じじぃの「神話伝説_123_ヘブライ人(セム族)」

Israel - Story of the Jewish People | 1979 Animated Documentary | Jewish History and State of Israel 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eg8csSMeC90
Bible in Animation - Abraham 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BbPJgVWPpPM
BC1950年ごろ、ヘブライ人はアブラハムにひきいられて
メソポタミアからカナーンへ移った?

筑摩書房 一神教の起源 ─旧約聖書の「神」はどこから来たのか / 山我哲雄 著
●それは信仰「革命」だった
もともとイスラエルもユダも、古代オリエント世界の辺境に存した弱小国家に過ぎず、権力や覇権とはほとんど縁がなかった。その小さな国家が滅び、新バビロニア帝国の圧倒的な支配のもとで「ヤハウェの民」が最も非力で悲惨な境涯にあった時に、彼らの中から唯一神観が生まれた。それは、弱い者が生き延びるための知恵であった。
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480015815/
聖書を歴史的背景から読む
第4章 アブラハム、イサク、ヤコブ
アッカド王朝がセム族最初の統一王国です。セム族を自称する部族がいたわけではありません。セムという名は、聖書に登場するノアの3人の息子のひとりであり、ヨーロッパで最初に知られるようになったのがセムという名前であることから、セム族という用語が定着しているわけです。本来ならアッカド族という言い方をすべきかもしれません。
創世記のアブラハムという人物は、おそらく前2000年頃の人ではなかったかと私は推定しています。創世記では、アブラハムからイスラエルの歴史が始まっています。
アブラハムの宗教
アブラハム一神教創始者であるとの説がありますが、受け入れられません。アブラハムは当時の普通のセム族が信じていた普通の多神教を信じていたはずです。彼が一神教創始者ならば、イシマエルの子孫たちも一神教を受け入れていなければなりません。彼らがマホメット以前、多神教であったと言うことは、アブラハム一神教の起源を求めることは困難になります。
http://www.geocities.jp/hirokuro01/israelshi/abraham.html
セム族 (民族集団) ウィキペディアWikipedia)より
セム族(英: Semites)は、セム系の言語を使用する人々の総称である。
セムという名称は比較言語学において語族名に転用され、セム語族(英: Semitic Language Family)という用語が生まれた。その上位にはセム・ハム語族 (Semito-Hamitic) ないしハム・セム語族 (Hamito-Semitic)、後にはアフロ・アジア語族 (Afro-Asiatic) が立てられ、セム諸語(英: Semitic Languages)はその下位グループとされた。今日では Semitic をセム語派と翻訳することもあるが、セム語族という呼称もいまだに用いられている(言語の親族関係における最も大きなまとまりを語族 (family) とし、その下位分類単位を語派 (branch) とする)。
セム系」民族という概念は、古代ヘブライ文化の起源についての聖書の記述に由来している。文化と言語においてこれと近接的な関係にある人々は、一般的にその先祖であるセムの系統を引くものであると考えられた。

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『聖書考古学 - 遺跡が語る史実』 長谷川修一/著 中公新書 2013年発行
アブラハムは実在したか――族長時代 より
ユダヤ人は最初の族長「アブラハム」を今日まで自分たちの「信仰の祖」と考えている。アブラハムは神に絶対的な信仰を示し、神もまたアブラハムを選び、是認した。このことは神がアブラハムと契約を結ぶことによってはっきりと示される。契約の1つは、神がアブラハムとその子孫に、当時「カナンの地」と呼ばれていたパレスチナの地を与える、というものであった。アブラハムもその子孫も神にとって特別な存在になったのである。そして聖書の中の「イスラエル人」はアブラハムの子孫ということになっているのだから、代々にわたる神との契約を最初に結んだこの先祖がひときわ重要なのだ(創世記17章7ー8節)。
さて、アブラハムが最初なら、最後の族長とは誰だろうか。ユダヤ教の伝統では「アブラハム」、「イサク」、「ヤコブ」を「3人の(民族の)父」とする。つまり、最後の族長はアブラハムの孫の「ヤコブ」であった。
もっとも、一般に「族長時代」と言った場合は、創世記に言及されるヤコブの12人の息子たちの時代も含められる。エジプトで権力の極みに昇りつめたヨセフもヤコブの息子の1人だった。
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父祖たちの物語の中で、その内容の史実性がその舞台となった町の発掘によって確認できた例は今のところない。しかし発掘の成果の一部は、父祖たちの物語すべてがまったく創作というわけではなく、そこに何かしら、古代の記憶が繁栄されている可能性をも暗示している。ただそれを聖書が記す族長時代中の出来事に限定することは不可能であろう。
おそらく父祖たちの物語の中には、物語が書かれた当時人口に膾炙(かいしゃ)していた伝承が含まれており、そうした伝承の中には、いつの間にか自分たちの大いなる「民族の父」に起こった出来事として伝わるようになったものもあるのではないだろうか。

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『人類の歴史200万年』 READERS DIGEST 1980年発行
フェニキアヘブライ 聖書の国の航海者と預言者 より
世界の大宗教のうちの2つは、約5000年前に地中海東岸に住みついたセム語系の民族の間に興った。彼らは鋭い知力に恵まれた民族であったが、その1つが史上はじめて多神教信仰を捨てたヘブライ人だった。この民族の峻厳な唯一信仰はユダヤ教の礎石となり、同じヘブライ人の間からのちに興ったキリスト教の基となった。
これらセム語系民族の業績は、宗教界のみにとどまらない。ヘブライ人とは別のグループ、フェニキア人は、卓越した貿易商人、航海者であり、東地中海諸民族中第一の商売上手であった。巧みな造船と航海の技術によって、彼らの影響は遠くスペイン、シチリア北アフリカに及んだ。また、北アフリカに彼らが建設した植民地カルタゴは、のちに強国ローマと対決するほどの大勢力になっていった。
セムという名は『旧約聖書』に、ノアの長子でヘブライ人の祖と記されたセムに由来する。BC3000年ごろ、多くの部族に別れていたセム族は、肥沃な土地を求めて北へ移動しメソポタミアと東シリアに入った。今日の東地中海地方の住民に見られるとおり、典型的なセム人は黒い髪と小麦色の肌をしていた。王と貴族が政治をつかさどり、裁判官を兼務した。古代社会の通例で一夫多妻制度をとり、豊かな家には奴隷がいた。部族間の戦争は、ほとんど奴隷獲得のためであった。奴隷は主として、女は家事とハーレムのために、男は戦闘要員として用いられた。
戦乱と人口増加のために、多数のセム人がしだいに故郷から遠くへと移動していった。西方へ移動したグループは地中海に達し、東海岸に定住した。この地中海の東海岸は、トルコ南部のイスケンデルン湾からエジプト国境まで、約800kmにも達するが、すべて耕地に適しているわけではない。しかし、古代には、今日よりも全体的に肥沃だったと思われる。
セム人の住みついた海岸地方は、『聖書』のなかでカナーンの北と呼ばれている。『旧約聖書』の大半は、この初期カナーン人と、のちの移住民との土地の所有権をめぐる抗争の記録である。その移住民の1つがヘブライ人であり、彼らはBC1950年ごろ、アブラハムにひきいられてメソポタミアからカナーンへ移ってきたとされている。先住のカナーン人は、BC1150年ごろには現在のレバノンにあたる狭い海岸地帯に押しやられ、フェニキア人と呼ばれるようになった。
BC1600年ごろ、ヘブライ人は大飢饉の発生でエジプトへ移動し、BC1200年にモーセにひきいられ故地に戻った。ヘブライの12支族はパレスチナの東方を長くさまよったすえに、”約束の地”カナーンに入った。他のセム語系諸民族は、何世紀もたつうちに、雑婚と交易を通じて独自性を薄めていったが、ヘブライ人のみは宗教上の理由から純血を保ちつづけた。