じじぃの「神話伝説_185_ヤハウェ(イスラエルの神)」

Deborah's Army: The Book of Judges

動画 YouTube
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古代オリエントの神々-文明の興亡と宗教の起源』

小林登志子/著 中公新書 2019年発行

ヤハウェイスラエルの神 より

ヤハウェイスラエルの歴史から登場する神ではなく、後から導入された。
イスラエルの初出はエジプト第19王朝メルエンプタハ王(在位前1213-前1203年の)「戦勝碑」(「イスラエル碑」)で、非定住の部族集団としてその名前が出て来る。
イスラエルとは、「エル神、戦い給う」あるいは「エル神、支配し給う」の意味で、イスラエル人はウガリトやカナンで祀られていたエルを信じていた。
のちにヤハウェの信仰が導入され、エルと習合されて、ヤハウェが「イスラエルの神」(「士師記」5章3-5節)とされたのである。
ガリトではエルの対偶神で、シリア・パレスチナでも祀られ、神々の母だったアシュラ神は、イスラエルの民間ではヤハウェの対偶神と信じられ、女神の象徴である樹木や木柱が立つ聖所で祀られていた。
イスラエルを構成する諸集団はその起源が多様で、当初は集団ごとにさまざまな神々が信じられていたという。『旧約聖書』には、イスラエルに属する人々が伝来の神々を捨てた話が複数記されている。
たとえば、「あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい」(「ヨシュア記24章14節)と記されていて、古くから信じていた神々を捨て去っていた。
「主ひとりのほか、神々に犠牲をささげる者は断ち滅ぼされる」(「出エジプト記」22章19節)、「他の神々の名を唱えてはならない」(「出エジプト記」23章13節)と、他の神々の礼拝が禁止されていて、ヤハウェは他の神々の崇拝を禁じる排他的な性格、すなわち一神教的な特色をおそらく最初から、持っていたようだ。
ヤハウェの語源は不明で、元来ヘブライ語でなかった可能性がある。
また、ヤハウェはカナン起源の神ではない。前9世紀以前の聖書外史料にも、この神の名は知られていない。もともとパレスチナ南方の荒野の山を聖地とする嵐の神であったようだ。元来ケニ族によって崇拝されたミディアン人の神とする説をはじめ、南方の遊牧民と結びつける説が有力だが、決定的ではない。
伝承では、ヤハウェモーセに自分の名を啓示し、イスラエルの民をエジプトから導き出し、シナイ山で民と契約を結んだ。
イスラエルカナン人都市国家群との戦闘を記す「デボラの歌」では、ヤハウェが「シナイにいます神」と呼ばれ、嵐や豪雨を引き起こしながらカナンの地まで、イスラエルの戦いを支援するためにやって来る様子が書かれている(「士師記」5章4-5節)。
「デボラの歌」に見えるように、初期の伝承でのヤハウェは戦闘神としての姿が目立っている。「主こそいくさびと。その名は主」(「出エジプト記」15章3節)と呼ばれており、先住民や周辺民族とイスラエルの闘いを記した「ヨシュア記」や「士師記」の伝承の多くは戦いの物語で、ヤハウェは奇跡的な勝利をもたらす神である。
ヤハウェは強く、万能な戦いの神であるが、イスラエル人は必ず勝つとは限らない。敗北した際には、前述のように、ヤハウェが敗北したのではなく、ヤハウェの意思でイスラエルは敗北させられたと解釈している。