じじぃの「人の死にざま_1536_シャープ兄弟(プロレスラー)」

名(迷?)レフリー沖識名■力道山木村政彦シャープ兄弟、デストロイヤー時代にシャツを破られていた 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BS5g3raeDKs
力道山シャープ兄弟

シャープ兄弟 ウィキペディアWikipedia)より
シャープ兄弟(シャープきょうだい)は、カナダ出身の兄弟によるプロレスのタッグチームである。日本プロレス協会主催のプロレス興行「蔵前国技館3連戦」に参戦するため1954年にボビー・ブランズらと共に来日し、日本のプロレスブームの火付け役となった。
【メンバー】
兄:ベン・シャープ(英: Ben Sharpe1921年 - 2000年)
身長197cm、体重112kg。1936年ベルリンオリンピックのボート競技にカナダ代表として出場。力道山に敬意を表して息子をリキ・シャープと命名した。
弟:マイク・シャープ(英: Mike Sharpe、1923年 - 1988年)
身長199cm、体重119kg。1988年に死去。息子のアイアン・マイク・シャープマイク・シャープ・ジュニア)もプロレスラーとなった。

                            • -

『もう我慢の限界だあ!』 ユーモア人間倶楽部/編 KAWADE夢文庫 1994年発行
我慢の末の空手チョップは効果抜群! より
唱和26年10月、東京・両国にあっためもりある・ホール(旧国技館、のちの日大講堂)に4000人の観客を集めて行われた国際プロレス大会に、元大相撲の関脇だった力道山が登場し、プロレスラーとしてデビューした。
力道山はその後のテレビの大衆化とともに、日本の国民的ヒーローとして人気を集めていった。そのころの日本はまだ敗戦の記憶がぬぐいされず、生活もけっして楽ではなかった。テレビが登場したといっても、まだまだ庶民の手には届かない贅沢品。ほとんどの人が、駅前などに置かれた公衆テレビに見入った。
力道山が国民的ヒーローになったのは、相手のプロレスラーがアメリカ人であったことが大きな要因となっていた。というのも、当時の日本人はアメリカ人にたいして敗戦からくる抜き差しならぬコンプレックスをもっていた。それだけに、悪役アメリカ人レスラー相手の力道山の大活躍は、日本人をおおいに満足させたのだ。
たとえばシャープ兄弟。堂々とあくらつな反則をくり返す。制止しようとするレフリーにまで暴行を加える。大観衆はその反則におおいに怒る。一方、力道山はその反則行為にじっと耐える。
そして観衆の忍耐が切れるタイミングを見計らうかのように、敵の反則プレーで血まみれになった力道山も、ガマンしてガマンしてガマンしづけた怒りを爆発させて、伝統の宝刀「空手チョップ」でシャープ兄弟を叩きのめす。それで観衆はやんやの喝采をおくり、胸をスカッとさせる。それがクライマックスだった。
観衆の正義感を刺激し「忍耐の限界」をうまく計算した巧みなショーだった。