じじぃの「歴史・思想_104_数学の天才・先駆者・アルキメデス」

アルキメデスの「ユーリカ!」 の裏話 -アーマンド・ダングール

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0v86Yk14rf8

Archimedes

『数学の真理をつかんだ25人の天才たち』

イアン・スチュアート/著、水谷淳/訳 ダイヤモンド社 2019年発行

私の描いた円を乱すな アルキメデス より

シラクサアルキメデス(紀元前287年頃~紀元前212年頃)
年は1973年、場所はアテナイ近郊のスカラマガス海軍基地、全員の始点が、ローマ時代の船のベニヤ板模型に集中していた。その船に集中したのはそれだけではない。59メートル先に並べられた、横1メートル縦1.5メートルの銅板覆鏡70枚で反射した日光もそこに集束したのだ。
すると、数秒もせずにその船は燃え始めた。
現代のギリシャ人科学者イオアンニス・サッカスは、古代ギリシャのある伝説的な科学を再現しようとしている。紀元2世紀のローマ人作家ルキアノスによると、紀元前214年から212年頃、シラクサお包囲戦のさいに、工学者で数学者のアルキメデスが敵の艦船を燃やして破壊する装置を発明したという。その装置が実在したのか、もし実在していたとしてもうまく機能したのか、それはほとんどわかっていない。ルキアノスの話は、火をつけた矢を射るとか、燃えた布きれをカタパルトを発射させるとかいったありふれた方法を指していただけなのかもしれないが、わざわざ新発明と紹介している理由はどうもわからない。
6世紀、トラレスのアンテミオスは著作『燃やす鏡』のなかで、アルキメデスは巨大なレンズを使った使ったのではないかと書いている。しかし最も広まっている言い伝えによると、アルキメデスは1枚の巨大な鏡、または、何枚もの鏡を弧状に並べて放物面反射鏡に近い形にしたものを使ったのだという。
放物線はU字形の曲線で、ギリシャ幾何学者にもよく知られていた。アルキメデスももちろん、その集束的な性質を知っていた。軸に並行であるどの直線も、放物線で反射すると、焦点という同じ点を通るという性質だ。ただし、ギリシャ人は光の性質を不充分にしか理解していなかったため、放射面鏡が太陽からの光(および熱)を同じように集束させることに誰かが気づいたかどうかは定かでない。しかしサッカスからの実験からわかるとおり、アルキメデスは鏡をわざわざ放物線の形に並べる必要はなかっただろう。光を反射する楯を持った大勢の兵士がそれぞれ、船の同じ場所に太陽光が当たるように狙いを定めれば、同じくらいの効果をおよぼしたにちがいない。
     ・

多芸多才の当時最高の科学者

アルキメデスは、天文学、光学、発明、数学、物理学と多芸多才だった。当時最高の科学者(現代の言い回しで言えば)だったと思われる。数学の重要な発見に加え、水を汲み上げるためのらせん揚水機や、重いものを持ち上げるための滑車装置など、驚くほd幅広い発明品を生み出し、また、浮かべた物体に関するアルキメデスの原理や、てこの原理も発見した(てこ自体が登場したのはもっとずっと昔だが)。さらに、鉤爪状の軍事用機械も発明したとされている。言い伝えによると、シラクサの戦いでそのクレーンのような装置を使い、敵の船を海から持ち上げて沈めたという。2005年のテレビ・ドキュメンタリー『古代世界の超兵器』では、その装置を独自に作ったところ実際に機能した。
古代の文書にはそのほかにも、アルキメデスのものととされる興味深い定理や発明が多く取り上げられている。そのなかの一つである機械式の惑星計算装置にかなり似た、有名なアンティキティラの機械は、紀元前100年頃に作られて、1900年から1901年に沈没船のなかから発見され、細菌になってようやく機能が解明された。
     ・
土地が豊かで地元民も親切だったシラクサは、まもなく地中海全体で最も繁栄する有力なギリシャ人都市となった。アルキメデスは著作『砂粒を数える者』のなかで、自分の父親は天文学者のフェイディアスであると書いている。またプルタルコスの『対比列伝』によると、アルキメデスシラクサの潜主ヒロエン2世の遠い親戚だという。アルキメデスは若い頃、ナイルデルタ沿岸のエジプトの都市アレクサンドリアで学び、そこでサモスのコノンやキュレネのエラトステネスと出会ったといわれている。その証拠として、コノンは友人だというアルキメデスの言葉が残っているし、著作『機械的定理の方法』と『牛の問題』のはしがきはエラトステネスに宛てて書かれている。