NHK 100分 de 名著 : 旧約聖書 3/4 : 聖書の成立 動画 dailymotion
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Babylon captivity 動画 YouTube
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Jeremiah - The movie (Heb subs) 動画 YouTube
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エレミヤ(Jeremiah)
名著33 「旧約聖書」:100分 de 名著 「第3回 聖書の成立」 2014年5月21日 NHK Eテレ
【司会】伊集院光、武内陶子 【ゲスト講師】加藤隆(千葉大学文学部教授)
戦乱が続く中、残っていた南王国も戦いに敗れて消滅。
ユダヤ人たちは敵国の首都バビロンへ連行され捕囚となってしまった。しかし人々の多くは、出エジプトのよう出来事を神に期待し、信仰を守り続けた。こうした中、聖書の成立にあたり、ある重要な出来事があったと加藤隆教授は考えている。
第3回では、旧約聖書が生まれた背景を学ぶと共に、そこに記された掟がどのような影響を与えたかを考える。
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/33_kyuyakuseisho/index.html#box03
エレミヤ ウィキペディア(Wikipedia)より
エレミヤは旧約聖書の『エレミヤ書』に登場する古代ユダヤの預言者。イエレミヤとも表記する。紀元前7世紀末から紀元前6世紀前半の、バビロン捕囚の時期に活動した。父はアナトトの祭司ヒルキヤ。アナトトはベニヤミン族の地にあった祭司たちの町であった。このことからエレミヤの家系は、ダビデ王の死去後に対立後継者アドニヤをたてたことを理由にソロモン王から祭司を罷免させられ、アナトトに追放された祭司アビアタルにつながるものであると思われる。
旧約聖書のうち『エレミヤ書』、『エレミヤの哀歌』、『列王記』上下は伝統的にエレミヤの著作と考えられてきた。現代の研究者には他の文書にもエレミヤの関与を想定するものがいる。『エレミヤ書』は『イザヤ書』『エゼキエル書』とならんで3大預言書のひとつとされ、旧約時代の預言者のなかでも、重要視される人物の一人である。
エレミヤの言葉の多くはネリヤの子バルクが口述筆記していたという記述から、エレミヤの生の言葉をより多く伝えていると考えられている。
【生涯とその言葉】
エレミヤはまた侵略者ネブカドネザル2世を「神の僕」であるといい、イスラエルの戦火を神の意思であると預言したため、仲間であるはずのユダヤ人たちから激しく攻撃される。同じように民に告げていた預言者ウリヤは実際に王の手で殺害されている。
イスラエルの回復 ウィキペディア(Wikipedia)より
イスラエルの回復とは、ローマの信徒への手紙11章などを根拠として、聖書がイスラエルの回復を告げているとする教理。メシアニック・ジュダイズムは、聖書が単にイスラエルの地上の領土だけでなく、霊的にもイスラエルを回復すると語っていると信じており、イエシュアが約束されたイスラエルのメシアであると告白するメシアニック・ジューの存在とリバイバルがイスラエルの霊的回復であるとする。
新共同訳聖書の小見出しはイスラエルの再興となっている。救済史における「イスラエル」の位置付けを意味する。
国家としてのイスラエルの建国を聖書が告げていると解釈するこのような見解は、様々な立場・教派から提起されてきているが、必ずしもキリスト教において多数派の採用するものとはなっていない。
ルーテル教会内にマリア福音姉妹会を創立したマザー・バジレア・シュリンクは、イスラエルの帰還と国家再建はイスラエルの救済史の第一次段階であり、その第二段階はイスラエル人たちがイエス・キリストを信じることだとしている。カナンの地はイスラエルの永遠の所有地であるとし、その根拠聖句としてエレミヤ12:15、イザヤ61:7、エレミヤ3:19をあげている。
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『ユダヤ教の本―旧約聖書が告げるメシア登場の日』 学習研究社 1995年発行
エレミヤ (一部抜粋しています)
エルサレムの近郊アナトトに住む青年に神の召命(しょうめい)が降った。イザヤの時代から約1世紀後のことである。青年は有力な祭司ヒルキヤの子として生まれていたが、若さと無知を理由に一度は神の命令を拒んだ。
「しかし、主はわたしに言われた。『若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのいないところに遣(つか)わそうとも、行って、わたしが命ずるところをすべて語れ』」(エレミヤ書/1・7)
彼は、この言葉によって預言者として歩み始めるが、これが苦難と悲劇に埋め尽くされた人生の始まりでもあった。
この時代、ヨシヤ王の宗教改革が行われていたが、結果的には成功しなかった。
エレミヤは活動の当初、「心の悪」に染まったエルサレムの人々に、「北からの敵が迫ること」を告げていた。王がヨヤキムに代わってからも、精力的に預言を行うが、やがて周囲からエレミヤを非難する声が起こる。災いが起きて王朝が断絶するという”不幸”預言に不満をつのらせたからである。
「あなたは死刑に処せられなければならない。なぜ、あなたは王の名によって預言し『この神殿はシロのようになり、この都は荒れ果てて、住む者もいなくなる』と言ったのか」(26・9)
しかし、北からの敵と災いは現実のものとなり、第1回バビロニア捕囚(紀元前586年)が起きてしまう。エレミヤは、ユダヤ王国最後の王となったゼデキヤの前に立ち王国滅亡を告げた。そして、一部の祭司の「王によって、まもなく王国は復活して神殿の祭具はバビロンから戻る」との預言を鋭く非難した。
「彼らは偽りの預言をしているのだ。彼らに聞き従うな。バビロンの王に仕えよ。そうすれば命を保つことができる」(27・16〜17)
つまり、バビロンの支配に屈して生きることを勧めたのである。エレミヤは、バビロンによる攻撃は神への背信が生んだ必然であり、それを謙虚に受け入れることこそ神の赦しにつながると主張した。それまでは王国と民族の危機と滅亡を示唆し、それが到来すると屈服を語ったのだから周囲の理解は得られず、当然、深刻な迫害を招いた。
監禁され、水溜めに投げ込まれたエレミヤは、苦痛と絶望にのたうちまわり、一時は神を呪ったものの、真実の信仰をひたすら貫く。このときの心情の吐露(とろ)は他の預言者にも見られないほどの悲痛な緊迫感に満ちている。そこには民族の苦難と自分の悲劇を重ね合わせた魂の苦悩が展開されるといっていい。
「旧約聖書のどんな記者もこの預言者のように自分の文書の中にこんなに自分を大きく描いてはいない。(中略)これを読む時に、われわれの前には彼らの生涯のために涙を注ぐ、失望と爆発する愛情を持つ、エレミヤの姿があるのである」{『旧約の霊想』}
しかし、民族の大難であるバビロニア捕囚に際しては、希望の灯火(ともしび)を持てといった。
「主はこう言われる。バビロンに70年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちをこの地に連れ戻す。わたしはあなたたちのために立てた計画をよく心に留めている」(29・10〜11)
だが、それでも迫害はやまず、エジプトに拉致されて、この地で悲劇の一生を終えることとなる。預言者として選ばれたことは1人の人間の幸福とは無縁であることが、ここでも証明されている。