Phenomenon of Man - Teilhard de Chardin
The Phenomenon of man by Pierre Teilhard de Chardin
Mar 11, 2014 Issuu
Visionary theologian and evolutionary theorist Pierre Teilhard de Chardin applied his whole life, his tremendous intellect, and his great spiritual faith to building a philosophy that would reconcile religion with the scientific theory of evolution.
In this timeless book, which contains the quintessence of his thought, Teilhard argues that just as living organisms sprung from inorganic matter and evolved into ever more complex thinking beings, humans are evolving toward an "omega point"?defined by Teilhard as a convergence with the Divine.
https://issuu.com/lewislafontaine/docs/phenomenon-of-man-by-pierre-teilhar
はじめに より
この本で言わんとしていることを一言で要約するなら、「すべてを進化の相の下に見よ」ということである。「進化の相の下に見る」とはどういうことかについては、本文で詳しく説明しているが、最初に簡単に解説を付け加えておこう。
世界のすべては進化の過程にある。
・
我々はいま確かに進化の産物としてここにいる。そして、我々の未来も進化論的に展開していくのである。
我々がどこから来てどこに行こうとしているのかは、進化論的にしか語ることができない。もちろん、それが具体的にどのようなものになろうとしているのかなどといったことは、まだ語るべくもないが、どのような語りがありうるのかといったら、進化論的に語るしかない。
そして、人類の進化論的未来を語るなら、たかだか数年で世代交代を繰り返している産業社会の企業の未来や商品の未来などとちがって、少なくとも数万年の未来を視野において語らなければならない。人類の歴史を過去にたどるとき、ホモ属という属のレベルの歴史をたどるなら、100万年以上過去にさかのばらねばならない。
・
本書では、ジュリアン・ハックスレーやテイヤール・ド・シャルダンといったユニークな思想家の発想を手がかりとして、そこを考えてみたいと思っている。
第10章 「ホモ・プログレッシヴス」が未来を拓く より
精神圏の《脳髄》は宇宙ヴィジョンを獲得する
知識はその生産過程においても、横の広がりを必要とします。
「新しい思想や直観のうち、とくにこの1世紀のあいだに、われわれの思考の不滅のかなめ石となり骨組みとなった(中略)ものを、何なりととり上げて考察してみよう。’(中略)つぎのことは明らかではないだろうか。なるほど、この世のどんな人間も、独力では、これらの思想の高みにたどりつけないだろうし、この世のどんな人間も、自分ひとりでは、これらの考え方の現実性をつかむことも、制圧することも、きわめつくすこともできない」(「精神圏の形成」)
こういう横の広がりをさして、テイヤール・ド・シャルダンは、これは「人類共通の脳髄を練り上げる」ことだといっています。たしかに、人類社会の知的営為のほとんどすべては、孤立した脳の中で営まれるのではなく、多くの脳が力を寄せ合う形で営まれているわけです。
文明が進むにつれて、そのような知的営為に参加する人たちがどんどん増えてきたという事実があります。手を使う労働から解放されて、脳を使う労働に従事する人が多くなったからです。しかも、単なる頭脳労働ではなく、何ごとかを探究するという形の頭脳労働が増えています。そして、その中から「探究の魔」にとりつかれた人々が多数輩出しはじめたといいます。
「過去のいつの時代にも、探究を天職ないしは職業とする真の研究者の存在が認められた。しかし彼らの数はほとんどひとにぎりにすぎず、どちらかといえば世のつねでないタイプの、概して孤立した人びとだった。つまり《好奇心のつよい連中》とみなされていたのである。ところがこんにちでは、われわれも気づかぬうちに、事情は一変している。現在、何千万という人びとが、物質、生命、思考のあらゆる分野で探究をすすめているが、彼らはもはや個々別々ではなく、チームを組織して研究している。(中略)ついきのうまでぜいたくな趣味だった探究が、いまでは明らかに、人類の一次的な、いやそれどころか主要な関心事になろうとしている」(「精神圏の形成」)
これがどういうことを意味しているのかといえば、精神圏の発達によって解放された大量の精神的過剰エネルギーが、テイヤール・ド・シャルダンが「精神圏(ヌースフィア)の《脳髄》」と呼んだものを形成し、それをさらに発達させる方向へ流れ込みつつあることだといい、「人類は、それに先立つすべての有機体の場合と同じように、ただしもっと大きなスケールで、しだいに《脳髄化》しつつある」(同前)のだといいます。その結果として、精神圏は”思考する巨大な機械”となり、それにふさわしい意識の高まりを見せ、宇宙的なヴィジョンを獲得するといいます。”意識に裏打ちされた複雑化”もしくは”複雑化の成果としての意識の高まり”というプロセスが進行して、精神圏の表面に分布している”思考する中核”が近づきあい、互いに刺激しあうことによって”互いに支えあうもろもろの脳髄群”が出現する。やがてそれは連帯し、有機的に相互浸透するようになり、次第にそれは統合されていく。そして”最大限の複雑化” ”最大限の意識”が出現するというわけです。
「ホモ・プログレッシヴス」が未来を拓く
もちろん、このようなプロセスがスムーズに進行するわけではないだろうといいます。
世界の現状を見ると、”混乱と不和の暑いヴェールが世界の上にたれ込め、いまほど人間が互いに憎しみあっている時代はかつてなかったろうと、「人類の遊星化」の中でいっています(テイヤール・ド・シャルダンは第一次大戦と第二次世界大戦の双方を体験した人ですから、これは強い実感になっています。しかもこの文章は第二次世界大戦が終了した1945年に書かれています。ちなみに「遊星」というのは昔使われたことばで、いまでいう惑星のことです。以下、遊星は、引用の中ではプラネット叉はプラネタリーといいかえます)。
しかし、このような憎しみの時代にあっても、未来への希望はいたるところにほの見えている。人類がプラネタリーな結合を形成していくであろう未来が、すでに見えているといいます。その何よりの証拠には、新しい型の人間が世界のあちこちに出現しているのが認められることだといいます。それをテイヤール・ド・シャルダンは、「ホモ・プログレッシヴス」と名付けます。それはどういう人たちかというと、人類はもっと進化しなければならないと考え、現在より未来を優先させて考え、自分たちの身のまわの空間の問題より全地球的な問題をより重要と考える人たちで、かつ同時に「探究の魔」にとりつかれた、思考するマグマともいうべき人たちだといいます。
そういう人がすでにいたるところに、あらわれている。いかなる人種的、政治的小集団の中にも、地域や階層、思想、信仰に関係なくあらわれている。それはまだ点状に存在するだけで、まとまりは何もないが、その人たち同士の間には、ある種の共感と引力が働いていて、すぐにお互いの存在を認めあい、接近して結合しようとする。
「もっとも注目すべき点は、この出会い、この結合が、同じ種類、同じみなもとをもつ要素、すなわち精神圏の上の同じ区画のなかから選ばれた要素のあいだでだけ起こるのでないということである。この引力は、いかなる人種的・社会的・宗教的障壁をもこえてはたらくようにみえる。私にはその経験が限りなくあるし、だれでもそれを経験しうるのだ。相手の国籍、信仰、社会的レヴェルがいかなるものであろうとも、彼のうちに私成るものと同じ期待の火がわずかなりともひそんでいさえすれば、即座に深く決定的で全面的な接触がうち立てられるのである」(「人類の遊星化」)
それはまるで、「同じ種に属する」者同士が感じるほとんど動物的な直観だといいます。
いま人類は、ホモ・プログレッシヴスとそうでない人たちとの間で、根底的な大分裂を起こしつつあるとテイヤール・ド・シャルダンは考えます。
そしてそれは、1世紀半前あたりからはじまっているといいます。ということは、これが書かれたときからいって、18世紀末あるいは19世紀のはじめあたりからということになります。そのあたりから人類社会には、知的・社会的大動揺が起こりはじめ、それに加速される形で、人類(精神圏)の分裂が進んできたといいます。