じじぃの「歴史・思想_308_ユダヤ人の歴史・マクペラの洞穴」

Three Religions, One Shared Holy Site: The Cave of The Patriarchs in Hebron

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=qoi_48NNT7w

The Cave of Machpelah

The Cave of Machpelah

●Who was buried in the cave?
What should we expect to find in the Cave of Machpelah? Abraham, Sarah, Isaac, Rebekah, Jacob and Leah were all buried in the cave (Genesis.49:31). We knew that Jacob had been mummified in Egypt: GENESIS 50:2 And Joseph commanded his servants the physicians to embalm this father: and the physicians embalmed Israel. 12 And his sons did unto him according as he commanded them: 13 For his sons carried him unto the land of Canaan, and buried him in the cave of the field of Machpelah, which Abraham bought with the field for a possession of a burying place of Ephron the Hittite, before Mamre.
https://www.arkdiscovery.com/machpelah.htm

ユダヤ人の歴史〈上巻〉』

ポール ジョンソン/著、石田友雄/監修、阿川尚之/訳 徳間書店 1999年発行

マクペラのほら穴の象徴 より

ユダヤ人は歴史上最もねばり強い民族である。ヘブロンを訪ねればそれがわかる。エルサレムから南へ20マイル、ユダ丘陵地帯を3000フィート登って辿り着いたヘブロンの町、そのマクペラの穴の中に、族長たちの墓がある。古代からの言い伝えによれば、ユダヤ教創始者でありユダヤ民族の祖であるアブラハムの遺骸は、ほら穴の中に位置するそれ時代きわめて古い墓の中に納められている。アブラハムの墓と隣合わせで妻サラの墓があり、建物の中には息子イサクとその妻リベカの一対の墓がある。中庭をはさんだ反対側には、アブラハムの孫ヤコブとその妻レアのやはり一対の墓が、建物のすぐ外にはヤコブと彼が愛した妻ラケルの息子ヨセフの墓がある。民族の記憶をさかのぼれる限りさかのぼって行きつく所がここであり、4000年にわたるユダヤ人の歴史はまさにこの場所で始まった。
ヘブロンは荘厳な美しさをたたえた土地である。古代の神聖な場所特有の、静けさと落ち着きに満ちている。しかしそこに残されたもの言わぬ石の数々は、絶え間なき戦いと4000年にわたる宗教上政治上の戦いを目撃してきた。この場所はヘブライ人たちの祈祷(きとう)の場、ユダヤ教シナゴーグビザンツ帝国のバジリカ聖堂、イスラム教のモスク、十字軍の教会、そして再びモスクとして、代わる代わる用いられる。ヘロデ大王は、今日なお40フィート近い高さを誇る巨大な石の壁で、この場所を囲った。組み上げられた巨大な切り石の中には、一辺の長さが23フィートに達するものがある。サラディンは礼拝所に説教壇を設けた。ヘブロンユダヤ人の長く悲劇的な歴史と、逆境を乗り越えて進む驚くほど強靭な意志力を象徴している。ダビデはここで王位についた。最初はユダの王として(サムエル記下2章1-4節)、次にイスラエルの王として(サムエル記下5章1-3節)。エルサレムが陥落したとき、ユダヤ人はこの地を追われ、ヘブロンにはエドム人が住みついた。やがてギリシャ人がこの地を征服し、続いてローマ人が支配する。再びユダヤ人の手に戻り、熱心党とよばれる愛国者たちに荒らされ、ローマ人によって焼き払われる。サラセン人、フランク人、マムルーク王朝の支配下に次々と置かれる。
西暦紀元1266年以降、ユダヤ人はマクペラのほら穴に入って礼拝を捧げるのを一切禁じられ、東の壁に沿った階段を7段上げることだけ許された。階段の4段目までのぼると、石をくりぬいてつくった6フィート6インチの深さの穴に、神への願い事を書いた神を差し込む。そして棒切れで押して、ほら穴の中へ落とすのである。これを堪え忍んでも、彼らの身の安全は保障されなかった。1518年には、オスマン・トルコによるヘブロンユダヤ人虐殺事件を起こった。この悲劇にもへこたれず、信心深いユダヤ教の信者たちはヘブロンに再び住み着いた。タルムードを忠実に守る正統派、カバラーと呼ばれるユダヤ神秘主義の信奉者、あるいは神聖な石の上に鮮血が飛び散るまで自らの体を痛めつけるユダヤの苦行者などが、この地にしがみつくようにして入れ変わり立ち代わり住み続けた。
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こうしてヘブロンは、4000年にわたる長い歳月の間、いかにユダヤ人がねばり強さを発揮して生き延びてきたかを表す、またとない象徴である。ヘブロンはまた、ユダヤ人が土地の所有と占有に関して抱く、奇妙なあいまいさを表してもいる。これほど長い間これほど情熱的な愛着を特定の土地に対して示した民は、ユダヤ人の他にない。それでいてまたユダヤ人ほど、強固でゆるぎない移住本能を持ち続け、1つの場所を去るのを恐れず、新しい土地に定住するに巧みであった民族もないのである。