NHK 100分 de 名著 : 旧約聖書 3/4 : 聖書の成立 動画 dailymotion
http://www.dailymotion.com/video/x2b45vr_nhk-100%E5%88%86-de-%E5%90%8D%E8%91%97-%E6%97%A7%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8-3-4-%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%AE%E6%88%90%E7%AB%8B_school
The Universe and God (Isaiah 40:26) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=axUXoElplaI
137億年の物語 「シュメール人、文字を発明!」 2013年5月26日 テレビ東京
【出演者】寺脇康文、相内優香、その他
古代のアイデアマン“シュメール人”を知っていますか? 世界最古の文明・メソポタミア文明を開いたシュメール人は「人類史上初の文字」を発明しました。彼らは文字をまず何に使ったのだと思いますか? 古代人はとても几帳面な人たちだったようです。シュメール人の発明は文字だけではありません。今を生きる私たちにも関係が深いものばかり・・・1週間は7日。1日は24時間、1時間は60分、1分は60秒。
相内優香さんが、ギルガメシュ叙事詩を紙芝居で紹介した。この物語は旧約聖書のノアの方舟物語に似ているという。ギルガメシュ叙事詩は1872年に大英博物館の研究員だったジョージ・スミスが発見した。
http://www.tv-tokyo.co.jp/program/detail/22689_201305261830.html
名著33 「旧約聖書」:100分 de 名著 「第3回 聖書の成立」 2014年5月21日 NHK Eテレ より
【司会】伊集院光、武内陶子 【ゲスト講師】加藤隆(千葉大学文学部教授)
戦乱が続く中、残っていた南王国も戦いに敗れて消滅。
ユダヤ人たちは敵国の首都バビロンへ連行され捕囚となってしまった。しかし人々の多くは、出エジプトのよう出来事を神に期待し、信仰を守り続けた。こうした中、聖書の成立にあたり、ある重要な出来事があったと加藤隆教授は考えている。
第3回では、旧約聖書が生まれた背景を学ぶと共に、そこに記された掟がどのような影響を与えたかを考える。
バビロン捕囚下のユダヤ教
掟 = 心のよりどころ
ヤーヴェの神が創造神になった
加藤、「バビロン捕囚の時代に生じた重要な変化の1つです。ユダヤの民族は征服されて、奴隷のような状態にあって屈辱的な状況に置かれた。そうした中で、なぜ自分たちがこういう状況に置かれたのか、ということを合理化して考えるということになった。それまではヤーヴェはユダヤ民族の神であるとしか考えていなかったのが、全人類、全世界の神だと、考えるようになった。そして今は神の民ではないバビロニアに支配されている。それは私たちに伺いしれない神の深い意図があって、世界をそういうふうに導いている。私はその神の深い計り知れない計画の中で、今は屈辱的な奴隷状態に置かれている、と考えるようになった」
聖書の誕生
バビロン捕囚から半世紀後、ユダヤ民族の運命が動きます。新バビロニアがペルシャ帝国のキュロス王に滅ばされたのです。
寛大な政策をとったキュロス王はユダヤ民族が故郷に帰ることを許しました。その時、エルサレムに向かったユダヤ民族は数万人近くもいたといわれます。中には、エルサレムを見るのは初めての者も。
彼らが旅路の果てに見たのは、荒れ果てた都と神殿の廃墟でした。その後、20年をかけてユダヤ民族は新たな神殿の建設を果たします。
しかし、彼らはペルシャ帝国に支配される立場にありました。キュロス王はイスラエルの統治にあたり、ユダヤ民族に自分たちの「掟」を提出するように命じます。
ペルシャの官僚でもあったエズラは編纂の任務にあたりました。
エズラは天地創造から出エジプトまでの民族の歴史物語や細やかな「掟」を”律法”としてまとめ、ペルシャ帝国に提出したと考えられます。この時、聖書の核が誕生したのです。
加藤、「正式な位置づけとしては『掟』であるはずでしたが、内容は歴史物語なんです。こうしたものが作られ、ペルシャによって認められてしまったというのは、ちょっと不思議ですが」
伊集院、「王様が提出しろ、と言ったのは基本的には”安息日”のこととかなんだのに、それ以外の”海が割れた”みたいなのはいらないと言ってもおかしくないですよね」
加藤、「それを受けつけたペルシャ側がすごい度量があったのか、それとも見ていないのか」
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/33_kyuyakuseisho/index.html#box03
筑摩書房 一神教の起源 ─旧約聖書の「神」はどこから来たのか / 山我哲雄 著
筆者は拝一神教である古代イスラエル宗教が変容を遂げて唯一神教であるユダヤ教にいたる道筋を五つの革命をへて成立したと考える。エルとヤーヴェが合一しヤーヴェが優勢となって拝一神教の成立(第一の革命)。北イスラエルにおけるバール信仰の浸透によるヤーヴェ信仰の危機、南ユダにおけるヤーヴェ神の混淆化の危機、背きに対して罰を加える世界神の登場(第二の革命)、北の滅亡を教訓とするヨシヤ王の宗教改革と挫折(第三の改革)、バビロン捕囚によるヤーヴェ神への信頼の動揺、ユダの罪として受容することによるヤーヴェの復権(第四の革命)、ヤーヴェを唯一神とする第二イザヤの逆転の発想(第五の革命)である。ユダヤ教誕生の歴史的整理である。
http://www.amazon.co.jp/dp/4480015817
新しい天と新しい地 (1) 牧師の書斎
・ヨハネが見た「新しい天と新しい地」という表現は、旧約聖書(イザヤ書65:17、66:22)にも見られます。果たして、旧約のイザヤはヨハネが見た「新しい天と新しい地」について啓示されたのでしょうか。イザヤ書65章17節以降を見てみましょう。
17 見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。
18 だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。
19 わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E5%A4%A9%E3%81%A8%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E5%9C%B0%20(1)
『人類の歴史200万年』 READERS DIGEST 1980年発行
ソロモン神殿の崩壊 より
BC950年ごろ、エルサレムの大神殿を作ったのはソロモンである。ヘブライ人の神を祭るこの壮大な神殿に雇われた職人は、ほとんどシリア人とフェニキア人だった。ソロモンの宮殿と神殿の建立は、ヘブライ人の国勢と威信の頂点であった。
しかしそのあとで国の衰退が始まり、イスラエルの12支族は2つの王国に分裂した。多数派は、サマリアに首都を置くイスラエル王国に拠った。しかし南のユダ王国は、首都、聖都としてエルサレムを擁し、ダビデとソロモンの正統な後裔をもって任じた。
ヘブライ民族はやがて、アッシリア、バビロニアの2大勢力にはさみうちにされる格好になった。サマリアは、BC722年、アッシリア王サルゴン2世の攻略倒れ、イスラエル人2万8000万人が流刑に処された。彼らが、のちにいう”失われたイスラエルの10支族”である。サマリアの人工補充のために、アッシリアは他国の流刑囚を移した。この移住民と追放を逃れたイスラエル人が結婚して生まれた子孫が『聖書』に記された、”よきサマリアびと”である。
20年後、アッシリア人は攻撃目標をもう一つのヘブライ人の王国ユダに向けた。侵略者は諸都市を次々に落としたものの、首都だけはついに攻略できなかった。エルサレムは、その後1世紀あまり名目的な独立を保ったが、BC586年にバビロニア王ネブカドネザルの攻撃を受けて倒れた。都と大神殿は破壊しつくされ、大量のユダヤ人が捕虜となってバビロンへ連れ去られた。このときから、ヘブライ民族の総称としての”ユダヤ人”という言葉が使われるようになり、ヘブライ民族の宗教も”ユダヤ教”と呼ばれることとなった。
ヘブライ詩集『詩編』下に「バビロンの川のほとり、そこで私たちはすわり、シオンを思い出して泣いた…」と始まる1編がある。ユダヤ民族の大部分が70年間バビロニア国内にとどめられ、そのほとんどはティグリス、ユーフラテス間の沃野で、むしろ安楽な生活を送ったが、それでも望郷の念の方がはるかに強かった。彼らは、帰国を許されていなかった。アモスからイザヤ、エレミヤに至る大預言者たちは、たえずユダヤ人が境遇に甘んじ、ともすれば異教徒の風習に染まろうとするのを責め立てている。