じじぃの「科学・芸術_300_小説『ジェイン・エア』」

The Bronte Sisters' life 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=zehw1i2x97o
シャーロット・ブロンテ

『VOICE』 6月号 2010年5月10日発売 PHP研究所
おじさんのための名作講座 『嵐が丘』とブロンデ三姉妹 【執筆者】堀井憲一郎 より
世界文学全集が選ばれるときに、必ず入る作品というのがある。ゲーテトルストイシェイクスピアなどの諸作品が人気であるが、女性作家で入る作品はといえば、何と言ってもまず『嵐が丘』、ついで『ジェーン・エア』だ。日本でもっとも紹介されている海外女性作家は『嵐が丘』のエミリー・ブロンテと、『ジェーン・エア』のシャーロット・ブロンテということになる。こと、昭和の日本においてはそうだったということだ。大正時代もそうですね。
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姉妹はまだいた。長女がマリア、次女がエリザベス、三女がシャーロットである。それぞれ一つ違い。シャーロットのすぐ下に長男のブランウェルがいて、四女エミリー、五女アンとなる。
アンを産んだ翌年にこの6人の子どもに母は死んだ。その4年後、長女のマリアと次女エリザベスが相次いで結核で死んだ。マリアが12歳、エリザベスが10歳である。入学した学校の生活環境が悪かったから、とされている。西暦で言うと1825年、日本では文政年間である。
姉妹はまず詩を書き、詩集を出し、それから小説を書いた。これが本来の小説家になってゆく筋ですね。
シャーロットが30歳(になる年)で処女作『教授』を書くが、出版を断られる。続いて『ジェーン・エア』を書く。ほぼ同時にエミリーが『嵐が丘』を書き、アンが『アグネス・グレイ』を書いた。この3冊はほぼ同時に刊行されている。シャーロットの『ジェーン・エア』は文壇の大御所ウイリアムサッカレーに絶賛され、評判になった。このために、当時の出版社が、『ジェーン・エア』の作者の作品だとして、妹たちの小説を売り出そうとしたのだ。
この三作品が出版された翌年に、ブランウェルが死ぬ。シャーロットの弟、エミリーとアンの兄である。絵を描いたり詩を書いたり物語を書いたりするもモノにならず、飲酒や麻薬に逃避していたと言われる長男は、伝記を見る限り、ぼろぼろになって死んだ。エミリーはその葬式のおり風邪を引いたのがもとで、結核を患い、しかし医者の診察も拒み家に籠もり、兄の死後3ヵ月でなくなった。享年30である。アンもその半年後になくなった。28歳。シャーロットだけ生き残るが、でも6年後に38歳で亡くなっている。

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『世界文学大図鑑』 ジェイムズ・キャントンほか/著、沼野充義/監修 三省堂 2017年発行
わたしは鳥ではありません。どんな網にもかかりません 『ジェイン・エア』(1847年)シャーロット・ブロンテ より
ジェイン・エア』が1847年にはじめて出版されたとき、著者はカラー・ベルとされたが、これは女であることを隠すためにシャーロット・ブロンテが使った筆名だった。この本には『ある自叙伝』という副題もつけられていて、19世紀ドイツの教養小説のジャンル(「自己形成小説」ともいう)を取り入れたことが示されている。このように主人公の成長を描く物語では、読者は主人公の人生を子供時代から大人へとたどり、障害を乗り越えて人として成熟する過程を読み進めて行くのがふつうである。自我と自己認識の発達を探るという作業は、男の登場人物を通しておこなわれることが多かった。それは、当時女には男と同じ人間としての深みなどないと一般に思われていたからにほかならない。『ジェイン・エア』が当時としては急進的作品になったのは、女には男と同等の複雑な内面があり、美しさだけで価値の決まるうわべだけの存在ではない、と主張したからである。
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作者が作品に盛り込んだのは反隷属と変革を志向する描写で、それはブロンテ姉妹が読んだ数多くの19世紀政治小冊子から得たものだった。『ジェイン・エア』では、こうした政治的言辞がヴィクトリア朝社会に生きる中流階級の女や、そうした女の人生に負わされた家庭の束縛について用いられている。ジェインは読者にこう告げる――女が「あまりにきびしい束縛、あまりに重々しい沈滞に苦しめられているのは、男とまったく変わらない。そして同じ人間なのに女より特権を与えられた男たちは、狭量ゆえに、女は家に引きこもってプディングを作ったり長靴下を編んだり、ピアノをひいたり袋に刺繍をしたりすべきだなどと言うのである」と。この女権拡張の訴えは作品全体に一貫して流れ、ジェインは女にも自由、自立、行動が必要だと力強く示す。
初期の批評の多くは本作を賞賛するものだったが、その急進的内容と、女であることに対する「女らしくない」観点とを批判するものもあった。しかしジェイン・エアはたちまち、当時だれよりも影響力のある文学上のヒロインになった。この作品の刊行後、女の主人公の新しい類型がヴィクトリア女王時代の文学にはぅきり見られた。それは、地味で反抗心が強く知性豊かな主人公である。作者がそのような主人公を生み出したのは、控えめで好感を与える美人で家庭的なヒロインと対立するものとしてだった。