じじぃの「だんご3兄弟・カラマーゾフの兄弟で見る孤立する二男!きょうだいの不思議」

きょうだいの不思議 心理・性格の違いがわかる本

心の謎を探る会/編
保守的な「兄」、世話好きで気配り上手な「姉」、抜け目のない「弟」、カワイ子ぶりっこをする「妹」…なぜ、こんなタイプになるのか、そのワケが面白いほどよくわかる。
目次 : 1 兄・姉・弟・妹・中間子・一人っ子の基本的特徴 ひと目でわかる“きょうだい”の各性格(“きょうだいの性格”の基本/ 兄型の特徴 ほか)/ 2 二人きょうだいの心理・性格の不思議―たとえば『エデンの東』に見る兄と弟の“力関係”の逆転の法則とは…(兄と弟の性格の違いとは/ 姉と妹の性格の違いとは ほか)/  

3 三人きょうだいの心理・性格の不思議―たとえば「だんご3兄弟」と『カラマーゾフの兄弟』に見る中間子の特殊な立場とは…(三兄弟の性格の違いとは/ 三姉妹の性格の違いとは ほか)/

4 四人、五人きょうだいの心理・性格の不思議―たとえば『ナルニア国ものがたり』に見るきょうだい内の“複雑なライバル関係”の構図とは…(四人きょうだいの性格の違いとは/ 五人きょうだいの性格の違いとは)

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『きょうだいの不思議』

心の謎を探る会/編 KAWADE夢文庫 2009年発行

【三人兄弟】の心理・性格の不思議――「だんご3兄弟」と『カラマーゾフの兄弟』に見る性格 より

”兄弟の愛の輪”からはずれ孤立する二男

カラマーゾフの兄弟』に登場する三兄弟は、長男のドミートリィ、二男のイワン、三男のアリョーシャ。
彼らの父親は、物欲と色欲にこりかたまった粗暴で冷酷な大地主フョードル・カラマーゾフで、彼が最初の妻に産ませた子がドミートリィ、二度目の妻に産ませた子がイワンとアリョーシャである。長男と二男・三男とは腹違いになるわけだが、父親が同じケタ外れのモンスターだったおかげで、両者の幼年時代の環境はきわめて似通ったものになった。両者とも、幼くして召使小屋に追い払われ、そこで幼年期・少年期を過ごしたのだ。
とはいえ、この三兄弟が、そろって召使の小屋で育ったのではない。ドミートリィは、四歳にして叔父に引き取られ、それからモスクワにいる親戚のあいだをタライ回しにされて成長した。一方、母親(フョードルの二度目の妻)の死後に召使の小屋へ追い払われたイワンとアリョーシャは、死んだ母の恩人であり後継者であった将軍夫人に引き取られて、どうにか、じゅうぶんな衣食と教育にあずかって成長することができた。
長大な物語は、成年に達したドミートリィが、財産分与を要求する目的で父親の元へ舞い戻った時点を本編の始まりとし、フョードル・カラマーゾフが何者かに殺害された事件とドミートリィにかけられた疑惑を縦軸にして、カラマーゾフ三兄弟の複雑微妙な関係をからませながら展開する。
このあたりで、本書が組立ようとしている「三兄弟論」の筋立てのネタを明かしておこう。『カラマーゾフの兄弟』では、三兄弟の中でとくに誰が主役ということはないのだが(物語の多くがアリョーシャの視点で語られているため、アリョーシャを主役とする向きもある)。本書では、ひと癖もふた癖もある二男のイワンに焦点を絞(しぼ)る。すなわち、「だんご3兄弟」に歌われる二男をイワンに置き換えようという、かなり大胆なもくろみである。
ついては、カラマーゾフ三兄弟のそれぞれのキャラクターを、ざっと紹介しておこう。
[長男ドミートリィ]
 父親の粗暴さを受け継いだ無頼漢。だが、高潔な情熱と寸だ心をもっている。
[二男イワン]
 知的で冷徹な無神論者・反教会主義者。その奥には、父から受け継いだ酷薄さが静かに流れる。
[三男アリョーシャ]
 教会と神を信じる敬虔な修道者。粗暴な長兄の高潔さ、冷たい次兄の知性を愛する。三兄弟の中で、この末弟だけは、父親の性質を受け継いでいない。
放縦な父親のせいでバラバラになっていた三兄弟は、ドミートリィが財産分与の件で父親の元に現れたのをきっかけにして、にわかに交流をもつようになる。そうしてはじめて、三兄弟の関係が生まれることになるわけだ。

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どうでもいい、じじぃの日記。
本の返却とまた本を借りるために、市内の図書館に行った。
玄関のドアに貼り紙が貼り付けられていた。
新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、以下の通り休館します。 期間:3月2日(月)から3月16日(月)まで資料の返却はブックポストにお願いいたします」
しかたがないので、古本屋に行った。
『きょうだいの不思議』か。
本をパラパラめくったら、「三人兄弟の心理・性格の不思議――「だんご3兄弟」と『カラマーゾフの兄弟』に見る性格」があった。
結論からいうと、バラバラになっていた三兄弟が交流をはじめたとき、二男イワンだけが”兄弟の愛の輪”から外れているというもの。
二男は一般的に、物心ついた頃から一人で空想にふけっていたりで協調性に欠けるのだとか。長兄と三男が一緒のときは別行動をとるのだとか。
協調性をとるか、独自性をとるかは、環境とのからみがあって微妙なのだとか。
どうでもいいけど、私は二男です。