じじぃの「神話伝説_67_エゼキエル書(旧約聖書)」

NHK 100分 de 名著 : 旧約聖書 3/4 : 聖書の成立 動画 dailymotion
http://www.dailymotion.com/video/x2b45vr_nhk-100%E5%88%86-de-%E5%90%8D%E8%91%97-%E6%97%A7%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8-3-4-%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%AE%E6%88%90%E7%AB%8B_school
Babylonian Captivity - 70 Year Prophecy 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=6U10sJ0kBFA
Rev. Douglas James Cottrell PhD: Ezekiel's wheel, the Garden of Eden, and the Dinosaurs' demise 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9XX9xHxNOFU
エゼキエル

筑摩書房 一神教の起源 ─旧約聖書の「神」はどこから来たのか / 山我哲雄 著
●それは信仰「革命」だった
もともとイスラエルもユダも、古代オリエント世界の辺境に存した弱小国家に過ぎず、権力や覇権とはほとんど縁がなかった。その小さな国家が滅び、新バビロニア帝国の圧倒的な支配のもとで「ヤハウェの民」が最も非力で悲惨な境涯にあった時に、彼らの中から唯一神観が生まれた。それは、弱い者が生き延びるための知恵であった。
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480015815/
エゼキエル36章・荒廃した地がエデンの園のようになる 聖書の描く地球の今と将来
エデンの園とは、初めにエホバ神が最初に人間アダムとエバを置かれた地上のパラダイスです。(創世記2:15)
エゼキエル36章の預言は、過去において、バビロンによって荒廃させられたイスラエルの土地にまず成就しました。西暦前607年にユダとエルサレムはバビロンの攻撃を受け、イスラエル人は剣で殺されたり、バビロンに連れ去られたり、周囲の諸国家に逃げたりしました。そのために、イスラエルの土地には、人が住まなくなり、70年間荒廃しました。(歴代第二36:21)しかし、エホバはそこの土地がエデンの園のようになり、そこに住む人々が増えることを預言していました。(エゼキエル36:35,37)
http://d.hatena.ne.jp/littleyohane/20121126/1353893818
名著33 「旧約聖書」:100分 de 名著 「第3回 聖書の成立」 2014年5月21日 NHK Eテレ
【司会】伊集院光武内陶子 【ゲスト講師】加藤隆(千葉大学文学部教授)
戦乱が続く中、残っていた南王国も戦いに敗れて消滅。
ユダヤ人たちは敵国の首都バビロンへ連行され捕囚となってしまった。しかし人々の多くは、出エジプトのよう出来事を神に期待し、信仰を守り続けた。こうした中、聖書の成立にあたり、ある重要な出来事があったと加藤隆教授は考えている。
第3回では、旧約聖書が生まれた背景を学ぶと共に、そこに記された掟がどのような影響を与えたかを考える。
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/33_kyuyakuseisho/index.html#box03
エゼキエル ウィキペディアWikipedia)より
エゼキエルは、旧約聖書に登場する紀元前6世紀頃のバビロン捕囚時代におけるユダヤ人の預言者である。
エゼキエルの生涯に関してはエゼキエル書以外に記載は無く、そのエゼキエル書も個人的な記述が非常に少ないために不明な部分が多い。

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ユダヤ教の本―旧約聖書が告げるメシア登場の日』 学習研究社 1995年発行
エゼキエル (一部抜粋しています)
祭司ブジの子エゼキエルは第1回の捕囚民としてバビロンに送られている。その5年後に、ケバル河畔で幻を見たエゼキエルは、預言者の中でも、最も強烈な神秘体験をした者だといえる。
「わたしが見ていると、北の方から激しい風が大いなる雲を巻き起こし、火を発し、周囲に光を放ちながら吹いてくるではないあk。その中、つまり火の中には、琥珀金の輝きのようなものがあった。またその中には、4つの生き物の姿があった」(エゼキエル書1・4〜5)
壮大にして幻想的なスペクタクルが展開された後、彼は神から預言者として選ばれたことを知る。エゼキエルの預言は、大きく3つに分けられる。
まず1〜24章は、紀元前593年から586年に告げられた国家滅亡の預言。「エルサレムに残された人々は偽預言者の言葉にだまされエジプトを頼りにしていたが、滅亡は避けられないと語る。
25〜32章は、イスラエル崩壊に関与したアンモン、モアブ、エドム、ペリシテ、エジプトなどの国々が被る滅亡の運命が述べられている。
33〜48章は、一転して救済、慰めと回復の預言となっており、40章以降では、再建される理想国家の見取り図と、神殿や祭祀の形式が綿密に述べられている。
エゼキエルの預言の特色は、国家滅亡の悲劇は王朝の政治や組織による背信が原因なのではなく、ひとりひとりの倫理的責任を強調しているところにある。
「正しい人でも、その正しさから離れて不正を行い、悪人がするようなすべての忌まわしいことを行うなら、彼は生きることができようか。彼の行った正義は思い起こされることなく、彼の背信の行為と犯した過ちのゆえに彼は死ぬ」(18・24)
「それゆえ、イスラエルの家よ。わたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く、と主なる神はいわれる(18・30)
バビロン捕囚に関して、民衆の間には宿命的な厭世観が広まっていたので、これを戒めたのである。日々の生活の実践の中で宗教的な意味も含めた広い正義を訴えたわけだが、捕囚の民からは逆に「奇妙な人」「幻に捕らわれた人」「精神的に問題のある人」と見られたようだ。確かに、その言葉は過激かつ幻想的であり、これがある種の違和感として受け取られたのかもしれない。
「わたしの憤りは激しく燃え上がる。わたしは熱情と怒りの火をもって語る。必ずその日に、イスラエルの地には大地震が起こる。海の魚、空の鳥、野の獣、地の上を這うすべてのもの、および地上のすべての人間は、私の前に震える。山々は裂け、崖は崩れ、すべての城壁は地に倒れる」(38・18〜20)
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40〜48章の再建国家の記述も幻視を通じて語られたものであり、他の預言者の言葉とは一線を画している。
ただし、預言の背景にあったものは神秘への憧憬や独自性の誇示などではなく、強烈な国家再建への情熱と見るべきだろう。
エゼキエルの晩年の資料は皆無に近く、紀元前571年の預言(29・17)を最後に、その活動は闇の中に閉ざされている。バビロンの地で歴史書や「律法」などの編集に当たっていたともいわれているが、明らかではない。それにもかかわらず後世への影響は大きい。エルサレムの滅亡とバビロニア捕囚という最大の危機を直接生き抜いたことから「ユダヤ教の父」という呼称さえ与えられている。