じじぃの「歴史・思想_463_サピエンスの未来・複雑化の果てに意識は生まれる」

Teilhard de Chardin's Cosmic Christology and Christian Cosmology

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=usCYQhTmGoA

Figure 1. Teilhard de Chardin's natural curve of complexity

Journal of Cosmology

●INTRODUCTION
In the Seventeenth Century the Mathematician-Philosopher Blaise Pascal (1670-1672), considering the world of his time, recognized anxiously that the human was balanced between two abysses: the infinitely small abyss of atomic particles, raccourci d'atome, and the infinitely large abyss of the cosmos, l'univers. In our times, the Pascalian anguish would have worsened with the knowledge accumulated since the Seventeenth Century. Both the small and the large infinites have gained several orders of magnitude since Pascal's time.
However, in the mid Twentieth Century the Palaeontologist-Philosopher Pierre Teilhard de Chardin (1965), in his attempt to reconcile Biology with Physics and Astronomy (It is often considered that Teilhard's main thrust was an attempt to reconcile science and faith, however in this precise book his aim was indeed what we state here), removed the Pascalian anguish.

Figure 1. Teilhard de Chardin's natural curve of complexity.

In ordinates the length of identifiable entity-objects measured in centimetres (long. en cm.). Homme, human; Terre (rayon), Earth (radius); Voie lactee, Galaxy; Univers, Universe. In abscissa complexity (Complexite, en n. d'atomes) as estimated in number of atoms. Cellule, Cell; Lemna, water lentil (duckweed);Homme (cerveau), Human (brain). a, appearance of Life; b, appearance of Homo (from Teilhard de Chardin, 1965, with permission).
http://journalofcosmology.com/Consciousness127.html

『サピエンスの未来 伝説の東大講義』

立花隆/著 講談社現代新書 2021年発行

はじめに より

この本で言わんとしていることを一言で要約するなら、「すべてを進化の相の下に見よ」ということである。「進化の相の下に見る」とはどういうことかについては、本文で詳しく説明しているが、最初に簡単に解説を付け加えておこう。
世界のすべては進化の過程にある。
    ・
我々はいま確かに進化の産物としてここにいる。そして、我々の未来も進化論的に展開していくのである。
我々がどこから来てどこに行こうとしているのかは、進化論的にしか語ることができない。もちろん、それが具体的にどのようなものになろうとしているのかなどといったことは、まだ語るべくもないが、どのような語りがありうるのかといったら、進化論的に語るしかない。
そして、人類の進化論的未来を語るなら、たかだか数年で世代交代を繰り返している産業社会の企業の未来や商品の未来などとちがって、少なくとも数万年の未来を視野において語らなければならない。人類の歴史を過去にたどるとき、ホモ属という属のレベルの歴史をたどるなら、100万年以上過去にさかのばらねばならない。
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本書では、ジュリアン・ハックスレーやテイヤール・ド・シャルダンといったユニークな思想家の発想を手がかりとして、そこを考えてみたいと思っている。

第6章 複雑化の果てに意識は生まれる より

物質から生命へのジャンプはどのようにして起こったのか

テイヤール・ド・シャルダンの進化思想を簡単に説明しておきます。といっても、もともと彼の思想には独特の難解さと同時に、独特の曖昧さがあって、明快かつ簡潔に要約するのは難しいところがあるから、わかりにくいかもしれません。それは彼の書くものがピュア・サイエンスの論文ではなくて(そういうものもあるんですが、一般にテイヤール・ド・シャルダンの著作として読まれているものはそうではないんです)、進化論と哲学と宗教と、3つの世界の境界領域のようなところで、文学的香りが高い文章で綴られたエッセー(フランス語のエッセーは随筆というよりむしろ、試論、小論、論考といった意味あいですが)であるという性格によるものかもしれません。単なるピュア・サイエンスの論文として見れば、もう60年も70年も前に書かれたもので、内容的に古くなっていますから、そんなに読む価値はないんですが、彼の書くものは、文学性、思想性、宗教性をあわせ持っているので、時代を超えた魅力があるわけです。

進化の流れとは複雑化の流れ

さてこの複雑性(生物は漸次的に複雑化し、その果てに高度な知性と意志を持つ存在である人間が誕生した)ということについて、独特の思いをこらしたのがテイヤール・ド・シャルダンなんです。

テイヤール・ド・シャルダンは、複雑性というものが、この宇宙を測る基本的な尺度の1つであると主張したんです。図(画像参照)を見てください。

テイヤール・ド・シャルダンは、この宇宙を3つの無限(無限大、無限小、複雑さ)を持つ系としてとらえているわけです。Y軸は、長さの無限大と無限小を結んでいます。前にガリバー尺の話をしたときと同じように、長さを全部10の何乗かという表示にして、宇宙の直径から、電子の大きさまで表示してあるわけです。
テイヤール・ド・シャルダンは、複雑系について、こういいます。
「宇宙を表現するには2つの無限ではなく、(少なくとも)3つの無限を考えなければならない、(中略)<複雑さ>は、ごく控えめに推定しても、無限大や無限小と同じように深いひとつの深淵なのであります(『宇宙におけるヒトの位置』山口敏訳<著作集第6巻>)
X軸が複雑性の尺度です。複雑性の尺度として、とりあえず、それを構成するエレメント(この場合は原子)の数をとっています。テイヤール・ド・シャルダンは、具体的なものとしては、ウイルス、細胞、ウキクサ、人間しかあげていませんが、同じような発想で、エレメントを核子(陽子、中性子)にとってそのスケールを10のべき乗でとった表が、『物理学のすすめ』(井上健編、筑摩書房)に本に載っています。
複雑性のこの曲線は何を示すかというば、進化の流れを示しています。要するに、進化の流れとは複雑化の流れだということです。進化の流れの中にも0点からa点(生命誕生)までの点線になっている部分は物質進化を示します。物質進化も、複雑化という道筋をたどり、複雑化があるレベルまで行きついたときに、生命の誕生という臨界点を通りこすわけです。複雑性がその臨界点を通りこしたときに、意識が生まれてくる。そして、複雑性がさらに増すにつれて、意識はさらにめざめていく。複雑性がさらに高まり、意識レベルがさらに高くなったとき、進化は、もう1つの臨界点を通過して、ヒトの誕生(b点)となるわけです。

進化の果てに意識は生まれる

このような複合体が密接に結合して複雑性をどんどん高め、それがある臨界点を越すと、全体が有機体となり、ある種の自律性(オートノミ―)を獲得していきます。このような流れにおいて、意識の出現は当然すぎるほど当然のことと考えられます。それがさらに複雑性を高め次の臨界点を越すと生命体が生まれ、物質において萌芽としてあった意識が目ざめてくるわけです。
これが、「複雑化=意識の法則」です。進化とはこの法則に導かれて、複雑化と意識の上昇が平行して進んでいく過程です。
「意識の出現は実際に、宇宙における偶発的、気まぐれ的、付随的な異常事象ではなくなり、反対に、ますます高い分子集合へと向かう宇宙物質の全体的偏流と結びついた、ひとつの一般的で正常な現象となります」(『宇宙におけるヒトの位置』)
結局、この宇宙では、エントロピー過程と逆エントロピー過程が同時に働いているというわけです。エントロピー過程は、起きる確率が最も高く、実際、よく起きる物質の崩壊と消滅へ向かう落下の過程です。逆エントロピー過程は起きる確率は低く、実際滅多に起きない過程ですが、しかし、起きることは確かに起きる、「信じがたいけれども否定しえない、たえざる上昇」です。「この2つの運動は同じ宇宙的な規模をもっています。しかし前者は破壊し、後者は建設します。したがって、我々の宇宙の時間を通しての真の軌道――宇宙進化の軸そのもの――を表わすのは、後者すなわち意識の上昇(同前)というわけです。
そして、「複雑化=意識」の頂点として、ヒトが登場してくるわけです。エレメントの数でいえば、必ずしも頂点に位置するものではないヒトが、複雑化=意識の頂点と位置づけられるのは、進化の過程がより高次の複雑化=意識の世界へ移ったとき、複雑性を測る尺度が、生物の高次の意識・精神機能をになう脳の複雑性の度合いに移るからです。ヒトと他の動物の脳をくらべた場合、「ニューロンの数」だけならともかく、それに「脳の構造(中心化の度合い)と脳細胞の機能的配列における完成度」を加えた3点から評価した場合、ヒトの脳が複雑性において圧倒的であることは疑問の余地がないというわけです。
このようなヒトという生物の登場によって、進化はもう1つの臨界点を踏みこえ、意識の主要な場は、脳の内省能力、脳の内部で繰り広げられる精神活動へと移っていくわけです。
そこで、「精神圏(ヌースフィア)」という概念が登場してきます。ヒト以前の動物は、地球の生命圏(バイオスフィア)の住人ととらえれば十分であったのに、ヒトの場合は、肉体的に生命圏に属しているが、精神的には精神圏の住民になってしまっているわけです。ここから、ヒトのさらなる進化、「超人間」、「超進化」という考えが出てくるわけです。