じじぃの「旧約聖書の記述を疑う・メソポタミア伝説・モーセは実在したか?聖書の謎」

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King of Akkadian & Moses

筑摩書房 一神教の起源 ─旧約聖書の「神」はどこから来たのか / 山我哲雄 著
もともとイスラエルもユダも、古代オリエント世界の辺境に存した弱小国家に過ぎず、権力や覇権とはほとんど縁がなかった。その小さな国家が滅び、新バビロニア帝国の圧倒的な支配のもとで「ヤハウェの民」が最も非力で悲惨な境涯にあった時に、彼らの中から唯一神観が生まれた。それは、弱い者が生き延びるための知恵であった。―古代イスラエル唯一神が誕生するまでを、壮大な筆致で描く。
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480015815/
筑摩書房 一神教の起源 ─旧約聖書の「神」はどこから来たのか / 山我哲雄 著いわゆる「出エジプト より
モーセの名がエジプト系の人名だということは、ヒエログリフが解読された後の近代エジプト学による発見である。モーセヘブライ語では「モシェ」の名は、古代エジプト語で父が)子を「もうける」、「生む」という意味の「ムス」ないし「メス」という語に基づいており、この語は「ラメセス(ラー神が生んだ)」、「トトメス(トート神が生んだ)」などのファラオたちの名前にも含まれている。なお、旧約聖書(出2・10)ではモーセの名が「引き上げる」(マーシャー)というヘブライ語の動詞から説明されているが、これは明らかに通俗語源解釈、すなわち二次的な語呂合わせにすぎない(そこではエジプトの王女がヘブライ語を話している!)。古代イスラエルの物語創作者が、自分が作り出した架空の主人公にちゃんとエジプト系の名前を与えておいたというのは、できすぎた話である。したがって、出エジプト系の伝承には、前13世紀中葉のエジプトから脱却してカナンの地に辿り着いた逃亡奴隷たちの集団の記憶が反映されている可能性があり、そのリーダーとして「もーせ」という人物が実在した可能性さえ排除できない。しかし、それが具体的にどんな人物であったかについては、何ら語ることはできないのである。
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エジプトの史料を見ても、前13世紀前後に大量の奴隷の脱出があったり、大規模な民族移動があったという事態を示唆する記録は、少なくとも今のところ何1つ発見されていない。

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『世界神話伝説大系 5 バビロニアアッシリアパレスチナの神話伝説』  松村武雄/編 名著普及会 1928年発行
王に関する伝説 より
名高いルガル・ザギシ(Lugal-Zaggisi)に次いで、スメルとアッカドを治めたのが、このサルゴン1世 (Sargon Ⅰ)であります。このサルゴン 1世は諸市を征服して、ここに空前の大国を建設し、その文化はバビロンにも劣らぬものといわれています。しかしその出生は何の記録もなく、明瞭ではありません。断片的に残っている記録によって、その生涯を知るよりほかないのです。
サルゴン1世 はごく貧しい生れでした。お母さんというのは、太陽神シャマシュに捧げられた尼僧であり、父というのは山地から来た一外国人でありました。(つまり父というのはアッカドへ侵入して来た山地の蛮族の一人に違いありません)
こうして生れ出たサルゴンは、決して普通家庭の少年のように、両親の許で養育されることはありませんでした。それどころか、母となる人は、サルゴンをお腹に持つと、人知れずにある隠れ家に、身をひそめてしまったのです。そして、とに角もサルゴンを、産み落としたのでした。
サルゴンは生まれながら、暗い運命を持っていたのでした。母は手許において、サルゴンを育てるわけにはいきません。そこで藺(い)で作った舟の中に入れて、川へ流してしまいました。
赤ん坊を乗せた藺の舟は、流れを下って行きました。どこまでもどこまでも下って行きました。そしてとうとう、ある所でアッキ(Akki)という水汲みに見つけられ、拾い上げられました。
アッキは赤ん坊を自分の子どもとして、養育しました。そして庭師として、また番人として、キシュ市(Kish)に祭ってある戦いの神ザママ(Zamama)の神殿に仕えさせました。
平凡な一庭師、一番人にも、やがて思いも儲けぬ幸運は恵まれました。というのは、イシュタル女神の愛を得ることが出来たからです。サルゴンは、女神の助けによって、次第に頭角を現していったのでした。
やがてサルゴンは、アッカドの王となりました。

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『眠れないほどおもしろい「聖書」の謎』 並木伸一郎/著 王様文庫 2011年発行
旧約聖書』のハイライト! モーセの「出エジプト」と「十戒 より
さて、モーセの両親は生後3ヵ月までは、なんとか自分の元でモーセを育てていたが、いよいよそれも難しくなってきた。そこで、防水処理を施したパピルスでできた籠にモーセを入れ、ナイル川の岸辺の葦(あし)の中にそっと置き去る。
それを見つけたのが、偶然水浴びにきていたファラオの娘だ。モーセは王女に拾い上げられ、王族の中で再興の教育を与えられ、大切に育てられる。
成長したモーセはある日、強制労働の現場で、イスラエル人を虐待しているエジプト人監督を目にする。怒りで我を忘れたモーセは、気がつくと、なんとそのエジプト人監督を殺してしまっていた。
この事件は、すぐにファラオの耳に入った。たとえモーセに非はなくても、イスラエル人がエジプト人を殺したとなれば、極刑はまぬがれない。
エジプトを出たモーセは放浪の末、ミディアン地方にたどり着き、祭司の娘と結婚して羊飼いとして過ごすこととなった。
山での生活はすばらしかった。穏やかな毎日を送っていたが、ある日、モーセシナイ山で神から、
イスラエル人をエジプトから救い出し、カナンの地に連れ戻せ」
との命を受ける。エジプトでは相変わらず、イスラエル人が酷使されていた。
とはいえ、モーセがエジプトを離れて、早くも40年が経過していた。躊躇するモーセに神は、
「わたしはある。わたしは”ある”という者だ」
と伝え、奇跡を起こす杖を授ける。しかしモーセはそれでも、何度も神に断りを入れ、説得を受けている。
このように、神を感じ、その声を聞きながらも、「自分に救世主のようなことができるのだろうか」と思い悩むモーセの姿は、何とも人間的でおもしろい。これもまた、偉人であってもその弱さを包み隠さず書き記す、旧約聖書ならではであると言えよう。
ついにエジプトに戻ったモーセは、雄弁な兄アロンとともに、ファラオにイスラエル人を解放するよう直談判する。しかし、イスラエル人は大事な労働力だ。ファラオは首を縦に振らず、そればかりか、さらに厳しい使役を課すのだった。
そこで。モーセは神の意志を見せつけるべく、エジプト全土に十の災いをもたらす。
ナイル川を血に変える」「ぶよを発生させ、エジプト人だけを襲わせる」「疫病を発生させ、エジプト人の家畜を苦しめる」「天から雹(ひょう)を降らせ、作物を全滅させる」……。
いずれの災厄もエジプトにとっては大変な痛手だったが、ファラオは了承しない。そこでモーセは、「エジプト全土の全ての長子を殺す」という最終手段に打って出る。
ここにきて、ようやくファラオは屈服し、イスラエル人の解放を許した。
モーセは成人男子だけで約60万人という大集団を連れ、カナンに向かって移動を始めた。「出エジプト」である。
しかしそれを知り、ファラオは慌てふためく。奴隷を失うことが急に惜しくなったのだ。自ら粉黛を率いて猛追、そしてついに、モーセたちは葦の海の入り口でエジプト軍に追いつかれてしまう。

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どうでもいい、じじいの日記。
並木伸一郎著 『眠れないほどおもしろい「聖書」の謎』を読んでいたら、『旧約聖書』のハイライト! モーセの「出エジプト」と「十戒」があった。
いろいろな『旧約聖書』の解説書を読んでいるうち、いろいろな謎が浮かび上がってきた。
モーセ」は実在の人物なのか。
謎その1.
 アッカドサルゴン王の出生伝説とモーセの出生伝説が、かなり似ていること。
謎その2.
 モーセという名前はエジプト系の名前であること。
謎その3.
 モーセが60万人という大集団を連れてカナンに向かって移動したと、旧約聖書には書かれているが、エジプトやその他に文書資料がまったくないこと。
ユダヤ預言者の一人が、モーセの物語を創作したということなのだろうか。