じじぃの「神話伝説_83_サルゴン(アッカド王)」

The Legend of Sargon 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=IE0ffTx8dyA
古代メソポタミア文明

King of Akkadian & Moses

世界最初の大王
世界の歴史において、最初に登場する支配者は誰でしょうか。
始皇帝でしょうか、キュロス大王でしょうか、アレクサンドロス大王でしょうか。
いやいやそれよりはるか昔に偉大な支配者が存在しました。
それがアッカド帝国のサルゴン大王です。
http://barbarossa.red/sargon-akkad/
サルゴン (アッカド王) ウィキペディアWikipedia)より
サルゴン(Sargon、在位紀元前2334年頃 - 紀元前2279年頃)は古代メソポタミアの王。アッカド帝国を建国した、古代オリエント政治史上最も重要な王の一人である。
サルゴン伝説】
サルゴンは女性祭司(恐らく神殿娼婦)の子として生まれたためその出生を隠され篭にいれられてユーフラテス川に流された。そしてキシュ王に仕えた庭師ラーイブム(La'ibum)に拾われて育った。その後キシュ王ウル・ザババの酌を務める役人としてキシュ王国に仕えることとなる。

                          • -

『世界神話伝説大系 5 バビロニアアッシリアパレスチナの神話伝説』  松村武雄/編 名著普及会 1928年発行
王に関する伝説 (一部抜粋しています)
名高いルガル・ザギシ(Lugal-Zaggisi)に次いで、スメルとアッカドを治めたのが、このサルゴン1世 (Sargon Ⅰ)であります。このサルゴン 1世は諸市を征服して、ここに空前の大国を建設し、その文化はバビロンにも劣らぬものといわれています。しかしその出生は何の記録もなく、明瞭ではありません。断片的に残っている記録によって、その生涯を知るよりほかないのです。
サルゴン1世 はごく貧しい生れでした。お母さんというのは、太陽神シャマシュに捧げられた尼僧であり、父というのは山地から来た一外国人でありました。(つまり父というのはアッカドへ侵入して来た山地の蛮族の一人に違いありません)
こうして生れ出たサルゴンは、決して普通家庭の少年のように、両親の許で養育されることはありませんでした。それどころか、母となる人は、サルゴンをお腹に持つと、人知れずにある隠れ家に、身をひそめてしまったのです。そして、とに角もサルゴンを、産み落としたのでした。
サルゴンは生まれながら、暗い運命を持っていたのでした。母は手許において、サルゴンを育てるわけにはいきません。そこで藺(い)で作った舟の中に入れて、川へ流してしまいました。
赤ん坊を乗せた藺の舟は、流れを下って行きました。どこまでもどこまでも下って行きました。そしてとうとう、ある所でアッキ(Akki)という水汲みに見つけられ、拾い上げられました。
アッキは赤ん坊を自分の子どもとして、養育しました。そして庭師として、また番人として、キシュ市(Kish)に祭ってある戦いの神ザママ(Zamama)の神殿に仕えさせました。
平凡な一庭師、一番人にも、やがて思いも儲けぬ幸運は恵まれました。というのは、イシュタル女神の愛を得ることが出来たからです。サルゴンは、女神の助けによって、次第に頭角を現していったのでした。
やがてサルゴンは、アッカドの王となりました。
サルゴンは武人としてまた支配者として、比類のない英雄でした。したがって、サルゴンの領国は次第に拡げられてきました。スメリアは第1に王の属国となりました。西部の国アムル(Amuru)も従えました。殊にエラミテ人(Elamites)は、しばしばサルゴンの領土を侵してオピス(Opis)の町を攻撃し、そのために却って追い退けられてアンシャン(Anshan)として知られている土地を奪われることとなりました。
こうしてサルゴン1世は、ここに強大な一国を建設しました。しかし王はただ戦争を起こすばかりでなく、種々文化の発達に努めたのでした。そしてその国富と共に、「比類なき至高の王」と呼ばれて尊敬されるに至りました。
晩年のことでした。サルゴン1世の統治下におかれたバビロニアの各都市は、どれも反旗を翻えして、いっせいに起ちました。これはサルゴン1世が年を取ったことと、長い圧制に堪え切れず、各都市がおのおの独立しようと企てたのでした。
各都市の大軍は破竹の勢いでサルゴン1世の軍隊を、各地で打ち破って、一挙にサルゴン王の住んでいるアッカドへと殺到しました。
しかし老王サルゴン1世は、これも驚きませんでした。たとえ寄せ来る敵は多くとも、また自分は年をとって、頭は白髪を載きながらも、一度起ては無数の英雄です。
武具を身につけた老王は、壮者を凌ぐ勢いを示しながら、味方の軍隊の最先頭に進んで、押し寄せる敵軍を打ち破ったのでした。そしてとうとう、勝ち誇った各都市の軍隊を、全滅させてしまいました。
サルゴン1世は、こうして長い間バビロニアを治めていた、サルゴン王家の基礎を形作ったのでした。
かのバビロニア全土、パレスチナ、アラビアまでも統治下においた有名なナラム・シン(Naram Sin)は実にサルゴン1世の孫に当るものです。