じじぃの「ナルシシスト・ピルズベリー社のドゥボーイはかわいい?良心をもたない人たち」

The Hidden Hell Behind The PillsDairy Batterboy Commercial

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=d7lBQVrEQN4

ドゥボーイ

ウィキペディアWikipedia) より
ドゥボーイ(Doughboy)は、米国のパンや菓子生地の老舗製粉会社であるピルズベリー社のイメージ・キャラクター。
ドゥボーイとは愛称で、本当の名前は「ポッピン・フレッシュ(Poppin Fresh)」という。1965年にテレビ・コマーシャルに登場し、一躍人気を得る。「Doughboy」の「dough」(ドウ)とは生地のことであり、パン生地のような白くてモチモチしたキャラクターである。趣味はパンや菓子作りで、体は小麦粉でてきている台所が大好きな妖精。

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『良心をもたない人たち』

マーサ・スタウト/著、木村博江/訳 草思社文庫 2006年発行

なにが良心のない人をつくりあげるのか より

愛を感じられない

良心はたんに罪悪感や自責の念を感じるだけのものではなく、感情を体験し、他者とのきずなを結ぶ能力と深くかかわっている。サイコパスも、たんに罪悪感や良心の呵責を欠いているだけではない。ほんものの(計算されたものではない)感情的体験をし、それによって他者とほんものの関係を結ぶ能力が欠けているのだ。かんたんに言ってしまうと、道徳観念の欠如の裏には、もっと深刻な事態がある。良心は愛する能力を欠いては存在しない。そしてサイコパシーの根源にあるのは、愛情の欠如なのだ。
サイコパスは「社会的規範を守れない」あるいは、「経済的責任をはたそうとしない」。それは、そもそも責任とは、自分にとって感情的にだいじな個人や集団にたいして感じるものだが、サイコパスにはそういう存在がないからだ。

ナルシシズムとのちがい

サイコパシーとくらべて見ると、ナルシシズムはとりわけ興味深く示唆にとんでいる。ナルシシズムは、言ってみれば、サイコパシーを半分にしたようなものだ。病的な自己愛者(ナルシシスト)も、罪悪感から悲しみ、絶望的な愛情から情熱まで、ほかの人とおなじように強い感情をもつ。欠けているのは、ほかの人の気持ちを理解する能力である。ナルシシズムには良心ではなく、感情移入の能力、つまり他人の気持ちを感じとって適切に反応する能力が欠けているのだ。
ナルシシストは感情的に自分以外のものは目に入らず、ピルズベリー社のキャラクター、ドゥボーイのように、外からのものはすべて跳ね返して受けつけない。
そしてサイコパスとちがってナルシシスト心理的に苦痛を負い、セラピーを求めることが多い。ナルシシストが抱える問題の1つは、感情移入を欠いているため、本人の知らないあいだに人との関係がこじれて、見捨てられて困惑し、孤独を感じることだ。愛する相手がいなくなったのを嘆くが、どうすれば取りもどせるかわからない。
対照的にサイコパスは、ほかの人びとに関心をもたないため、自分が疎外され見捨てられても嘆いたりしない。せいぜい便利な道具がなくなったのを残念に思うくらいのものだ。
サイコパスは自分本位の理由で結婚することはあっても、愛のために結婚することはない。本気でだれかを愛することはできないのだ。それは相手が配偶者でも、子どもでも、ペットでもおなじだ。

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どうでもいい、じじぃの日記。
最近読んだ小冊子に、生物学者 福岡伸一さんの「動的平衡」が載っていた。

「食う、食われる」は利他的な行為で、共存共栄している。「食う、食われる」の食物連鎖も生態系全体の「動的平衡」なのです。

私は、70歳を過ぎても大人の発達障害者だ。 (^^;;
今までの人生を振り返って、人の役に立ってきたとはとても思えず、すべてに対して「与える」側ではなく、「奪う」ということをやってきたような気がする。
少し、古い本だがマーサ・スタウト著『良心をもたない人たち』を読んだ。
どうも自分の性格というのは、「ナルシシスト」の枠に入るような感じがする。

ナルシシストは感情的に自分以外のものは目に入らず、ピルズベリー社のキャラクター ドゥボーイのように、外からのものはすべて跳ね返して受けつけない」

「サイコパシーとくらべて見ると、ナルシシズムはとりわけ興味深く示唆にとんでいる。ナルシシズムは、言ってみれば、サイコパシーを半分にしたようなものだ」
まだ、ナルシシズムサイコパスと違って救いようがあるみたいだ。
世の中にはキャラクター ドゥボーイをかわいい、と思ってくれる人もいるみたいだ。