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本書では、ジュリアン・ハックスレーやテイヤール・ド・シャルダンといったユニークな思想家の発想を手がかりとして、そこを考えてみたいと思っている。

第11章 終末の切迫と人類の大分岐 より

「地球の死」の向こう側

物理学的な未来予測として、太陽の死は約束されており、それとともに、太陽系も死にます。地球も死にます。あるいは宇宙も死ぬのかもしれない。エントロピーの法則に従えば、宇宙にはいずれ熱的な死が訪れることになります。遠い未来の熱的死の前に、地球を含む宇宙の一部では、何らかの宇宙論的現象の果てに熱的死が訪れるかもしれない。いずれにしろ、地球の未来に待っているのは死です。
「世界の終末、すなわちわれわれにとっては地球の終末……あなたがたは、このおそるべきしかも確実なことについて、まじめに、人類的に、考えてみたことがときどきはあるだろうか?」(「生命と遊星」『人間の未来』)
とテイヤール・ド・シャルダンは問います。
「人間と地球を宇宙の枠のなかにもういちどおいてみようというあらゆる努力の果てに、いやでも出てくるのは、その問題である。それはもはや個人としての死ではなくて、プラネタリーな尺度での死の問題であり――まじめにさきのことを考えるなら、ただこの死のことを思ってみるだけで、いまここで、ただちに地球の全活力を麻痺させるに足りると思われる」(同前)
すぐ目の前に確実な死が待っているということになると、人間は、行動への意欲を失います。全人類的見地から、地球の未来を構築していこうというプラネタリザシオンの立場が正しいとわかっていても、そのために具体的な目標を設定しそれを実現していこうというような意欲はなくなるでしょう。
個人の場合も、未来は確実な死が待っているという状況は同じですが、
「個人としての人間はあとに残る息子たちや自分の仕事のことを考えて、みずからをなぐさめる。しかし、人類にとっては、将来何が残るだろうか?」(同前)
このままでは、人類の未来に待っているのは、「絶対のゼロ」です。完全なる死滅、大いなる墜落です。
このような状況がもたらすニヒリズムの影から逃れるためには、
「死の亡霊にヴェールをかけたり、これを遠くへしりぞけたりするだけでは足りず、これをわれわれの地平から決定的に追いはらってしまわなければならない」(同前)
どうすればそれが可能かといえば、個人が個人の終末の向こう側にまだ残るものがあることを考えて救いを得ているように、人類にとっても宇宙論的死の向こう側に存続するものがあることを信じることによってだといいます。ここから、神の存在の必要性が出てくるわけです。

人類がオメガ点に到達するとき

テイヤール・ド・シャルダンイエズス会の司祭ですから、もちろん、前から信仰を持っているのですが、ここでいきなり「信ずる者は救われん」みたいな形で、伝統的なキリスト教の教えを提示するわけじゃないんです。
どうしてもここで神の概念が出てこざるをえないということなんです。それなしには、この状況(前方に待つ確実な死)の克服ができないということなんです。
ここで登場してくる神の概念とは伝統的な神概念とはかなりちがったものでして、これまでも何度も話に出てきた、進化の極点としてのオメガ・ポイントのことです。そのような概念を指定することによってはじめて、未来に待つ死の影を追い払うことができるといいます。
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進化の極限として、未来の人類がオメガ点に到達するというのはどういうことなのか。そのとき何が起こるのか。
「人類が自己を中心とする収縮と全体化の極限で、成熟の臨界点に達し、その果てに、地球や星が原初のエネルギーの消滅していくかたまりとなってゆっくりと回転するのを後方に残して、心的にこのプラネットから離脱し、諸物の唯一の不可逆な本質であるオメガ点に到達するということも、考えられてくるのではなかろうか? おそらく外的には死と似た現象であろう。しかし実際には、単に変貌にすぎず、至高の総合への到達なのである」(同前)
これがテイヤール・ド・シャルダンの終末のイメージなんです。それは一見すれば死であるが、それが同時に至高の存在に合一することによってたどりつく最後で最高の綜合だということなんです。
複雑性の理論を押し進めていけばこの結論しかないといいます。これは大胆すぎる仮説のように聞こえるかもしれないが、これしかないと。
ともかくこの仮説だけがわれわれに一貫性のある見とおしを開いてくれるのである。人間の意識ののもっとも根本的で強力な2つの流れ、知性の流れと行動の流れ、科学の流れと宗教の流れが将来収斂し頂点に達するという見とおしを」(同前)
複雑性の理論の延長が必然的にこうなるというのは、こういうことなんです。
複雑性は意識を生みます。生命の進化が進むにつれ、意識はより高次のものになっていき、それはついには、省察力を生みます。意識がある臨界点を通りすぎ、省察力のレベルに達したときが、人間の誕生だったわけです。人間は省察力を持った動物としてずっとやってきたわけですが、これからの未来進化において、いずれ複雑化の法則は人間の意識のレベルをもう一段上に押し上げるときが来る。そのとき、意識はもう1つの臨界点を通りこして、省察力以上の何ものかになるだろうというのです。人間が人間を超えた超人間になるというのはそういうことなんだというわけです。
「このように考えると、人類の歴史はとうぜん2つの臨界点にあいだにすっかり含まれることになろう。すなわち、第1の点は、もっとも低い、原初的な省察の点、第2の点は、もっとも高い、精神圏的な省察の点」(「精神圏の形成」『人間の未来』)
第1の点と第2の点の間が人間の時代で、第2の点の向こう側が超人間の時代になるわけです。