じじぃの「歴史・思想_320_ユダヤ人の歴史・バビロン捕囚・預言者エゼキエル」

What's the origin of "Sabbath"?

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Kiddush cup, Shabbat candles

ユダヤ人の歴史〈上巻〉』

ポール ジョンソン/著、石田友雄/監修、阿川尚之/訳 徳間書店 1999年発行

最初のユダヤ人エレミヤ より

イザヤのメッセージがエルサレム陥落の前に、人々の良心に浸透したことは疑いない。しかし破局が訪れる前の最後の数十年間、イザヤの力強い声に、彼ほど詩的ではなかったが同じように心を強く打つもう一人の預言者が加わった。このエレミヤという預言者については、捕囚以前に活躍した他のいかなる著作者よりも、多くのことがわかっている。説教と自伝を、書記の役をつとめた弟子バルクに口述筆記させたからである。
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アッシリア人の北王国蹂躙とバビロニア人によるユダの攻略には、しかしながら1つ決定的な差があった。バビロニア人はアッシリア人ほど残虐でなかったのである。彼らは被征服地への植民を行なわなかった。東から異民族が移り住み、約束の地を異教の聖所で覆うということがなかった。貧しい人々、すなわちアム・ハ・アレツは、指導者を失ったものの、何とか自分たちの宗教を保つことができた。さらに588年に降伏したと思われるベニヤミン族は捕囚の憂き目にあわず、彼らの町、ギブオン、ミツバ、そしてペテルには、手がつけられなかった。それでもなお、民族はすっかりばらばらになった。それは捕囚であると同時に離散でもあった。

骨の谷 より

紀元前597年、バビロニアへ捕囚として最初に連行された指導者集団の中に、エゼキエルという知恵のある長老祭司がいた。最後のエルサレム包囲網のさなかに妻をなくし、バビロンに近いケバル河畔で、孤独のうちに暮らし生涯を終えた人物である。悲痛と絶望にさいなまされながら岸辺で佇(たたず)んでいるとき、エゼキエルは聖なる幻視を経験する。「北から激しい風が起こり、大きな雲が生じた。火が燃えて雲の周りに光を放っている。その中、火の中からは琥珀色のようなものがある」(エゼキエル書1章4節)。これを皮切りに、エゼキエルは何度も強烈な視覚的体験をする。そしてその荒々しい色彩と目眩(めくるめ)くような光を描写するため、必死に語彙(ごい)を求め、記述した。このような光と色の描写は、聖書の中で他に類を見ない。トパース、サファイア、ルビーの色を発し、強く弱く点滅し、光を放ち、輝き、きらめき、まぶしく、強い熱をおびて燃える。
エゼキエルが著したこの長編は、混乱していて、わかりにくい。夢幻的な描写が続き、恐ろしい光景、脅し、呪いと暴力に満ちている。エゼキエルは聖書の中で最も偉大な著作家の一人である。当時もその後も、一番人気が高い著作者の一人である。しかしその姿は、おそらく本人の意思にさえ反して、神秘的で謎に満ちている。なぜ自分はいつも謎を通して語らなければならないのかと、彼は自問する。
しかしこの風変わりで情熱的な人物は、根底に確固として強力なメッセージを持っていた。宗教的純粋さを通じてしか救済は得られないという思想である。長い目で見れば、国家も帝国も王位も問題ではない。神にはそのすべてを消滅させる力がある。本当に重要なのは、神が自分のかたちに造った被造物、つまり人間である。エゼキエルは神に導かれてある谷を訪れる経験について語る。谷は骨に満ちていた。神は問う。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか」。すると恐れおののくエゼキエルの眼前で、骨がカタカタと音を立てながら動きだし、1つにまとまってつながった。神は骸骨に筋と肉と皮膚をつけ、最後に息を吹き込む。すると「彼らは生き返り、自分の足で立った。彼らは非常に多くの群衆となった」(エゼキエル書37章1-10節)。
キリスト教徒はのちにこの恐ろしい情景を、死者のよみがえりの有様として解釈する。しかしエゼキエルとその言葉を聞く同時代人にとっては、イスラエル復活のしるしであった。ただし復活のあかつきには、かつてのどの時代より神に近く、神に依存するイスラエルでなければならない。すべての男女は神によって創造され、それぞれ神に直接責任を負い、生まれてから」死ぬまで一生、神の法に従う約束をする。もしエレミヤが最初のユダヤ人であったとするなら、ユダヤ教形成に力強い息吹を与えたのは、エゼキエルとその視覚的体験であった。
捕囚は必然的に、過去の部族社会との断絶を意味した。実際、10部族はすでに失われている。ホセア、イザヤ、エレミヤと同じように、エゼキエルは、ユダヤ人のうえに降りかかった災難が律法を破るという罪を犯したことに直接起因する逃れようのない結果だと、強く主張した。
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このように、普通のユダヤ人は捕囚時代になって初めて、彼らの宗教を規則正しく実践するように訓導された。彼らを周囲の異教徒から明瞭に区別する割礼(かつれい)が、厳格に実施された。この行為は1つの儀式となり、ユダヤ人の冠婚葬祭の一部となる。

バビロニア天文学から採り入れた知識によって大幅に補強された安息日の観念は、ユダヤ人にとって1週間の焦点となった。安息日を表す「シャバト」という言葉から取られた「シャブタイ」は、捕囚時代に考案された新しい人命の中で、最も人気が高かった。