じじぃの「歴史・思想_65_世界史大図鑑・ベトナム・トンキン湾事件」

The Gulf of Tonkin Incident (1964)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=crALHjTiXbk

54 Years Ago Today, Media & Gov’t Spread ‘Fake News’ To Start The Vietnam War

Aug 3, 2018 SOCIAL NEWS
Media and government falsehoods were responsible for one of the bloodiest wars in US history and it all began 54 years ago today in the Gulf of Tonkin.
https://socialnewsdaily.com/73874/fake-news-began-vietnam-war/

『世界史大図鑑』

レグ・グラント/著、小島 毅、越前敏弥/訳 三省堂 2019年発行

ベトナムを失うつもりはない トンキン湾事件(1964年)

第2次世界大戦後、東南アジア諸国は安定した政治体制を整えることができず、この地域はアメリカ合衆国ソヴィエト連邦の冷戦に巻きこまれた。ベトナムほど戦線がはっきりと引かれた場所はほかにほとんどない。フランスによる植民地支配が1954年に終わると、ベトナムジュネーブ協定で分割され、ベトナム共産主義革命の指導者ホー・チ・ミン率いる北ベトナムと、アメリカの支持を受ける南ベトナムに分かれた。1960年、共産主義超大国ソ連と中国の支援を得て、ホー・チ・ミン南ベトナム解放民族戦線NFL)を創設し、共産主義のもとで国を統一しようとゲリラ戦をはじめた。
緊張は徐々に高まり、1964年を迎える。同年8月、アメリカ海軍の駆逐艦マドックスが北ベトナム沖のトンキン湾で哨戒中に、沿岸にある軍事施設からレーダーや無線を傍受していた。北ベトナムは海岸沿いの施設への襲撃にマドックスが関与していると考え、魚雷攻撃を仕掛ける。その2日後、マドックスはふたたび攻撃を受けたと発表した。この2度目の攻撃の真偽は、のちに論争の的となるが、アメリカ大統領リンドン・B・ジョンソンは、共産主義者率いるゲリラ活動がすでに国のほとんどを支配している状況のなか、南ベトナムが援軍なしで勝利することはできないと認識していたので、この小競り合いを乞い實にして、議会でトンキン湾決議を可決させた。この決議によってジョンソンは、東南アジアでアメリカ軍への脅威があった際には、いつでも対処できる権限を手に入れた。

アメリカの介入

アメリカが恐れていたのは、ベトナム共産主義国となれば、この地域のほかの国も追随するであろうことだった。トンキン湾決議を利用して、ジョンソンは南ベトナムへ軍勢を送り込み、北ベトナム空爆した。膨大な数の一般市民を殺害し、技術的優位に立っていたにもかかわらず、アメリカは解放民族戦線のゲリラ部隊を掃討することができなかった。アメリカ軍は多数の死傷者を出し、士気もさがっていった。

共産主義という幽霊

ベトナム戦争は、アメリカ史上はじめてテレビ中継された戦争である。恐ろしい出来事が展開するのを大衆が目にすることで、戦争に反対する人が増えた。世界じゅうで平和運動が起こり、大規模な反戦デモが繰りひろげられた。
共産主義者による1968年のテト攻勢では、南ベトナムの100以上の都市や町が激しい攻撃を受け、すぐに戦争を終わらせるというアメリカの望みはついえた。
1969年に和平交渉がはじまる。1973年3月、最後のアメリカ軍がベトナムから撤退し、1975年4月に南ベトナムは北に屈した。
アジアで発生する民族主義運動は、すべてソ連に影響された共産主義を求める動きだと、アメリカの政策立案者は誤った解釈をしつづけたが、結局アメリカが恐れていたことは起こらず、ラオスカンボジアを除けば、東南アジアが共産主義陣営に加わることはなかった。