じじぃの「歴史・思想_433_人新世の資本論・ネグリ・ハートの帝国」

コモンウェルス(上): 帝国を超える革命論, 第1巻 NHK出版 Amazon

アントニオ・ネグリ, マイケル・ハート
コモンウェルス」とは何か?―ますます進行するグローバリゼーションのなかで、国境を越えて私たちに働きかけてくる“帝国”という権力と、それに対抗する多数多様な人びとの集合体=マルチチュード。“帝国”が法にのっとって収奪を試みるのも、マルチチュードが生産し、かつ“帝国”と闘うための武器とするのも、“共”という富=コモンウェルスである。それはいかにしてつくられ、どのような可能性を秘めるのか。絶対的民主主義を追究する“帝国”論の完結篇。

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マルクスの現代的探究―メガの継続のために (日本語) 八朔社 1992

大村 泉 (編集), 宮川 彰 (編集)
内容(「MARC」データベースより)
古今の全集のうち、ここ一両年におけるマルクス=エンゲルス全集(MEGA メガ)ほど、その運命の行く手に広い関心が寄せられているものはない。「国際協力」と「学術中心」のもとに、編集・刊行されたメガの継続についての論文集。

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『人新世の「資本論」』

斎藤幸平/著 集英社新書 2020年発行

第4章――「人新世」のマルクス より

マルクス復権

「人新世」の環境危機においては、資本主義を批判し、ポスト資本主義の未来を構想しなくてはならない。だが、そうはいっても、なぜいまさらマルクスなのか。
世間一般でマルクス主義といえば、ソ連や中国の共産党による一党独裁とあらゆる生産手段の国有化というイメージが強い。そのため、時代遅れで、かつ危険なものだと感じる読者も多いだろう。
実際、日本では、ソ連崩壊の結果、マルクス主義は大きく停滞している。今では左派であっても、マルクスを表立って擁護し、その知恵を使おうとする人は極めて少ない。
ところが、世界に目を向けると、近年、マルクスの思想が再び大きな注目を浴びるようになっている。資本主義の矛盾が深まるにつれて、「資本主義以外の選択肢は存在しない」という「常識」にヒビが入り始めているのである。先述したように、アメリカの若者たちが、「社会主義」を資本主義よりも好ましい体制とみなすようになっているという世論調査のデータもある。
ここから先は、マルクスならば、「人新世」の環境危機をどのように分析するのかを明らかにし、そして、気候ケインズ主義とは異なる解決策へのヒントも提示していこう。
もちろん、古びたマルクス解釈を繰り返すことはしない。新資料を用いることで、「人新世」の新しいマルクス像を提示するつもりである。

<コモン>という第3の道

近年進むマルクス再解釈の鍵となる概念のひとつが、<コモン>、あるいは<共>と呼ばれる考えだ。<コモン>とは、社会的に人々に共有され、管理されるべき富のことを指す。20世紀の最後の年にアントニオ・ネグリマイケル・ハートというふたりのマルクス主義者が、共著『<帝国>』のなかで提起して、一躍有名になった概念である。

<コモン>は、アメリカ型自由主義ソ連型国有化の両方に対峙する「第3の道」を切り拓く鍵だといっていい。

つまり、市場原理主義のように、あらゆるものを商品化するのでもなく、かといって、ソ連社会主義のようにあらゆるものの国有化を目指すのでもない。第3の道としての<コモン>は、水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義敵に管理することを目指す。

マルクスの遺言を引き受ける

たしかに、マルクスは脱成長コミュニズムの姿を、どこにもまとまった形では書き残していない。しかしそれはMEGAが収録する多数の文献に散らばるマルクスの自然科学研究と共同体研究をつなぎあわせていくことで、おのずと浮かび上がってくる晩期マルクスの到達点である。
繰り返せば、これは誰も思いおよばなかったマルクス像であり、この思想が見落とされてきたことが、現在のマルクス主義の停滞と環境危機の深刻化を招いている。旧来のマルクス主義は、現在に至るまでずっと生産力至上主義にとらわれてきたのだ。ソ連を批判するマルクス主義者であっても、生産力至上主義からは、完全には自由ではなかった。
だが、現代社会が直面している生産力の無尽蔵な増大によって引き起こされている環境危機の深刻さを考えるならば、生産力至上主義を擁護する余地は、もはやどこにも残されていない。さらに、第2章で見たデカップリングの困難さを考慮すれば、「エコ社会主義」さえも、十分な選択肢とはいえない。
資本主義のグローバル化が19世紀とは比較にならないほどの規模となり、その矛盾も人類の生存そのものを脅かすようになっている今こそ、晩期マルクスの脱成長コミュニズムが追求されなくてはならない。最晩年に書かれたこのヴェラ・ザスーリチ宛ての手紙(ザスーリチは、マルクスの著作がヨーロッパ中心の革命論であることから、資本主義の段階を経なければロシアは社会主義にいけないのかをたずねている)は、「人新世」を私たちが生き延びるために欠かせないマルクスの遺言なのである。
マルクスは自分の理論的転換があまりにも大きすぎたために、死期までに『資本論』を完成させることができなくなってしまった。だが、この議論を展開しきれなかった先の地点にこそ、現代の私たちが求めている将来社会に向けたヒントが埋められている。
だから、「人新世」の危機に立ち向かうため、最晩年のマルクスの資本主義批判の洞察をより発展させ、未完の『資本論』を「脱成長コミュニズム」の理論化として引き継ぐような、大胆な新解釈に今こそ挑まなくてはならないのだ。