じじぃの「科学・芸術_233_フィリピン・イスラーム教徒」

フィリピン戒厳令1週間 激しい戦闘で104人死亡 動画 YouTube
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Filipino Muslim Children

フィリピンのイスラム教徒の日常生活や性格ってどんな感じ?真相を一挙公開! ちゃりちゃり!
フィリピンに行ったことのある方ならご存知ですが、フィリピン人の多くは日曜日に家族で教会へ行くなど、敬虔なカトリック教徒が非常に多い国です。カトリック以外にもプロテスタントも少々いますが、要はキリスト教一辺倒の宗教国家であるといえます。
ところがフィリピンの歴史を紐解けば、この国が実はかつてはイスラム教の国であったことがよくわかります。
http://caricari.org/archives/304
『フィリピンを知るための64章』 大野拓司、鈴木伸隆、日下渉/編著 赤石書店 2016年発行
イスラーム教徒とキリスト教徒の共存 【執筆者】吉澤あすな (一部抜粋しています)
ミンダナオ島中北部に位置するイリガン市では、伝統的にイスラームを信仰してきたマラナオ人や、ビサヤ地方から移住してきたキリスト教徒が共に暮らしている。町行く女性に目をやれば、マニラなどでよく見かけるTシャツやショートパンツといった装いだけでなく、頭を覆うカラフルなヒジャーブとジーンズでおしゃれをした少女たちがいる。全身黒色のイスラームの装束を着た人びとも行き交う。立ち並ぶモスクと教会からは、アザーン(礼拝の呼びかけ)や聖歌が交互に流れていた。2013年の初め頃、私がイリガン市で暮らし始めた当初、イスラームキリスト教の共存を実現したユートピアのように思われた。
沿岸部に発展したイリガン市の人口は約30万人で、住民の多数派はキリスト教徒だ。しかし、たくさんのイスラーム教徒が就学・就労のために滞在している。彼らの多くは隣接するムスリム・ミンダナオ自治地域を故郷とするマラナオ人であり、大学や市場の集まるイリガンにやってきる。イスラームの宗教組織による宣教活動が活発化する中、キリスト教からイスラームへの改宗者も増加している。
イスラームへの改宗者は、自らを「バリック・イスラーム」と呼ぶ。その名称には、「正しい宗教であるイスラームに帰ってきた」という意味が込められている。私はバリック・イスラームの集まる勉強会でマリアムという30代の女性に出会った。彼女は熱心なキリスト教徒であったが、イスラームについて学ぶうちに「これが私の探し求めていた真の宗教だ」と確信し改宗を決めたという。マリアムは家族にも改宗を勧め、母もイスラームに改宗した。
ある日、私はマリアムの母が亡くなったと聞き埋葬式に参列することになった。きょうだいたちがイスラーム式の埋葬を許さなかったために、母はキリスト教の墓地に埋められるらしい。墓地に向かうジープニーの中で、マリアムは「私のきょうだいはちょっと違うから」と呟いた。しばらくして彼女は「痛い」と言いながら、自分の胸の辺りを強く押さえた。墓地に到着後、マリアムの必死の説得によって、バリック・イスラームの代表者が説法をすることが認められた。元牧師の彼は参列者に静かに語りかけた。「宗教間の争いがあるというけれど、イスラーム教徒とキリスト教徒はきょうだいだから共存できる。聖書にもちゃんと書いてある」
たしかに、大きな流れで見ると、南部フィリピンにおける和平は実現されつつある。イリガンでも、2008年ごろからNGOや大学による宗教対話や平和教育の試みがおこなわれるなど、草の根の平和的共存は着実に進んでいる。しかしマリアムの言葉は、なかなか社会の表に出ることのない個人的なレベルで軋轢が生まれていることを物語っていた。
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イリガンという小さな町で、葛藤と痛みを内に抱えたイスラーム教徒とキリスト教徒の共存が日々営まれている。社会の中で交流の場が広がるほど、改宗や結婚のきっかけは増えていく。今まで距離の遠かった相手よ親密な関係が結ばれることによって、両者の平和的共存が促されるという良い関係が生まれる。しかしそれと同時に、家族という親密な関係だからこそ起こる軋轢も確実に存在する。