じじぃの「アルスノー・はじめてこころを開くまで!絵本『ジェーンとキツネとわたし』」

Jane, the Fox, and Me by Fanny Britt & Isabelle Arsenault

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Vk9wzlSUQmA

Just Because by Mac Barnett & Isabelle Arsenault, Book Trailer

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MVwHkwZBEFw

ジェーンとキツネとわたし - 2015 ファニー ブリット (著), イザベル アルスノー (イラスト) amazon

エレーヌは今日もひとりぼっちだ。居場所がどこにもない。
そんなふうに感じるときは、いつも本を開いて、大好きな『ジェーン・エア』の世界にとじこもる。あるとき、学校のみんなと合宿に行くことになった。いろんな子のグループができている。そこで起こった出来事をきっかけに、エレーヌに小さな変化が起こりはじめる。カナダ総督文学賞受賞、気鋭のイラストレーターが描く繊細なグラフィック・ノベル。

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『人生の1冊の絵本』

柳田邦男/著 岩波新書 2020年発行

疎外された少女に雪解けが より

カナダの絵本『ジェーンとキツネとわたし』を手に取って表紙絵を見たとき、すぐに《この絵のタッチ、もしかしたらあの人じゃないか》と感じた。この前に紹介した絵本『きょうは、おおかみ』の絵を描いたイザベル・アルスノーのことだ。少女期の不安定な精神状態とそこに一筋の光をもたらすものについて、彼女の絵は物語の言葉以上に複雑で奥深いものを表現していたので、イラスト的な絵であってもその表現手法によってはこんな可能性があるのかと、私は驚嘆したのだ。
『ジェーンとキツネとわたし』は、95頁という分厚い絵本だ。一見すると、劇画的な作りになっているが、劇画とは肌触りが違う。絵を小さくコマ割りをして、時折会話の吹き出しをつけて入れるといったところは、コミック風にもなっているが、よくあるコミックではない。要所要所で、コマ割りでないしっかりと描いた絵が一頁大や見開きいっぱいに広がる。そのメリハリが巧みだ。
絵を描いたイザベル・アルスノーという名前のほうが、物語の文を書いた作家ファニー・ブリットの名より上に記されているのは、私の推測では、ブリットさんの原作小説があって、それを絵本化するために物語のエッセンスを汲み取った言葉に凝縮し、そのコンテをもとにアルスノーさんが個性的な絵の才能をふんだんに生かした絵を描き、原作とは一味も二味も違う、インパクトの大きな作品の仕上げにつなげたからではないかと思える。
読み終えると長編小説を読破したような充実感がある。物語は、こうだ。主人公は、小学校5年の少女エレーヌ。クラスメートたちから聞こえいよがしに悪口を言われ、トイレなどに<体重100キロ>とか<臭い!>といった中傷する言葉を落書きされている。集団いじめだ。教室でも、校庭でも、通学バスのなかでも、エレーヌは居場所がない。自分でも、ソーセージのように太っているという思い込みのコンプレックスを抱いている。
唯一の逃げ場であり、こころの支えになったのは、イギリスのシャーロット・ブロンテ作の小説『ジェーン・エア』だ。バスのなかで、クラスメートたちが悪口を言っていても聞こえないふりをして、物語に集中する。でも、聞こえてくる言葉に、<またひとつ、胸のなかに 穴かあく>のだ。
エレーヌは『ジェーン・エア』の主人公ジェーンの人生に自らの状況を重ね合わせている。エレーヌの状況に応じて絵本の途中に『ジェーン・エア』の物語の展開が挿入されるという仕掛けになっている。『きょうは、おおかみ』の場合は、こころの病をもっていた女性小説家ヴァージニア・ウルフの少女期に重ね合わせて、絵本の物語が展開するのだが、今度の絵本では、古典的なイギリス文学を、幾何学の問題を解く補助線のようにして援用したかたちになっているのだ。
小説の主人公ジェーンは、日本で言えば江戸時代後期のころのイギリスで生きた女性。孤児で育て役のおばさんから虐待され、寄宿学校に入れられる。それでも賢明な女性に成長し、大きな館に住む金持ちの家の子の住みこみ家庭教師になる。その家の主人ロチェスターはジェーンに愛を告白するが、こころを病む妻を館の塔に閉じこめていて、結婚はできない身だった。ジェーンも彼を愛していたが、胸が引き裂かれる思いで去っていく。やがてロチェスターの妻は館に火を放ち、屋根から身を投げて自殺し、ロチェスターも火傷で視力と左腕を失う。訪ねてきたジェーンはそれでもロチェスターへの変らぬ愛を貫き、結婚する。
長編小説だが、エレーヌは根気よく読み続ける。夏が来て、クラス40人全員が英語特訓合宿キャンプに出かける。そのバスのなかでも、エレーヌは『ジェーン・エア』を読み耽る。本に集中するふりをすることで、みんなとかかわらないように防波堤を築く。自分で考えた”戦術”なのだ。
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アルスノーさんの絵は、冒頭から、いじめる側の少女たちや少年たちの、いじめを残酷なまでに面白がる様子を、目つき、手足の仕草、からだのスタイルなどのスケッチ画風の簡潔な鉛筆(あるいはその類い)の線で描いている。孤独なエレーヌの、おどおどしたり、絶え難い疎外感を抱いたり、逃げ出したい心境になったりする表情を、その内面の葛藤や苦しさがびんびんと伝わってくるほどみごとに表現している。