じじぃの「歴史・思想_460_サピエンスの未来・全体の眺望を得る」

ピエール・テイヤール・ド・シャルダン

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JLpPEZxdxc8

『現象としての人間』

2020-07-26 御堂筋税理士法人 創業者のブログ
ピエール・テイヤール・ド・シャルダンという人の書いた『現象としての人間』という本を読んだ。
「人が人間そのものを極限まで発見するには、まったく新しいさまざまの〈感覚〉が必要であった。
それらは、空間の無限さ、無限の時間、数、比率、質、運動、有機的なものに対するものである」
(カテゴリー論である)
https://ameblo.jp/mdsj-ceo/entry-12613504647.html

『サピエンスの未来 伝説の東大講義』

立花隆/著 講談社現代新書 2021年発行

はじめに より

この本で言わんとしていることを一言で要約するなら、「すべてを進化の相の下に見よ」ということである。「進化の相の下に見る」とはどういうことかについては、本文で詳しく説明しているが、最初に簡単に解説を付け加えておこう。
世界のすべては進化の過程にある。
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我々はいま確かに進化の産物としてここにいる。そして、我々の未来も進化論的に展開していくのである。
我々がどこから来てどこに行こうとしているのかは、進化論的にしか語ることができない。もちろん、それが具体的にどのようなものになろうとしているのかなどといったことは、まだ語るべくもないが、どのような語りがありうるのかといったら、進化論的に語るしかない。
そして、人類の進化論的未来を語るなら、たかだか数年で世代交代を繰り返している産業社会の企業の未来や商品の未来などとちがって、少なくとも数万年の未来を視野において語らなければならない。人類の歴史を過去にたどるとき、ホモ属という属のレベルの歴史をたどるなら、100万年以上過去にさかのばらねばならない。
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本書では、ジュリアン・ハックスレーやテイヤール・ド・シャルダンといったユニークな思想家の発想を手がかりとして、そこを考えてみたいと思っている。

第3章 全体の眺望を得る より

神学×科学

(『現象としての人間』を示して)これがテイヤール・ド・シャルダンの主著です。
この本には、カトリックの神学博士ウィルディールスという人の序文がついてまして、そこに、カトリック教徒への注意書きがある。たとえば、「本書は科学者の眼に映ったままの宇宙の現実を分析した叙述にすぎない」(『テイヤール・ド・シャルダン著作集』の街頭箇所に、同書の訳が必ずしも正しくないと考える立花が若干の手を加えた。以下同様)などと、書かれています。なんだか冷たいひびきがありますね。事実冷たいんです。カトリック教会は、生前テイヤール・ド・シャルダンに著書の発表を許しませんでした。彼は教会に忠実な人でしたから、不本意でもその制限に終生服していました。しかし、死後、そのような制約は著作権継承者にまで及びませんから、すぐ友人らの手で遺稿刊行委員会ができて、作品の刊行がはじまったわけです。
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これは科学的研究報告なんです。だから、現象的な記述があるだけです。
「単に現象だけである。したがって、本書のうちに、世界の解明を探してはならない」
といっても、科学(生物学、古生物学)から得られた知見をただ書きつらねたという書物では全くないわけです。単なる科学的レポートではなく、科学的ファクトの上に独特の人間論、宇宙論、進化論が展開されていく、きわめてユニークな思想的書物です。
これがそういう書物になってしまったことについて、テイヤール・ド・シャルダンは次のように説明します。
「純然たる事実というものは存在しない。いかなる経験も、たとえどんなに客観的なものであっても、科学者がそれを公式化しようとすると、どうしてもすぐに仮説の体系に包まれてしまう。(中略)宇宙全体に関する映像となると、主観的な空気が圧倒的なものになる。子午線に沿って極に近づくときに起こるように、科学、哲学、宗教は、漸次近寄ってついに一点に集まるざるをえない。といっても、科学、哲学、宗教は、どんなに近寄っていっても、他と混じりあうことあく、それぞれの角度から、異なった次元において、実在をどこまでも追求していくのである」
つまりこれは科学論でありながら同時に哲学論でも宗教論でもあるわけです。しかもそれを思弁の上でやるのではなく、あくまでも実在の追求の上に、実証的に展開しようとするわけです。

べき乗でものを考えよ

そういう感覚(空間の無限さ、無限の時間、数、比率、質、運動、相互の関連に対するもの)を身につけるのにいちばんいい方法は、べき乗でものを考えることに慣れることです。要するに指数関数にものごとをとらえよということです。日常感覚的には、無限大の世界も無限小の世界もとらえきれません。しかし指数関数で考えると、たちまちそれが可能になります。たとえば、ビッグ・バンはどれくらい前か知ってますか? だいたい140億年前といわれますね。ではそれは何秒前か知っていますか? 1018秒前にちょっと欠けるあたりです。では生命の起源はというと、1017秒前ぐらいです。では人間の起源はというと、1014秒前くらい、キリスト誕生は1011秒前。それに対して人間の平均寿命が何秒だか知っていますか? 約109秒ですね。指数関数で考えると、ビッグ・バンから今日ただいまのこの時間まで、秒単位で統一して考えることができるんです。
どうしてこんな数字がスラスラ出てくるのか不思議でしょう。タネ明かしをすると、(「時・空計算尺ガリバー”」を示して)実はこういうものがあって、その時間尺のほうの目盛を読んでいただけなんです。これは、和田昭充先生という、もう退官されましたが東大の有名な先生が作ったもので、時間尺と空間尺が裏表になったものなんです。
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この計算尺のいいところは、副尺というのがあって、時間だとマイクロ秒からエジプト文明まで、空間だと地球の直径から水素原子の大きさまでといった、日常感覚的に理解可能なスケールが切ってあって、それを正尺にあてると、テイヤール・ド・シャルダンのいう4番目の感覚、比率の感覚がそのまま得られることです。
これは大学生協とか大きな文具店で売ってますから、ぜひ買って身近においてときどきながめてください。テイヤール・ド・シャルダンの4つの感覚が自然に身につきます。