じじぃの「神話伝説_85_アッカド人(バビロニア)」

Akkadian Empire 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RkzXfIRFoAc
古代メソポタミア文明 (barbarossa.red HPより)

聖書を歴史的背景から読む
第4章 アブラハム、イサク、ヤコブ
アッカド王朝がセム族最初の統一王国です。セム族を自称する部族がいたわけではありません。セムという名は、聖書に登場するノアの3人の息子のひとりであり、ヨーロッパで最初に知られるようになったのがセムという名前であることから、セム族という用語が定着しているわけです。本来ならアッカド族という言い方をすべきかもしれません。
創世記のアブラハムという人物は、おそらく前2000年頃の人ではなかったかと私は推定しています。創世記では、アブラハムからイスラエルの歴史が始まっています。
http://www.geocities.jp/hirokuro01/israelshi/abraham.html
アッカド ウィキペディアWikipedia)より
アッカド(Akkad)は、メソポタミア(現在のイラク)南部を占めるバビロニアの北半分の地域、またはそこに興った最古の帝国。中心都市はアガデ(英語版)。南側にシュメールが隣接し、北西側にアッシリアが隣接している。
サルゴンが登場するまで、アッカドについてアッカド語でかかれた記録はなかった。伝統的にはサルゴンアッカドとシュメールの統一帝国の最初の支配者と位置付けられている一方で、最近の学説は前王ルガルザゲシの下でシュメール人の膨張が始まったことを示唆している。しかしながら、サルゴンはこの膨張をさらに推し進めて多くの地域を征服し、彼によって創造された帝国は地中海やアナトリア半島にまで到達した。
バビロニア
後にバビロニアは、シュメールとアッカドをあわせた領域から政治的・地理的に形成されたバビロニアと言う概念の中にまとめられて行き、アッカド語バビロニアの言語となった。
後代のバビロニアアッシリアの文学では、「アッカド」と「シュメール」の名がバビロニアの王号の一部として現れる。
セム族 (民族集団) ウィキペディアWikipedia)より
セム族(英: Semites)は、セム系の言語を使用する人々の総称である。西アジア北アフリカに分布する。
セム系」民族という概念は、古代ヘブライ文化の起源についての聖書の記述に由来している。文化と言語においてこれと近接的な関係にある人々は、一般的にその先祖であるセムの系統を引くものであると考えられた。

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『世界神話伝説大系 5 バビロニアアッシリアパレスチナの神話伝説』  松村武雄/編 名著普及会 1928年発行
バビロニアアッシリアの歴史 (一部抜粋しています)
1世紀ばかり前までは、バビロンはほんの名ばかりの国でありました――ここかしこに、シリアの砂漠のなかに、塔とか神殿とかの大きな廃墟として、わずかにその肋骨を露(あら)わにしている巨大な骨にすぎなかったのです。しかしいまでは、古代の栄華の輝きと閃きとを、チグリス、ユーフラテス川の峡谷に発達した、人類文化の不思議なパノラマを、いまや目の当たりに見ることが出来るようになりました。
バビロンの名は、秘密の寺院の1室で唱えられる呪法のように、深い神秘な呪文の響きをもたらします。その名は、想像のうちに幾千とない谺(こだま)を呼び起こします。その名はエジプトのそれよりも豊富な楽の音を持っています。バビロン、バビロン――この言葉のもつ朗かな魅力は、大抒情詩からの1行のようです。その名は、歴史家には遠雷のごとくにもひびきます。ローマの偉大と、ギリシャの優美の後ろには、その名は、大きな濃い真っ暗闇をただよわせ、その闇の底に、時折間をおいては、半ば忘れられた王、僧侶、征服者、暴君、半神半人、偉大なる建築家が幽暗をとおして、朦朧から朦朧へと一道の不確実な光明を投げています。――ある時は歴史に認められる矍鑠(かくしゃく)たる光明として、しかし、大部分は薄明として、不確定の幽暗として、部分的に浮き上がるのです。また、ある像は幽霊のように、暗闇の中に動いています。しかもそれが最も数多いのです。しかしバビロンの幽霊は、優美さも魅力もないもので、東洋の怪奇をも、東方の優美な幻想も持っておりません。
バビロニアの歴史にはただ2つの大きい像――戦士と僧侶とがあるのみです。私たちは、厳格なる固くるしい一民族を、厳粛なる宗教の帰依者である一民族、東方のローマ人である征服者を、取り扱うのです。
しかし、それは決して非瞑想的な民族ではありません。バビロニア人およびアッシリア人は、ユダヤ教キリスト教、回教を世界に与えている同じ根幹から出た種族です。その種族は、神秘と科学との観念を持たないものではありません。バビロンは天文と魔法の母であって、星を研究する第1の階梯(かいてい)を作った所です。そして最後に商業についていえば、最初の正しい金融と最初の取引所とが、この種族の神殿および王宮の陰で発見されるのです。
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バビロニアセム族に取って代られ、そして融合して一民族となったアッカド人とはいかなる民族であったか。この民族の人種上の問題に関しては、激しい争論が繰り返されました。ある者は、彼らはセム族その者であるといい、他の者はモンゴル(Mongol)、ラップ(Lapp)、バスク(Basque)に近似した民族だと主張します。しかしバビロニアの神話を説くのがこの目的のこの書では、そうした議論をする人々の後については暗い隠れ家までついて行く必要はありません。が、普通彼らの碑銘に表されているアッカド人は、無髯斜眼(むぜんしゃがん)の人種であって、多分中央アジアから発して、ヨーロッパの北方、氷にとざされている北極地方、トルコ帝国、また恐らくはアメリカにさえ及んでいると思われる大モンゴル族に関連しているらしく思われます。言語の上において、特に文法的構成において、アッカド人は、トルコおよびフィン族を包含するウラル・アルタイ族に似ております。
いずれにせよ、バビロニアに入り込んだセム族が、文化の萌芽を受けたのは、アッカド人からです。実際この土着の人民が文明の最初の道を開いたことは著しい事実です。彼らは新米のセム族に読み書きを教えたばかりでなく、彼らの宗教的信仰を強く傾けさせ、また彼ら自身が持つ信仰の神聖なる観念を注入したのです。これは、後期バビロニアの僧侶が、ちょうどローマの僧侶が死滅したラテン語を使用したのと同じように、アッカド語を使用し、神聖なる言語として保存していたことでも分かります。