じじぃの「歴史・思想_122_数学の天才・先駆者・マンデルブロ」

fractal Benoit B Mandelbrot

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=tfvdiuHJTTg

Benoit B. Mandelbrot

『数学の真理をつかんだ25人の天才たち』

イアン・スチュアート/著、水谷淳/訳 ダイヤモンド社 2019年発行

フラクタルの父 ブノア・マンデルブロ より

●ブノア・B・マンデルブロポーランド1924~アメリカ2010年)

数学者の叔父シュレムの影響と叔父への反感

ブノアは2つの大戦の間に、ワルシャワリトアニアユダヤ人学者一族に生まれた。母ベラ(旧姓ルリエ)は歯科医だった。父親のカール・マンデルブロイトは正規の教育を受けておらず、服の製造と販売を営んでいたが、家系が何世代の前まで学者ばかりだったために、ブノアは学問に囲まれて育った。カールの弟シュレムはのちに優れた数学者となった。
以前に伝染病で子供を1人無くしていたベラは、ブノアが何らかの病気にかからないよう、何年も学校に通わせなかった。おじのロターマンが自宅でブノアを教えたが、あまりいい教師とは言えなかった。チェスを身につけさせ、古代の神話や物語を読み聞かせたが、それ以外はほとんど何も教えなかった。アルファベットや九九さえも教えなかった。しかしブノアは視覚的思考の能力を伸ばした。チェスの手は、ゲームの形、つまり盤面上の駒のパターンで把握した。また、地図収集に熱心な父親から受け継いだのか、地図が大好きだった。壁じゅうに地図が貼られていた。さらにブノアは、手に入る本を片っ端から読みあさった。
1936年、一家は経済および政治難民としてポーランドを離れた。母親が医者を続けられなくなり、父親の事業も失敗したためだった。移住先は、父親の妹が住むパリ。のちにマンデルブロは、その妹が生活を助けて苦境から救ってくれたと感謝している。
    ・
マンデルブロは数学を学ぶために、パリのエコール・ノルマル・シュベリウールへ入学した。しかしそこで教えられていた数学のスタイルは、ブルバキ学派と同様、抽象的で総体的、しかも純粋数学に特化していた。叔父シュレムも同様の考えで、ブルバキが厳密かつ抽象的な方向性で数学を体系的に再構築しはじめる以前には、その初期メンバーの一人でもあった。図や具体的な応用を排除して形式的に考えるというこのスタイルに、マンデルブロは魅力を感じなかった。そうして入学の数日後、ここは自分がいるべき場所ではないと判断して退学し、代わりにもっと実学志向のエコール・ポリテクニークに居場所を見つけた(エコール・ノルマルだけでなくこの大学の入学試験にも合格していた)。そしてもうずっと自由にさまざまな分野を学んだ。

抽象的な事柄と具体的な事柄をつなぐ論理の鎖

最期に、数学では軽々に価値判断を下すと危険であることを物語る意外な例を紹介しよう。1980年、フラクタル幾何学の新たな応用法を探っていたマンデルブロは、叔父に勧められながらも抽象的すぎるとして遠ざけていたジュリアの1917年の論文に再び目をやった。ジュリアと、やはり数学者のピエール・ファトゥが解析したのは、複素関数が反復操作のもとで示す奇妙な振る舞いだった。ある数からスタートし、それにその関数を適用して2つめの数を求め、その数に同じ関数を適用して3つめの数を求める。これを際限なく続けていく。
ジュリアとファトゥは、自明でない最も単純なケースとして、f(z) = z2 + c という形の二次関数に注目した(cは複素定数)。この関数写像の振る舞いは、複雑な形でcに左右される。2人はこの特定の反復操作に関する深遠で難解な定理をいくつか証明していたが、そのいずれもが記号的なものだった。そこでマンデルブロは、それを図に描くとどんなふうになるだろうかと考えた。
その計算は手でやるのはあまりにも長すぎた。ジュリアとファトゥが幾何学的性質を調べなかったのもそのためだろう。しかしこの頃になるとコンピュータが真価を発揮しはじめていたし、何よりマンデルブロIBMに勤めていた。そこでマンデルブロは、その計算をおこなって図を描くようコンピュータをプログラムした。おおざっぱで汚らしい(プリンターのインクが切れかけていた)図だったが、ある驚きの事実が浮び上ってきた。ジュリアとファトゥが考えた複雑な力学系は、実はたった一つの幾何学図形から構成されていて、しかもその図形、精確に言うとその図形の境界線が、フラクタルになっていたのだ。その境界線は次元が2で、「ほぼ空間充填」である。このフラクタルにエイドリアン・ドゥ・アディーがマンデルブロ集合という名前をつけ、いまではそのように呼ばれている。
    ・
このように、マンデルブロが一度は遠ざけた純粋数学の抽象的な論文に、実はフラクタル理論の中核をなす概念が潜んでいた。ところがそのフラクタル理論は、マンデルブロが、自然界と関係があって通称的でないからこそ編み出されたものだった。数学は全体が複雑にからまり合っていて、抽象的な事柄と具体的な事柄がとらえがたい論理の鎖で結びついている。どちらか一方の考え方が優れているわけではない。大きなブレークスルーは、ときにその両方を生かすことで達成されるのだ。