じじぃの「人新世・気候変動・アッカドの呪いの本当の原因は?地球最後の世代」

Ancient Superpowers of West Asia | West Asia ki Qadeem Superpowers | Ancient Super Powers Part 1

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BruWOke5AOg

The Akkadia Empire collapsed after a prolonged period of drought.

特集:暴走する雨の脅威

2009年4月号 ナショナルジオグラフィック

地球温暖化が進むと、雨の多い地域では豪雨が増え、乾燥地では干ばつが深刻化するという。世界各地の雨はどう変わるのか。

世界最古の帝国アッカドが、中東のチグリス川とユーフラテス川にはさまれた地域、メソポタミアに誕生したのは、いまからおよそ4300年前のことだ。同じくアッカドと呼ばれた首都は、現在のバグダッドのすぐ南に位置していたといわれている。その勢力範囲は、北は現在のシリア、西はアナトリア地方、東はイランにまで及んだ。アッカド人は秩序だった組織と優れた兵力を誇り、国は繁栄を謳歌した。
ところが、建国から約1世紀後、アッカド帝国は突然、終焉を迎える。末期には、わずか3年間で4人もの皇帝が矢継ぎ早に交代するといった事態も起きていたようだ。
専門家たちは長年、政治上の失敗がアッカド帝国の滅亡を招いたと考えてきた。だが10年ほど前、気候科学者が湖底や海底から収集したデータを分析したところ、意外な事実が判明した。帝国が崩壊したのとちょうど同じ頃、周辺地域の降水量が著しく低下していたというのだ。最近では、アッカド帝国を滅ぼしたのは、極度の干ばつだと考えられている。
近年になって、降水量の変動と文明の消滅が関連づけられるようになった例は、ほかにもある。アッカド帝国と同時期に崩壊したエジプト古王国や、南米アンデス山脈のティティカカ湖周辺で1000年以上にわたって栄え、紀元1100年頃に消えたティワナク文明、そして紀元800年頃、最盛期のさなかに衰退した古代マヤ文明などがそうだ。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/0904/feature02/

『地球最後の世代―自然が人類に報復しはじめた』

フレッド・ピアス/著、小林由香利/訳 NHK出版 2009年発行

アッカドの呪い――環境決定論の奇妙な復活 より

約4300年前、世界最高の帝国の支配者はサルゴンだった。この名前はのちに、J・R・R・トールキンの『指輪物語』3部作で山中の王国モルドールにおける悪の化身の名になった。だが元祖サルゴンは、独裁的ではあったが、それ以外はアッカド帝国の支配者としてごく普通だった。この帝国を世界最初の本当の帝国と呼ぶ人もいる。確かにそれは、現在のイラクに当たるメソポタミアチグリス川とユーフラテス川の氾濫原にある、それまでの自治都市から生まれた新たな形態の社会に思えた。帝国の支配はトルコにあるチグリスとユーフラテスの源流からシリアの大半、さらにはるか南のペルシャ湾まで及んでいた。しかし、サルゴンの帝国は、わずか1世紀ほど機能したのち突然崩壊した。考古学者は当初、周囲の山岳からの蛮族の侵入が原因としていた。だが、ハーベイ・ワイスというエール大学の精力的な実地考古学者がそうしたかなり退屈な仮定を変えた。と同時に、過去の文明の盛衰に対する私たちの認識について、ほかにも多くを変えた。
1970年代後半、シリアで調査中だったワイスはイラクとの国境に近い砂漠の砂の下から「失われた都市」を発見した。テル・レイアンと名づけられたその集落の遺跡を10年以上かけて発掘した。数千年のあいだに小さな村からアッカド帝国の繁栄した前哨地に発展を遂げた、高度に組織された都市の物語の断片をつなぎ合わせた。ただし、ひとつ謎があった。およそ300年のあいだ、都市は無人になり、通りが風砂に埋めつくされた形跡があったのだ。
ワイスはテル・レイアンでのできごとを、「アッカドの呪い」と題した同時代の楔形文字の文書に結びつけた。その文書には、メソポタミア北部のほとんどの平野から突然人がいなかなった大規模な干ばつが記録されていた。穀物倉は空になり、果樹園の木は枯れ、大河が干し上がって魚さえいなくなった。大量の難民が南に殺到し、メソポタミア南部の住民はそれを阻止すべく全長180キロメートルに及ぶ壁を築いた。考古学者はそれまで「アッカドの呪い」を神話と片づけていた。気候その他の環境の変化が社会の進歩を左右するという発想は、ひどく時代遅れだった。政治や経済や戦争や王朝が帝国を築き、崩壊させるのであって、気候は程度の差こそあれ害のない背景にすぎないという考え方が一般的だった。
だが、ワイスは、300年間の崩壊を説明できるのは気候の大規模な変化以外にないと確信していた。その後、北部の平原の気候が回復して再び人が住めるようになったらしかった。

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どうでもいい、じじぃの日記。
『地球最後の世代』という本を読んでいたら、「アッカドの呪い」というのがあった。
私は約10年前、上野にある東京都美術館で「ルーヴル美術館展 ―地中海 四千年のものがたり」が開催されていたので、観に行った。
地中海はメソポタミアと並んで、文明の発祥の地である。エジプトの遺跡、トルコの遺跡、ギリシャの遺跡、ローマの遺跡で発掘された、遺物や埋葬された王の副葬品がたくさん展示されていた。
はるか4000年以上前、古代エジプトの王朝は栄華を極めていた。
展示物に中には、ツタンカーメンが履いていたという黄金のサンダルもあった。
しかし、今から4300年前頃の古王国と呼ばれた時代、大干ばつがあった。
同時期、メソポタミアではアッカド帝国の支配下にあったが突如、滅んでしまった。
アッカドの呪い」として語り継がれているが、これも干ばつによるのではないかといわれるようになった。
同時期、今のパキスタンにあたるインダス川流域ではハラッパ文明が崩壊している。
原因については、よく分かっていない。
アメリカの地球化学者のウォーレス・ブロッカー(1931~2019年)は海洋の大循環説を唱えた。
彼は、熱と塩分により決定される海水の密度による地球規模の海洋循環である熱塩循環について1980年代に発表したことで知られる。深層水の動きを「ベルトコンベア」にたとえた。
4300年前、ブロッカーのベルトコンベアのオン/オフがあったのだろうか。
今日の気候変動に、このベルトコンベアのオン/オフが起きたりしないのだろうか。