じじぃの「歴史・思想_420_脳の隠れた働きと情動理論・序章」

You aren't at the mercy of your emotions - your brain creates them

動画 TED
https://www.ted.com/talks/lisa_feldman_barrett_you_aren_t_at_the_mercy_of_your_emotions_your_brain_creates_them#t-8811

How Emotions are Made: The secret life of the brain

Jun 11, 2018 @TAragonMD
https://taragonmd.github.io/2018/06/11/how-emotions-are-made-the-secret-life-of-the-brain/

情動はこうしてつくられる──脳の隠れた働きと構成主義的情動理論 紀伊国屋書店

【内容説明】
従来の理論を刷新し、人間の本性の見方に新たなパラダイムをもたらす!
幸福、悲しみ、怖れ、驚き、怒り、嫌悪――「脳は反応するのではなく、予測する」
心理学のみならず多くの学問分野を揺さぶる革命的理論を解説するとともに、情動の仕組みを知ることで得られる心身の健康の向上から法制度見直しまで、実践的なアイデアを提案。英語圏で14万部、13ヵ国で刊行の話題の書。

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『情動はこうしてつくられる──脳の隠れた働きと構成主義的情動理論』

リサ・フェルドマン・バレット/著、高橋洋/訳 紀伊国屋書店 2019年発行

序──2000年来の前提 より

2012年12月14日、アメリカ史上最悪の校内乱射事件が、コネティカット州ニュータウンのサンディフック小学校で発生した。校内に居合わせた20人の児童を含む26人が、たった1人の犯罪者の犠牲になったのだ。この恐ろしい事件が起こってから数週間が経過した頃、私は、コネティカット州知事ダネル・マロイが、「州の状況」について年に一度のスピーチをするところをテレビで見ていた。彼は最初の3分間、力強く生き生きとした声で、州民の努力に感謝を述べていた。それから、ニュータウンで起こった悲劇に言及した。
  私たちは皆、長く暗い道をともに歩んできました。ニュータウンに降りかかった災厄は、コネティカットの美しい町や村では類を見ない、予期せぬ出来事でした。とはいえ史上最悪とも言える日にあって、私たちは、わが州の最善の側面を見ました。何人かの教師と1人のセラピストが、自らの命を犠牲にして子どもたちを守ったのです。
「子どもたちを守ったのです」という最後の言葉を発したとき、知事の声はかすかに震えていた。注意深くスピーチを聴いていなかった人は、それに気づかなかっただろう。しかしそのかすかな震えは、私を乱した。胃はただちに締めつけられ、目からは涙がとめどもなくあふれてきたのだ。カメラが映しだした聴衆もすすり泣いていた。マロイ自身はスピーチを中断し、うつむいていた。
マロイ知事や私が示した情動は、脳に固定配線され、反射的に引き起こされる、人間なら誰もが持つ原始的な能力のように思われるかもしれない。
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現代科学は、このような話に合意した説明を提供してきた。私はそれを「古典的情動理論(classical view of emotion)」と呼ぶ。この理論に従えば、マロイ知事の声のかすかな震えは、脳に始まる連鎖反応を私に引き起こしたのである。つまり、(「悲しみの神経回路」とも呼べる)特定のニューロンのセットが活動を開始し、顔や身体に特定の反応を引き起こしたのだ。そして私は、眉をひとめ。肩をひそめ、肩を落とし、泣き出す。さらにこの「悲しみの神経回路」は、身体内部に変化を引き起こし、心臓の鼓動は速まり、発汗し、血管は収縮する。このような身体の内部や表面のさまざまな動きは、指紋がその人を特定するのと同じように、悲しみを特定する「指標(フィンガープリント)」のようなものだとされる。
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古典的理論をある程度裏づける結果が得られた研究が多数あるのは確かだが、それに疑問を呈する結果が得られた研究はさらに多い。私が見るところ、妥当と見なしうる唯一の科学的結論は、「情動は、私たちが自明視しているものとは異なる」というものになる。
ならば、実のところ情動とは何か? 科学者たちが古典的理論を退けて、もっぱらデータに注目したところ、それまでとはまったく異なる情動の説明が視野に入ってきた。つまり、情動は組み込まれたものではなく、多数の基本的なパーツから構成されたものであることが、さらには、引き起こされるものではなく、本人が構築するものであることがわかってきたのだ。情動は、さまざまな身体特性、環境に合わせて自身を配線する能力を持つ柔軟な脳、文化、養育の結合として生じる。情動は実在するが、「分子やニューロンは実在する」と言うときに込められている客観性という意味において実在するのではなく、「お金は現在のものだ」などと言うときの意味で現実なのであり、情動は幻覚ではなく、人々のあいだで得られた同意の産物なのだ。
私が「構成主義的情動理論(theory of constructed emotion)」と呼ぶ理論に従えば、マロイ知事のスピーチをめぐるできごとは、古典的理論とは異なって解釈される。彼の声がかすかに震えたとき、私の脳の、悲しみを司る神経回路が活性化して、身体の特徴的な変化が生じたのではない。その瞬間に私が悲しみを感じたのは、ある特定の文化のもとで育ったことによって、「悲しみ」とは、ある種の身体的な感覚が無惨な人命の喪失というできごとと一致した場合に生じる現象であることを、私がそれまでの人生を通じて学んできたからである。

かつて起こった銃乱射事件やそのときに覚えた悲しみに関する、過去の経験の断片的な記憶を動員することで、私の脳は、新たに起こった同様な悲劇に対処するために身体がなすべきことをすばやく予測し、この予測によって、心臓の鼓動は速まり、顔面は紅潮し、胃は収縮したのだ。

そして私は泣き出し、それによって神経系の興奮が鎮静した。このような経験が、マロイ知事のスピーチを聴いて生じた感覚刺激を、悲しみの事例の1つとして意味あるものに変えた。