じじぃの「歴史・思想_310_ユダヤ人の歴史・ヤコブ・イスラエル人」

Jacob Wrestles with God! - Bible Stories For Kids!

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UBE_aePABu4

children of Jacob, children of Israel.

Why it matters that we’re People of Israel instead of People of Jacob

The patriarch Jacob is attempting to escape once again from the wrath of his brother, Esau, who’s still out for revenge after not getting the blessings of their father, Isaac. Alone on a riverbank, he is accosted by a stranger who wrestles him through the night but is unable to subdue elderly Jacob.
Daybreak reveals that the stranger is an angel who tells Jacob that his name will from now on be “Israel.” What a change! The two names couldn’t be more opposite. Yaakov, which means heel, was clutching onto his twin brother Esau’s heel at birth, signifying always being behind and struggling to get ahead. Yisroel means to be on top, to prevail and have mastery over the divine.
https://www.jweekly.com/2017/11/30/matters-people-israel-instead-people-jacob/

ユダヤ人の歴史〈上巻〉』

ポール ジョンソン/著、石田友雄/監修、阿川尚之/訳 徳間書店 1999年発行

ヘブライ人とイスラエル人 より

民族の基礎を固めたのがアブラハムであるとすれば、イスラエル人を1つにまとめ、自らの名イスラエルを冠し、彼らに新しい民族としての自覚を抱かせたのは、アブラハムの孫ヤコブであった。ユダヤ人の祖先を何と呼ぶかは、常に難しい問題である。「ヘブライ人」という言葉が時に用いられるが、あまり適切とは言えない。その語源と考えられている「ハビル」という言葉は、1つの人種集団よりも、むしろある一定の生活様式を表していた。さらにこの言葉には軽蔑的な響きがある。「五書」の中で「ヘブライ」(原語はイヴリー)は「イスラエルの子ら」を指す言葉として現れるが、それを用いるのはエジプト人エジプト人の面前にいるイスラエル人に限られている。
紀元前2世紀頃ベン・シラが使用して以来、「ヘブライ」という名称は、聖書とその後の書物で用いられた言葉を意味するようになった。そこで軽蔑的な意味あいはしだいに薄れ、ユダヤ人およびユダヤ人に友好的な非ユダヤ人の双方にとって、「ユダヤ」よりも「ヘブライ」の方が、人種を表す用語として好ましく思われたのである。例えば19世紀には、アメリカ合衆国ユダヤ教改革派運動において、「ヘブライ」が盛んに用いられた。ヘブライ・ユニオン大学、アメリカ・ヘブライ会衆連合などという団体名がそれを表している。しかしユダヤ人の祖先は、決して自ら「ヘブライ人」とは名乗らなかった。民族としての自覚を持ったとき彼らが用いたのは、聖書で標準的に用いられている「イスラエル人」あるいは「イスラエルの子ら」である。ヤコブの存在意義はここにある。
ところがここで問題が生じる。ユダヤ人とは誰か、ユダヤ人の定義とは何かを考えるときいつも直面せねばならない特有の困難がある。神はヤコブイスラエルと改名させた。ところがこの名称が最初に出現する、いうならばイスラエル人が民族として誕生する瞬間は、聖書の中でおそらく最も神秘的で謎に満ちた出来事として描かれている。ヤコブは夜通し天使と取っ組み合って争い、その結果イスラエルという名を授かるのである(創世記32章24-28節)。
イスラエル」という名称には、「神と戦うもの」、「神のために戦うもの」「彼のために神が戦うもの」、「神に支配されるもの」、「神の前に正しきもの」、「神は正しきもの」といった、様々な解釈がある。定説はない。この出来事が何を意味するのか、誰も満足すべき答えを出していない。聖書の最古の編纂者たちと、それを書き写した者たちが、この事件の意味するところをはかりかねていたのは明らかである。しかし彼らはユダヤ人の歴史におけるこの出来事の重要性を認識していた。そこで彼らの理解する宗教的教義とのつじつまを無理に合わせようとせず、一字一句へんこうを加えず書き写したのである。なぜならそれは「トーラー」であり、神聖なるものであったからである。
ヤコブの経歴は、創世記に詳しく述べられている。すばらしい生涯であった。ヤコブは祖父のアブラハムとは非常に異なっていた。機略に富み、謀(はかりごと)に長け、戦士というよりは戦略家であり、すぐれて政治的で、ひとを動かすのを得意とし、同時に夢を追う人、夢想家でもあった。ヤコブは富み栄え、祖父のアブラハムや父のイサクよりも大きな財産を築いた。
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創世記はヤコブが父と同じように、カナンの地で「よそ者」の地位にあったと描写している(創世記37章1節)。実際彼の息子たちは、末子のベニヤミンを除く全員がメソポタミアかシリアで生まれたようである。しかしヤコブの存命中、東方と北方地帯との絆(きずな)が最終的に断ち切られる。そして彼の後継者たちは、カナンの地こそ自分たちが何らかのかたちで永久につながりをもつ故郷だと考えるようになる。だからこそ飢饉のときエジプトへ身を寄せても、神はカナンの地への帰還を無条件で命じたのである。