じじぃの「歴史・思想_148_未来への大分岐・ハート・貨幣の力とBI」

Conversations with History: Michael Hardt

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Zs7RfGbDfqE

資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐 集英社新書

【著者略歴】
マイケル・ハート(MH)
グローバル資本主義が変容させる政治・経済の姿を描き切った『<帝国>』(ネグリとの共著)。
その大著の予見の正しさが日々、証明されるなか、世界の社会運動の理論的支柱となっている。
■斎藤幸平
1987年生まれの若き経済思想家。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。
https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0988-a/

コモンウェルス(上) 〈帝国〉を超える革命論 (NHKブックス) 2012 アントニオ・ネグリ (著), マイケル・ハート (著) Amazon

コモンウェルス」とは何か?―ますます進行するグローバリゼーションのなかで、国境を越えて私たちに働きかけてくる“帝国”という権力と、それに対抗する多数多様な人びとの集合体=マルチチュード
“帝国”が法にのっとって収奪を試みるのも、マルチチュードが生産し、かつ“帝国”と闘うための武器とするのも、“共”という富=コモンウェルスである。それはいかにしてつくられ、どのような可能性を秘めるのか。絶対的民主主義を追究する“帝国”論の完結篇。

                    • -

『未来への大分岐 資本主義の終わりか、人間の終焉か?』

マルクス・ガブリエル、マイケル・ハート、ポール・メイソン、斎藤幸平/編 集英社新書 2019年発行

貨幣の力とベーシック・インカム(BI) より

貨幣の力をどう見るか

MH

 私からの応答として、まず貨幣の話をさせてもらって、その後、脱商品化の話に移っていきましょう。
 思うに、あなたと私の違いは、資本主義下の貨幣を想定しているのか、あるいはより一般的な枠組みでの貨幣を想定しているのかの違いではないでしょうか。資本主義という枠内の貨幣の話であれば、あなたの意見に賛成です。しかし、貨幣というのはもっと一般的な概念、歴史的行為だと考えています。
 だから、これは、アントニオ・ネグリと私がもっと一般的な哲学的なレベルの話として、考えている問題なのです。つまり、貨幣の本質を交換様式の問題として定義していませんし、貨幣を価値の蓄積の問題であるとさえみなしていません。
 では、私たちにとって貨幣とは何か。貨幣とは、社会的関係を再生産するためのテクノロジーなのです。それゆえ、資本主義のもとでの貨幣は、資本主義的な社会関係を再生産するためのテクノロジーとして機能しているのです。
 だからといって、ネグリと私が社会的関係を制度化するものに反対しているわけでも、社会的関係の再生産のための技術を否定的に見ているわけでもありません。貨幣というテクノロジーが、<コモン>という別の形で使われてほしいのです。
 「<コモン>としての貨幣」とは、つまり、民主主義的で、平等で、公正な社会的諸関係を再生産するためのテクノロジーです。
 ネグリと私が、「<コモン>としての貨幣」という概念にこだわる理由は、今日の話の冒頭でしていた、社会運動とその制度化の議論とある意味で重なります。社会運動に制度化が必要なように<コモン>にも、社会的な制度化が必要なのです。
 私たちが関心をもっているのは、商品生産や交換様式ではありません。むしろ、広がりを持続性をもつ社会的テクノロジーとしての貨幣に関心があるのです。その意味では、私たちのこういう貨幣の捉え方は、一般的な貨幣のイメージとは対立するものかもしれません。
 脱商品化についても同じで、斎藤さんんの意見はそのとおりだと思います。未来に到達したい社会の姿についてお話しされていましたが、私はBIを到達点と考えているわけではなく、資本主義社会の問題を多少なりとも和らげる方法として捉えています。そして、同時に、BIは「働かざる者食うべからず」というような資本主義のもとでのイデオロギーで凝り固まった考えをほどき、新しい方向に広げていく助けにもなります。
 もちろん、医療や教育といった基本的なニーズの脱商品化のほうが望ましいのではないか、というあなたからの問いかけについては、まったくそのとおりだと思いますよ。しかし、どのように脱商品化を進めるのか、脱商品化を誰が組織するのか、ということが、問題として残ってしまいますよね。

「人々のための量的緩和

斎藤

 日本で量的緩和と言えば、アベノミクスのことです。すなわち、上からのリフレ政策であるわけですが、それがあなたの提唱する下からの社会変革モデルとどう両立するのかが気になるところです。

MH

 これは出発点に過ぎません。どんな形の変革なら、本当に可能なのかを考えるにいたるまでには、まだいくつものステップを踏まなくてはなりませんから。
 量的緩和やBIは、変革そのものではないのです。とはいえ、みんなに貨幣を提供しない理由はないでしょう。

斎藤

 脱商品化を進めるには、<コモン>の民主的なマネジメントも実現させていかなければならないので、それはすぐには実現しないプロジェクトです。
 それに比べると、BIに頼るのはお手軽な解決策なのではないでしょうか。人々に貨幣を提供するのであれば、マネジメントの問題を市場に丸投げできるので、<コモン>をどう管理するかという問題を真剣に考えなくて済むわけですから。

MH

 そういう側面はあると思います。楽観主義であるだけではなく悲観主義であることも重要だ、とおっしゃることの意味を納得できましたよ。

斎藤

 同じく私も、あなたの楽観主義に納得がいきました。さらに、あなたのBIについての見解を聞いて、カール・ポランニーの議論を思い出しました。
 市場が社会的共同性のうちへと埋め込まれると、市場の資本主義的な性格が弱められていくというポランニーの主張にならえば、商品と貨幣の機能も、社会的共同性が強く働けば、非資本主義的な性格を帯びていくと考えられます。
 マルクスは資本主義的貨幣を批判し、その廃棄を求めているので、私はその考えに基づいてBIを批判的に見ていましたが、今日あなたと話していて、『アセンブリ』で言われている民主的な「<コモン>としての貨幣」――「コミュニズム的貨幣」とでも呼ぶべきでしょうか――という発想は非常に興味深いものだということがわかりました。
 あなたがBI万能論ではなく、現在の資本主義的貨幣というテクノロジーに力を付与している社会的関係そのものを大きく変えていく必要があるという点を強調されているのも重要ですね。そのなかで、変革のためのツールとしてBIが機能する可能性について、私も考え直すきっかけをもらったと思います。